偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
8.重ならない気持ち
理人からのメッセージに気が付いたのは、なぜかしつこく「パパってなに?」と聞く力登をやっと寝かしつけた後で、送信から一時間半後だった。
このメッセージを送った時の彼がどこにいたかはわからないけれど、もうとっくに家に帰って寛いでいるだろう。
それでも、そっけなく感じる短いメッセージに、力登が眠る邪魔をしないように、力登が眠るのを待ってくれているような、彼なりの配慮があるような気がして、返信をせずにはいられなかった。
〈遅くなってごめんなさい。力登は今やっと寝てくれました〉
送信と同時に既読のマークがつき、やはり返信して良かったと思った。
〈今から行く〉
有無を言わさないメッセージに、思わずふふっと笑ってしまう。
明日も仕事なんだけど。
同時に、彼の話の内容が気になった。
どうしても今日でなければいけない話とは、何だろう。
今日は社内で理人と顔を合わせることはなかった。
なんだろう……?
ヴヴッと手元のスマホが震え、ハッとした。
〈開けてくれ〉
慌てて部屋の中を見回す。
食事の後片付けはかろうじてしてあるが、力登のおもちゃの車が何台もリビングの中心で縦列駐車している。
ほんの一瞬だけ迷って、私は玄関に向かった。
パジャマ姿だと気づいたのは、ドアの向こうの理人もシャワーを浴びたらしく髪を下ろしている姿だったから。
黒のTシャツに、黒のスラックス、秘書の理人はかけないべっ甲フレームの眼鏡。
「遅くに悪い」
「ううん……」
無意識にパジャマの、胸元のボタンを握りしめた。
「入ってもいいか?」
「散らかってるけど……」
事実だ。
私は彼を招き入れ、ドアを閉めた。
そして、急いでリビングに行き、おもちゃを片付ける。
「いつもこの時間に寝るのか?」
理人が私の隣に座り、おもちゃを拾い上げる。
「ううん。一時間は早く寝てくれるんだけど、今日はなんか興奮状態で」
「そうか」
「……」
なんとなく言葉が続かず、無言のまま手渡されたおもちゃを箱に片付ける。
服装や髪型が変わっても、理人はいつも格好良くて、隙がない。
赤いチェックの着古したパジャマにすっぴんの私とは大違いだ。
自然乾燥の髪が爆発しているんじゃないかと気になって、彼に背を向けて気休め程度に手櫛で梳いた。
背中に視線を感じながら、おもちゃ箱を隅に追いやる。
腰を浮かし立ち上がろうとした時、手首を掴まれた。
「話がある」
秘書の顔とは違う、けれど有無を言わさぬ力強い瞳と真剣な表情。
胸が痛い。
心臓の動きが激しくなって、肋骨を突き破って飛び出してくるんじゃないかと思うほどだから。
「お茶……を――」
「――いい。このままで」
腰を落とし、理人と、まさに膝を突き合わせる格好で向かい合う。
私の手首を掴む手が解け、けれど離れることはなく、指が絡む。
彼の顔を見るのが恥ずかしくて、いや、私の顔を見られるのが恥ずかしくて俯くと、私の膝の上で重なる二人の手が目に入った。
羨ましいほど細くて長い指が、私のカサついた肌を撫でる。
爪が小さくて丸い私の手が、子供の手のように思えるくらい、違う。
「謝らなけらばいけないことがある」
「……え?」
どんな話か予想していたわけではないが、それでも思っていたのと違う切り出し方に、聞き返した。
顔を上げると、理人は真っ直ぐ私を見ていた。
「社内で俺とりとの噂が立っている」
「え……?」
噂!?
当然、私と理人の関係についてだろうと思った。
上司と部下でありながら、子供がいることを隠しているような年上部下の女が、ハイスペックな年下上司を誑かしている。
そんな噂だろうと。
そう思ったのは、そんな風に言われても仕方がないと思っているから。
何度も、思ったから。