仮面夫婦を望んだ冷徹な若社長は妻にだけ惚けるような愛を注ぐ。【逃亡不可避な溺愛シリーズ1】
「本当に、このままだとこの会社はどうなるんだろうね……」

 ボソッとそう呟いて、芽惟は社ビルを見上げた。なんでも、以前はもっと立地のいい場所にあったそうだ。でも、業績が落ち込むにつれ、ビルの場所は僻地へと移動した。純粋に便利が悪くて面倒だとも、思う。

「そうだ。帰ったら明日の資料を作らなくちゃ……」

 しかし、それを思い出して芽惟は自然と早足になる。

 宗像企業は万年人手不足だ。だから、芽惟が頑張らなければならない。

 その理由など簡単で――芽惟が、社長正史の娘だから、である。

 最寄り駅について、改札を抜ける。そのままいつもの電車に乗り込んで、ようやくほっとできた。

 さすがに帰宅ラッシュの時間帯ということもあり、座ることは出来ない。……ただ、今日は少し空いているだろうか。それが、せめてもの救いだ。

(父さんはきちんと食事摂っているかしら? 一応作り置きしておいたけれど……)

 頭の中に浮かぶのは、父のことだ。仕事はそこそこ出来るものの、家事が一切できない父。

 彼は妻を亡くしてからというもの、すっかり気落ちしてしまった。それこそ、芽惟と芽惟の弟が心配するほどには。

 さらにそこに業績の悪化。……そりゃあ、円形脱毛症にもなるだろう。芽惟だって、逆の立場ならそうなる。納得だ。

 電車が発車する。ほんの少しの揺れの中、芽惟はうとうととしてしまった。……さすがに、ここのところ根詰めすぎただろうか。

(けれど、私は社長の娘だから。……みんなを路頭に迷わせるわけには……)

 そう思うと、自然と気が引き締まる。でも、さすがにそろそろ――限界だったのだろう。

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