偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
問い詰めたいわけじゃない。
心配なだけだ。
そう言えばいいのに、何も言わないりとに苛立つ。
「登と――」
「――大丈夫」
全然大丈夫に聞こえない、震えた声。
ハッとして、ゆっくり呼吸する。
そして、彼女の肩を抱き寄せた。
「りと、何があった?」
「何もないわ。登さんが押しかけてきたから、帰ってもらっただけ」
「本当に?」
「……本当よ」
これが仕事なら、もっと上手く嘘をつくのだろう。
こんな風に肩を震わせていたら、バレバレだ。
「下手な嘘つくな」
「本当に大丈夫よ」
「どこがだよ。しつこく押しかけてくること自体、大丈夫じゃないだろう。警察に――」
「――あんな人でも、力登の父親なの。警察沙汰になんか――」
「――母親を苦しめるだけの父親なんか、庇う必要――」
両脇をグッと掴まれ、りとが力いっぱい押し退けた。
背中がドアにぶつかる。
「――あなたには! かんけ……ないじゃない……」
「……りと?」
俺の脇腹を掴んだまま、りとが俯く。
「父親と……何かあったのか」
「……え?」
「登が一緒にいたの、りとの父親――」
「――帰って!」
初めて聞いた。
りとの悲鳴のような声。
「もう、関わらないで。放っておいて」
「出来るわけ――」
「――一度寝ただけじゃない! 恋人なんかじゃない。偽装関係だもの。偽物だわ!」
そうだ。
俺たちは偽装恋人。
俺が、そう言った。
どうせなら楽しもうと、言った。
後腐れなく、楽しもうと。
確かに言った、けど――!
「すっかり……、忘れてたよ」
バカらしくて、笑える。
「とっくに、偽装なんかじゃなくなってた」
後腐れなく、なんてどの口が言ったのか。
ドアにもたれ、低い天井を仰ぐ。
「……帰って」
「りと」
「帰って!」
「俺だけか!? 偽装なんて忘れてたのは、俺だけか!!? 俺だけが――」
ジャケットを掴むりとの手に、力がこもる。
彼女の肩が震え、その肩を抱きしめたくて手を伸ばす。
が、触れるより前に、微かに「ママ?」と声が聞こえた。
細くて、高くて、不安そうな、可愛い声。
「――お前と力登が愛おしすぎて苦しいのは、俺だけか……?」
「ままぁ……」
力登が、呼んでいる。
りとを。母親を。
俺がここにいると知ったら、俺のことも呼んでくれるだろうか。
元気いっぱいの笑顔で、呼んでくれるだろうか。
「……帰って」
低い、声。
突き放す、言葉。
感情のない、拒絶。
細く、柔らかく、甘い香りのする彼女の髪が邪魔で、表情が見えない。
その髪をかき上げて、顔が見たい。
嘘に苦しんでいるなら、抱きしめたい。
助けてほしいと泣いているなら、涙を拭ってやりたい。
そう思うのに、顔が見えない。
りとがレバーを押し、ドアが開く。
ドアにもたれていた俺は、バランスを崩し、よろけながら、廊下に押し出された。
「ままぁ!」
「力登、今行くね」
「りと――」
バタンッと勢いよく、ドアが閉められた。
カチャと施錠する音も聞こえた。
それだけ、だ。
力登が母親を呼ぶ声は、もう聞こえない。
りとがどんな表情をしていたかも、もう見えない。
俺だけだった……か。
ぎゅっと瞼を閉じて、はぁとゆっくり息を吐く。
なにが、女は格好悪い男が好き、なんだよ。
心の中で、皇丞に悪態をつく。
求めすぎて、必死過ぎて、フラれたじゃねーか。
悔しい。
皇丞の口車に乗せられて。
惨めだ。
皇丞の口車に乗っかって。
力登の声が、頭の中に響く。
もう、呼んでくんねーのかな。
「しっちょー……って」
情けない。
初めて本気で好きになった女にフラれて。
あまりの情けなさに、涙が滲んだ。