うろ覚えの転生令嬢は勘違いで上司の恋を応援する
プロローグのその前から(※ディラン視点)
「いいか?今日から来る司書官にちょっかいをかけるなよ?」
「へーへー。どーんだけ言って聞かすつもりなんですかい?」
むしろ、いくら言っても足りないくらいだ。
なぜならこいつは2つ前の前世では、彼女が初めてここに来た日に魔法をかけて変な幻覚を見させたのだから。今回は阻止してやる。
今日、ようやくシエナはここに来る。
初めて彼女と出会ったのは、2つ前の前世の、幼い頃。
エドワールとお忍びでフェレメレン領を訪れた時のことだ。
その日、父上は緊急の召集で城に向かうこととなり、護衛という名の監視役が1人減ったため、自由の身になったエドワールにここぞとばかりに連れまわされた。
あいつの気まぐれで大人たちから離れて湖の近くを歩いていると、悲鳴が聞こえてきた。
駆けつけてみると、シエナが猫と一緒に湖に落ちてしまっていた。
湖に入り彼女に近づくと、彼女は腕をいっぱいに伸ばして猫が沈まないよう守っていた。
手を伸ばし、もう少しで彼女の腕を掴めるといったところで、彼女の身体は力が抜けてしまい湖に呑み込まれてゆく。
私は急いで猫を掴んでエドワールに投げて渡し、湖に潜り彼女を引き上げた。
その腕は細くて、手は小さくて、抱えているとぐったりと力が抜けている彼女の身体の儚さに驚いたことは今でも覚えている。
岸に上げると彼女は息をしておらず、すぐに蘇生の処置に取り掛かった。
やがて重ねていた唇が動いて、私は彼女の顔を見た。
息を吹き返し、ゆっくりと瞼が開かれると、彼女の金色の瞳が姿を現し、私を捕らえた。
その瞳に、釘付けになった。
彼女の目を縁取る長い睫毛が頬に落とす影や、彼女の顔にはりつき水を滴らせている髪のことも、一日たりとも忘れたことはない。
朧げな意識の彼女の手を握ると、弱々しくも握り返された。そのことが、とても嬉しかった。心の奥に、今まで感じたことのない気持ちが広がった。
やがてフェレメレン家の使用人が彼女の名前を呼んで駆け付けてきたのでそのまま引き渡した。
その時にはエドワールの正体が知られてはいけないため、名乗らずに離れた。
エドワールが助けた猫を連れて行ったため、その猫を引き取り家に迎えた。
その猫こそが、図書塔の猫警備隊隊長のシモンの母猫である。
後日エドワールが調べてくれたところ、シエナは無事に回復したそうだ。
その後もなぜかエドワールは彼女のことを調べては報告してくれたため、私は彼女の動向を把握していた。
……まあ、彼女のお義兄様とも交流があるパスカルに自分で探りを入れていたがな。
その次に会ったのは王立図書館の中だった。
彼女はまだ学生で、慈善活動で子どもたちに絵本の読み聞かせをしていた。
司書養成学校に通っているとは聞いていたが、成長した彼女の外見までは知らなかった。それでも、一目であの時の子だと分かった。
子ども以上に目を輝かせて朗読している姿を、何度か見に行った。
1回目の人生でも彼女は図書塔に配属された。
あの日、私はちっとも守れなかった。
シエナは、私を守るために盾になって死んだ。
モルガンから取り出された悪魔はエルランジェ嬢が眠らせたらしい。
パスカルと共に事態を終息させたエルランジェ嬢は塔に来て、私の腕の中で冷たくなったシエナを見て泣き叫んだ。
なぜ、なぜどれだけ先回りしても死んでしまうのかと。
どういう事なんだ?
こうなることを知っていたのか?
