偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「あまり酷いようでしたら――」
「――大丈夫です。本当に。お気遣いありがとうございます」
社内ではいつも、こんな感じだ。
なのに、いつもと違って気持ちがざわつく。
理由は簡単だ。
りとが俺を見ないから。
「りと」
「社内で! 誤解を招くような――」
「――誤解?」
「私と室長に何か関係があると思われては――」
「――なにがマズい?」
マズいことしかないだろ。
自分の言葉に、突っ込む。
俺は何を言っているんだ。
りとは俯き、チラリと専務室のドアを見た。
迷惑がっている。
コツンと靴音が聞こえて目を向けると、彼女の背後に副社長の姿を見た。まだだいぶ遠いから、俺たちの話し声は聞こえないだろう。
俺は彼女から一歩離れた。
「社内でする話じゃなかったな」
「……」
「今度ゆっくり――」
「――失礼します」
するりと俺の前から消え、専務室のドアが閉じられた。
なんなんだ。
昨夜、俺が何かしただろうか。
前髪をかき上げ、くしゃりと握る。
くそっ!
「俵くん」
気づけば副社長がすぐ目の前に立っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
副社長がジャケットの袖を引いて、腕時計を見る。
「少し早いが、いいかな?」
「はい。社長のご希望でごぼう茶をお淹れしますが、コーヒーの方がよろしいですか?」
「いや、ごぼう茶をいただくよ。身体にいいと社長が仰っていたからね。何とかが多く含まれていて、何とかに効くんだろう」
副社長が含み笑いで言った。
勧めてくれた先方もそんな感じで言っていたから、社長もそのまま言ったらしい。
「効能をお調べして――」
「――美味ければいいんだよ」
にこやかに社長室に向かう副社長を見送り、俺は給湯室へと急いだ。
タイミングが悪い時は徹底して悪いもので、その週は誰かにそう仕向けられているのかと疑ってしまうほどりとと顔を合わせることがなかった。
社内での噂は相変わらずだが、りとは気にしていないようだと皇丞に聞いた。
だが、心配だ。
平気なふりをしているだけではないのだろうか。
気にしつつも、連日の残業のせいでりとと話す時間を作れないまま土曜日になってしまった。
俺は社長の会食に同行し、帰路についていた。
スマホを手に取り、時刻を見る。
この前と同じ時間か……。
ひとまずメッセージを送ろうとして、マンションの前の人影に気がついた。
街灯の灯りを避ける位置に、じっと立っている。
おそらく、男だ。
俺は一旦スマホをポケットにしまった。
代わりに、カードキーを取り出す。
そこで、マンション前の街灯の下に移動した男の顔が見えた。
社長と同じか、少し上くらいの年に見える長身で細身の男。
着ているグレーのジャケットがくたびれているのが、遠目からでもわかる。
住人が出てくるのを待っているのか、エントランスを覗き込む仕草を繰り返している。
不審者に見えなくもない。
男が俺に気づいて玄関前から遠ざかり、ますます怪しく感じた。
念の為にと顔を見てみたが、逸らされた。
その時、オートロックのドアが開き、出てきた男と目が合った。
登――!
足を止めた俺に、登は勝ち誇った笑みを浮かべた。
思わず奥歯を噛む。
こんな見え透いた挑発に乗るなんて、俺らしくない。
わかっているのに、黙っていられない。
「いい加減、りとに付きまとうな」
今までならムキになってキャンキャン吠える登が、なぜか表情を崩さない。
それどころか、悠々とした足取りで俺の前に立つ。
おかしい。
「それはこっちの台詞だ。俺の妻と息子に付きまとうな」
――っ!
りとと力登を我がもののように言う目の前の男に、殺意すら覚える。