偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「私が専務のスケジュールを把握していることが、意外ですか」
「いえ」
「では、保育園プロジェクトの企画書を読んでいることについて、ですか」
「……最終版ではありませんから」
皇丞のスケジュールには『TNF社長来社』と書かれていた。
秘書室内でわかる人間はいないだろう。
だが、俺は保育園プロジェクトの関連会社としてT&Nフィナンシャルの名が挙がっていることを知っていた。
数年前に小規模事業への融資とアドバイザー部門を設立したTNFは、空き物件を抱える不動産事業所と新規事業所の事務所や店舗のマッチングを行うことで、事業所の倒産を防ごうとしている。
いち企業努力だけではどうにもならないことも、大企業がほんの少し手を貸すだけで、劇的に業績が上向くこともある。結果、TNFは回収不能債権が減るだけでなく、事業拡大のための追加融資依頼が増える。
今回の保育園プロジェクトで、如月さんはトーウン所有の物件に保育園を新設する場合と、経営難で閉園の危機にある保育園を買収するか業務提携する場合の比較案を作成している。
どちらにしても新規事業として優遇融資を受ける方向だ。
その融資元として、TNFの名が挙がっているのだ。
企画書は、プロジェクトに関わる数人が閲覧できるようになっているが、作成中の段階から俺が目を通しているとは思わなかったらしい。
「情報の共有は必要です」
俺が言うと、如月さんは少しだけ口角を上げた。
「三か月ほど前にオープンしたカフェが、銀田屋の近くにあります。そこは、TNFが店舗物件を紹介したのですが、オーナー夫妻は築島社長のご友人だそうです」
「それで?」
「オープン時にはいち友人としてお花を送っていらっしゃいましたので、そのカフェのコーヒーとショコラをお出ししたいと思い、出社前に買いに行きました」
「……」
情報収集能力もさることながら、発想というか気遣いに驚く。
「なるほど」
通りがかった銀田屋の列に秘書課の顔がなかった。から、念のために並んだということか。
「本当に助かりました」
もう一度、礼を言おうと背筋を伸ばす。
「ありがとうございました」
完敗、だ。
勝負事ではないけれど、そう感じた。
俺は、まだまだだ。
鹿子木に任せたのが間違いだったのか、そもそも部下に任せたのが間違いだったのか、安心して任せられる部下を育てられていないことが問題なのかは、わからない。
だが、きっと、彼女が俺の立場なら、こんなミスはなかった。
そう思うと、苛立ちと不甲斐なさとがない交ぜになったどす黒い煙が体内にじわじわと広がっていく気がした。
「これは確かではありませんが――」
如月さんが一歩、俺に近づいた。
ふわっと、ミルクのような甘い香りが鼻をくすぐる。
「――F社社長は玉露を飲まれなくなっているかもしれません。秘書の方に確認した方がいいと思います」
「え?」
「以前、お見かけしたパーティーでは、カフェインレスの飲み物を頼まれていたので」
そう言うと、彼女は身をひるがえして颯爽と立ち去った。
クソッ!
苛立つのに、俺は彼女の背中から目が離せなかった。