偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~
「離婚の直接的な原因は聞いていないが、如月さんは力登くんの存在を隠したがっていた。もちろん、俺も梓も不思議に思ったが、円満離婚ではなかったのだろうかと邪推するくらいしかできなかった」
離婚の原因は、登だ。
だが、登から身を隠そうとしていたのなら、登の両親が用意したマンションで暮らすだろうか。
「如月さんは元旦那について『刺激したくない』と言っていた」
「ヒステリックな男だとは思ったが、それだけじゃなかったってことか」
「かもな」
「りとの父親については?」
「……」
「何か聞いてないか?」
皇丞が黙り、テーブルの上のタブレットでビールを注文する。
俺はどうするかと聞かれたが、やめておいた。
「お前はどうなんだ」
「なにが」
「自分のことをどこまで話した?」
「俺のこと、とは?」
「例えば、実家のこと」
「実家?」
「そう。家族のことを話したことはあるか?」
「姉と弟がいることは話した」
コンコンとドアがノックされ、店員がビールとクラッカーを持って入ってきた。
それらをテーブルに置いて、出て行く。
皇丞が冷えたビールを三分の一ほど喉に流すのを、俺はじっと見ていた。
「俺の家族について、りとが知った可能性は?」
「それは、お前の方がわかってるんじゃないか?」
「ってことは――」
「――さすがに、これ以上は言えない。優秀な秘書に辞められたくないからな」
俺は額に手をあて、その手で前髪をさくしゃりと握る。
「面倒くせぇ……」
『女』は俺のこれまでの人生で、最も労力を使ってこなかった分野だ。
若い頃は皇丞狙いの頭が空っぽな女ばかり相手にしていたし、大人になってからは言葉がなくても意思疎通できる同類とばかり遊んできた。
悩むくらいなら関係を絶った。
悩んでまで、もがいてまで欲しい女なんていなかった。
俺はため息をつき、立ち上がった。
「帰るわ。急に連れ出して悪かったな」
テーブルに一万円札を置く。
「理人、金は――」
「――情報料だ」
「素直じゃねーな」
事実に、グッと息を呑む。
「……助かった」
「手伝えることはあるか?」
「……梓ちゃんに、しばらく会いに行けそうにないが泣かずに待っていてくれ、と伝えてくれ」
「心配して損した」
片手を腰に当て、もう片方の手で髪をかきあげる。
「心配? お前が、俺を?」
皇丞が俺を見て、呆れ顔でジョッキを持った。
「そうだな。必要ないよな。社長も手のひらで転がす天下の社長秘書様だ」
フンッと鼻で笑う。
「いや? しがない秘書しっちょーだよ」
俺は皇丞を残して店を出ると、頭を冷やそうと何キロもの道のりを歩き続けた。
マンションに辿り着いた時には、頭を冷やすどころか身体は冷え切っていた。
風呂入って、寝るか。
エレベーターの前で、階数表示をじっと見つめる。
ポーンッと軽快な電子音と共に、扉が開く。
中の男を見たら、一瞬にして冷えた身体が熱くなった。
登――っ!
登は俺を見て、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
りとの部屋にいたのか――?
エレベーターを降り、俺の横で立ち止まる。
「今日は噛みついてこないんだな。元カレさん?」
「りとに……つきまとうな」
今の俺に、こんなことを言う資格はない。
いや、そもそも、最初からなかった。
だが、言わずにはいられない。
登に怯えるりと、登に苛立つりとを思い出すと、どうしても力登の父親だからという理由だけで会い続けているとは思えない。
「その言葉、そのまま返してやるよ。俺の女につきまとうな」
「俺の女、だと?」
こめかみの血管が二、三本切れたのでは思うような痛みを感じた。
痛みのせいで、冷静さを保てなくなりそうだ。
「そもそも、年上のバツイチ子持ち女なんか相手にしなくたって、あんたなら選び放題ヤリ放題だろ? おもちゃを取られてムカつくのはわからなくもないが、それは俺も同じだ」
「りとも力登もおもちゃじゃない」
「ものの例えだろ」
クククッと含み笑いをする登の横っ面を、思いっきり殴ってやりたい。
拳を強く握り過ぎて、手の血管も切れそうだ。
その前に、短く切り揃えているはずの爪が掌に食い込み、その傷から流血しそうだ。
「呼べば尻尾振って来る女たちがいるんだし、それで妥協しとけよ」
女たち……?