不審に思ってエルランジェ嬢に話を聞いたところ、信じられないことを告げられた。
エルランジェ嬢は何度も過去へと転生を繰り返し、シエナを生かそうと試行錯誤しているのだと。
やがてノアが回復すると、元王宮魔術師団員でもある彼の協力を経て転生魔法を編み出してもらった。複雑で、成功するかもわからない最上級魔法だ。
しかし、私もシエナを守るべくそれを試した。
幸いにも魔法は上手くいって、過去に転生できた。
2回目の人生ではシエナが図書塔に配属にならないようにした。
館長に根回して彼女を辞めさせて領地に戻したが、それでもお義兄様と一緒に建国祭の準備をしに来て死んでしまった。
目の届かない所で死んだ彼女の訃報を聞いた時には、本当に気が狂いそうになった。
ぜったいに、君を死なせない。君が死んでしまっては、どんな平和な世界であったとしても幸せな物語とは言えないのだ。
今度はもう、私の手の中で守るしかない。
ドアノッカーの音がして、私は1階に降りる。扉を開けると、少し緊張した面持ちの彼女が立っている。
「初めまして、本日からこちらに配属になりましたシエナ・フェレメレンです。早くこちらでの仕事を覚えられるよう最善を尽くしますのでよろしくお願い致します」
3回目となる”初対面”。
そういえば、前回の”初対面”はいきなりフェレメレン家に婚約の話を持ち込みに行ったから、お義兄様に随分警戒されていたな。
あの時はフェレメレン家の侍女頭を名乗る女性が助け舟を出してくれたのを覚えている。
彼女と話せて嬉しいのに、ずっと待ちぼうけを喰らっていたものだから少し意地悪してやりたくなる。
「ああ、遅かったな」
ずっと待っていた。先回りして、先回りして、来たる日に備えてきた。
だから私たちはもう、君を守る準備はできている。
さあ、君と私たちが幸せになれる物語を始めよう。
と、まあ意気込んで今日まで戦ってきた。
今こうやって、城の応接間のソファに並んで座っているうちに眠ってしまったシエナが私に身体を預けてくれているのが、どれだけ幸福なことか。
ただ気がかりなのは、今までの人生では名前で呼び合う間柄だったのだが、今世では作戦のために距離を取っていたこともあり、彼女の中での私はまだ上司であるということだ。
早くまた呼んで欲しい。この気持ちはいつまで抑えられるだろうか。
どうにか落ち着かせるために、贅沢を言うものではないと自分に言い聞かせている。
なぜなら私はやっとのことで、この手からすり抜けるばかりだった彼女を捕まえられたのだから。
今はこれ以上を望まず、この幸せを噛みしめよう。
……しかしだな、気がかりは尽きないばかりなんだ。
なんせ、私がモルガンに想いを寄せているとシエナが勘違いしていたとは藪から棒である。
それを聞いてからずっと、口では言い表せない想いを抱えているのは事実。
……そうだな、敢えて言うとしたら、「マジか……」である。
結
「へーへー。どーんだけ言って聞かすつもりなんですかい?」
むしろ、いくら言っても足りないくらいだ。
なぜならこいつは2つ前の前世では、彼女が初めてここに来た日に魔法をかけて変な幻覚を見させたのだから。今回は阻止してやる。
今日、ようやくシエナはここに来る。
初めて彼女と出会ったのは、2つ前の前世の、幼い頃。
エドワールとお忍びでフェレメレン領を訪れた時のことだ。
その日、父上は緊急の召集で城に向かうこととなり、護衛という名の監視役が1人減ったため、自由の身になったエドワールにここぞとばかりに連れまわされた。
あいつの気まぐれで大人たちから離れて湖の近くを歩いていると、悲鳴が聞こえてきた。
駆けつけてみると、シエナが猫と一緒に湖に落ちてしまっていた。
