偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「……仕事してもらっていいですか」
眼鏡のブリッジを上げ、口元の笑みを消す。
「はい」
「前回の役員会議でありました、営業部からの備品の過剰申請についてです。やはり、備品そのもの以上に紛失したUSBにどんなデータが入っていたかが問題のようです」
「そうか……」
ふぅっとため息を吐くと、社長は椅子に背を預けた。
「副社長にお任せしますか」
「いや、総務に問題があるわけじゃないのなら、この件はこっちで対処しよう」
「副社長にはどのように報告いたしますか」
「それは私が引き受ける。この件はきみに任せてもいいか」
「私……ですか?」
「皇丞に任せたいところだが、今は保育園プロジェクトに集中すべきだろう。それに、情報の流出、売買となると刑事事件だ。私が経緯を把握しておく必要がある」
尤もだ。
流出、もしくは売買された情報によっては、当事者の処罰では足りなくなる。
「いつかのような残業代の不正受給なんて子供のいたずら程度だな」
「……」
「頼まれてくれるか」
社長が両肘を机に立て、顎の前で手を組んだ。
林海父子の事件からまだ一年だ。
刑事告発はしなかったが、噂は関連会社の知るところとなり、社長をはじめとする重役たちは説明と謝罪に奔走した。
それを思うと、できるだけ社長の手の内で収束させたいと言ったところか。
林海の事件には俺の部下も関わっていた。
監督不行き届きで処罰があっても当然だったが、社長は俺には一切責任を追及しなかった。
「お任せください」
「ありがとう。秘密裏に、なるはやで頼む」
「社長、お孫さんの前にお嫁さんにドン引かれますよ」
「マジでっ!?」
「そういえば梓ちゃんが言ってました。社長はイケオジだって。数十年後の皇丞を見ているようで、ドキドキすると」
「イケオジッ!?」
「はい。ですから、あまり口を開かれない方がよろしいかと。イケオジと言えば寡黙な男です」
「高〇健みたいな?」
「……そうですね」
「そうか……」
これで、しばらくは大人しくなるだろう。
「では、失礼いたします。三十分後にお迎えに参ります」
「わかった」
喉が詰まったような低音。
寡黙といってなぜ声のトーンを下げたかはわからないが、おそらく高倉〇を意識したのだろう。
寡黙な男といって〇倉健を連想している時点で、若くないと気づかないものか……。
その点はきっと寿々音さんが指摘してくれるだろう。
俺はデスクに戻り、欣吾からもらったUSBをノートパソコンに差し込んだ。
フォルダが開かれる。
更にフォルダが何十と表示された。
これは、欣吾にやらせるか。
「室長」
顔を上げると、又市さんが立っていた。
濃紺のスーツに真っ白なブラウスは第一ボタンまできっちり留めてある。
相変わらず、表情が読めない。
彼女が結婚した時、相手についてかなり噂になった。
彼女は夫について語らなかったが、実は取引先の副社長で、所謂玉の輿。
彼女よりひと回り以上年上の彼が彼女に一目惚れをして猛アタック、更に酔った彼女を持ち帰った夜から三か月で結婚。
プライベートの彼女が年上夫にドロッドロに甘やかされている姿は、きっと今の俺の噂を凌ぐだろう。
「室長についての噂で社内が賑わっているのは、ご存じですか?」
彼女らしい言い回しだ。
「ええ。断片的には」
「そうですか。出過ぎたことを――」
「――私に子供がいる、の他にもなにかありますか」