仮面夫婦を望んだ冷徹な若社長は妻にだけ惚けるような愛を注ぐ。【逃亡不可避な溺愛シリーズ1】
「……あっ」

 ついうとうとしてしまって、鞄を落としてしまった。慌てて拾おうとするものの、タイミング悪く電車がカーブに差し掛かる。

 鞄は近くにいた女性の脚にぶつかる。彼女は、驚いたように鞄を拾っていた。

「すみません、それ、私のです……」

 心底申し訳なく思いながら芽惟がそう言えば、女性は笑っていた。

「いえ、お構いなく。……随分とお疲れのようですね」

 肩の上までの茶色の髪を揺らしながら、女性がそう声をかけてくる。彼女はぱっちりとした大きな目をしている。……まるで、どこかのアイドルのようだ。なのに、びしっとしたスーツを着ていて。そのちぐはぐさが、なんだかとても魅力的だった。

「……えぇ」

 ついつい女性の言葉を肯定してしまった。すると、彼女はにっこりと笑った。……笑うと、尚更幼いように見える。

「ですが、気を付けてくださいね。……いつ何時、なにが起こるかわかりませんから」

 女性がそう言うとほぼ同時に、電車が駅に着く。彼女は颯爽と電車を降りて行った。

 歩き方はとても美しく、まるで一流の秘書のようだと、思ってしまう。

(なんていうか、親切な人で良かったわ……)

 もしも、気性の荒い人だったら……なんて、想像したくもない。

(あっ、次で降りなくちゃ)

 けれど、芽惟の意識はすぐに別のことへと向かうのだった。
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