偽装溺愛 ～社長秘書の誤算～

２．偽装契約

「子供ができたんだ」

　皇丞の言葉に祝福の声を上げたのは、欣吾が先だった。

「マジか！　おめでとう！」

　子供みたいに甲高い声ではしゃぐ欣吾に、皇丞は照れくさそうに、けれど本当に嬉しそうに笑う。

「サンキュ」

「いつ生まれるんだ？　男？　女？」

「落ち着けよ。生まれるのはまだ半年以上先し、性別もまだ二、三か月はわからないらしい」

　欣吾に落ち着けと言いながら、皇丞自身の興奮は隠せていない。

　少し、意外だった。

　女に対して淡白な皇丞が梓ちゃんには異常な執着を見せていることも、子供ができてこんなに喜ぶことも。



　恋愛や結婚に、あまり興味がなさそうだったのに……。



「皇丞と梓ちゃんの子供かぁ。絶対可愛いよな！　いいなぁ。俺も子供ほしいなぁ」

「欣吾は意外と子供好きだよな」

「毎日、コードや数字ばかり相手にしてたら、あの汚れのない純真無垢な笑顔に救われるんだよ。林海親子の件では特に、人間の醜悪さって言うか、なんかこう……知らずに生きていきたかった人間ならではの恐ろしさを見ちゃったって言うか？　とにかく！　俺は癒されたい」

　うっすらと涙を浮かべながら握り締めた拳に青筋を立てる欣吾に、俺と皇丞は顔を見合わせた。

「お前……大丈夫か？　ちょっと休んだ方がいいんじゃないか？」

「最近、可愛い姪っ子に会えてないからかなぁ……」

「ああ。平井(ひらい)の子供？」

「そう……。天使なんだよ。俺のこと『き～んちゃん』って呼んでほっぺにチューしてくれるんだ。されるたびに、寿命が一年延びる気がする」

　今まで数多の女と、キスどころかあんなことやこんなことをしてきた欣吾が、ほっぺにチューで癒されてる。

　ぶっ壊れる前兆か、ヤリすぎて童心に戻っているのか。はたまた、林海きらりのAVに生気も精気も奪われたか。

「お前……重症だな」

　なんだか気の毒に思えて、つい漏らした。

「俵は？　引っ越したのは女の影響か？」

　皇丞が、だらしなくニヤついた表情で聞いた。

　俺は手元のビールを一口飲んで、ジョッキを置いた。

「ある意味、な。だが、お前らが思うような理由じゃない」

「というと？」

　皇丞が網の上のタン塩をひっくり返し、焼き具合を確認して自分の皿に移す。

　辛い物が好きな欣吾は、激辛味噌ホルモンを見つめている。

「しつこい女がいて、な」

「珍しいな？　お前が女選び間違えるなんて」

「間違えてない。完全に勘違いと言うか、イカれた女に惚れられた。俺は、常識的に人助けしただけなのに、マンションまで押しかけられた」

「当ててやろうか」

　皇丞が笑いを堪えながら、トングの先を俺に向けた。

「只野姫」

「只野姫？」

　欣吾が復唱する。

　俺はため息をつき、皇丞のタン塩を網からすくい、口に入れた。

「只野物流の一人娘」

「ふ～ん。知らないな」

「俺も知りたくなかった」

「俵がそこまで言うとか、ある意味興味あるな」

「男の疲れをほぐすのが得意らしい。俺は丁重にお断りしたが」

「考えただけで萎えるな」

　皇丞が唇の端をヒクつかせて、パッドで注文する。

「極上カルビ、食う？」

「食う」

「俺も」

「ビールは？」

「飲む」

「俺も」

「ん」

　俺はジョッキを空にし、テーブルの端に置いた。

「今更だが、飲んでいいのか？　皇丞」

「ん？」

「梓ちゃん」

「ああ。実家に帰ってる」

「実家に？」

「うん。昨日からつわりが始まって。いきなり何も食べられなくなって、帰りたいって」

「それで午前半休か」

「そ。送って行ってきた」

　今日は、梓ちゃんも一緒のはずだった。

　それが、皇丞ひとりで来て、理由を聞いたら妊娠を報告されたというわけだ。