偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

 彼のフォークが私のショートケーキの尖った部分を掬い、それが私の口元に差し出された。

「ほら、あーん」

 そう言われて、素直に口を開けるはずもない。

「自分で――」

「――力登に食べさせてやるので手が塞がってるだろ?」

「や、でも――」

「――早くしないと俺が食うぞ」

「ママ! りきも」

 片方からはケーキを食べるように催促され、片方からは食べさせろと催促される状況に、どうしたらいいものかと考える余裕もない。

「マ~マ!」

 痺れを切らした力登が、私の腕を掴む。



 もうっ!



 私はやけくそで、素早く理人のフォークを口に入れると、ケーキを舌にのせた。

 そして、空になったフォークを口から出し、今度は自分のフォークで力登のケーキを掬う。

 力登の幸せそうな表情を見ていたら、私は嬉しくなる。

 それはいいのだが、理人の言った通りハマッたら大変だ。

「ママ、いっこは?」

「ん?」

 力登がケーキの上に乗っている、大きくて艶のある真っ赤なイチゴをじっと見ている。

「いっこ、たべっか」

「食べたいの?」

「おう!」

「じゃあ――」

「――これは、ママの」

 私のフォークより先に、理人のがイチゴを突き刺した。

「りきの!」

 力登が私の膝から飛び降り、理人目がけて突進する。

「力登のはくまのチョコだろ」

「やだ!」

 理人はフォークを高く上げ、力登がそれを取ろうとピョンピョン飛び跳ねる。

「大人げないことしないで」

「りとは力登を甘やかしすぎなんだよ」

「そんなこと――」

「――力登。ママのイチゴを食べたいなら、力登のケーキと交換だぞ」

「くま?」

「いや、残りのケーキ全部。見ろ。イチゴとくまじゃ大きさが全然違うだろ」

「やだ!」



 いや、本気で大人げなさすぎでは……。



「力登。交換する時は同じくらいのものじゃないと不公平だぞ」

「やだ!」

 力登の声がリビングに響く。

「理人。さすがに――」

「――じゃあ……『ママ、イチゴちょうだい』って言ってみろ」



 え?



「ママ! いっこちょー」

「違う。イ、チ、ゴ、ちょ、う、だ、い」

 理人がゆっくり、はっきりと言う。

 それを、力登がじっと見ている。

「いっ、ちっ、こ、ちょーだっ、いぃ~」

 オーバーに口を大きく開けて、力登が言う。

「もう一回」

「いっちこ――」

「――イチゴ」

「いーちごーーー」

 喉を鳴らし、唸るような『ご』に、私まで力んでしまう。

 だが、理人は真剣。

「ちょうだい」

「ちょーだーいっ」

「お、言えたな」

 理人が力登の頭を撫でる。

 力登はその場でぴょんと跳ねた。

「おう!」

「じゃ、もう一回ママに言ってみ?」

 力登がくるりと振り返ると、眉間に皺を寄せ、膝に力を入れてお尻を突き出した。

 踏ん張っているような体勢。

「いーちーごぉー」

 やはり『ご』に力が入る。

「ちょーだーいぃー」

 今度は『い』も唸り声のようだ。

 だが、一生懸命な息子の姿が可愛くて、嬉しくて、涙が溢れる。

 やり切った感たっぷりの、得意気な息子の笑顔。

 私は力登を力いっぱい抱きしめた。

「すごいね、力登。上手に言えたね!」

「おう!」

 息子の頬にキスをする。

「俺はイチゴよりキスの方がいいけどな」

 頭の上でそんな言葉が聞こえ、おでこにチュッとキスが落とされた。

 視線を上げると、理人が笑っている。

「泣くほどかよ。ほら、りき。イチゴ」

 力登が私の腕をすり抜け、差し出されたイチゴに向けて口を開ける。

「あ、半分だぞ? ママと半分こ」

「おう!」

 力登がイチゴにかぶりつく。

「半分以上じゃねーか」

 理人がケラケラと笑いながら、上半分、いや上の三分の二がないイチゴを私に向けた。

 私は、今度は素直に口を開けた。

 甘いはずのイチゴが、少ししょっぱく感じた。

 満足げな理人を見て、思った。

 もう、自分の気持ちを誤魔化せないと。



 私、理人(このひと)を愛してる――。


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