湖に入り彼女に近づくと、彼女は腕をいっぱいに伸ばして猫が沈まないよう守っていた。
手を伸ばし、もう少しで彼女の腕を掴めるといったところで、彼女の身体は力が抜けてしまい湖に呑み込まれてゆく。
私は急いで猫を掴んでエドワールに投げて渡し、湖に潜り彼女を引き上げた。
その腕は細くて、手は小さくて、抱えているとぐったりと力が抜けている彼女の身体の儚さに驚いたことは今でも覚えている。
岸に上げると彼女は息をしておらず、すぐに蘇生の処置に取り掛かった。
やがて重ねていた唇が動いて、私は彼女の顔を見た。
息を吹き返し、ゆっくりと瞼が開かれると、彼女の金色の瞳が姿を現し、私を捕らえた。
その瞳に、釘付けになった。
彼女の目を縁取る長い睫毛が頬に落とす影や、彼女の顔にはりつき水を滴らせている髪のことも、一日たりとも忘れたことはない。
朧げな意識の彼女の手を握ると、弱々しくも握り返された。そのことが、とても嬉しかった。心の奥に、今まで感じたことのない気持ちが広がった。
やがてフェレメレン家の使用人が彼女の名前を呼んで駆け付けてきたのでそのまま引き渡した。
その時にはエドワールの正体が知られてはいけないため、名乗らずに離れた。
エドワールが助けた猫を連れて行ったため、その猫を引き取り家に迎えた。
その猫こそが、図書塔の猫警備隊隊長のシモンの母猫である。
後日エドワールが調べてくれたところ、シエナは無事に回復したそうだ。
その後もなぜかエドワールは彼女のことを調べては報告してくれたため、私は彼女の動向を把握していた。
……まあ、彼女のお義兄様とも交流があるパスカルに自分で探りを入れていたがな。
その次に会ったのは王立図書館の中だった。
彼女はまだ学生で、慈善活動で子どもたちに絵本の読み聞かせをしていた。
司書養成学校に通っているとは聞いていたが、成長した彼女の外見までは知らなかった。それでも、一目であの時の子だと分かった。
子ども以上に目を輝かせて朗読している姿を、何度か見に行った。
1回目の人生でも彼女は図書塔に配属された。
あの日、私はちっとも守れなかった。
シエナは、私を守るために盾になって死んだ。
モルガンから取り出された悪魔はエルランジェ嬢が眠らせたらしい。
パスカルと共に事態を終息させたエルランジェ嬢は塔に来て、私の腕の中で冷たくなったシエナを見て泣き叫んだ。
なぜ、なぜどれだけ先回りしても死んでしまうのかと。
どういう事なんだ?
こうなることを知っていたのか?
不審に思ってエルランジェ嬢に話を聞いたところ、信じられないことを告げられた。
エルランジェ嬢は何度も過去へと転生を繰り返し、シエナを生かそうと試行錯誤しているのだと。
やがてノアが回復すると、元王宮魔術師団員でもある彼の協力を経て転生魔法を編み出してもらった。複雑で、成功するかもわからない最上級魔法だ。
しかし、私もシエナを守るべくそれを試した。
幸いにも魔法は上手くいって、過去に転生できた。
2回目の人生ではシエナが図書塔に配属にならないようにした。
館長に根回して彼女を辞めさせて領地に戻したが、それでもお義兄様と一緒に建国祭の準備をしに来て死んでしまった。
目の届かない所で死んだ彼女の訃報を聞いた時には、本当に気が狂いそうになった。
ぜったいに、君を死なせない。君が死んでしまっては、どんな平和な世界であったとしても幸せな物語とは言えないのだ。
今度はもう、私の手の中で守るしかない。
ドアノッカーの音がして、私は1階に降りる。扉を開けると、少し緊張した面持ちの彼女が立っている。
「初めまして、本日からこちらに配属になりましたシエナ・フェレメレンです。早くこちらでの仕事を覚えられるよう最善を尽くしますのでよろしくお願い致します」
3回目となる”初対面”。
そういえば、前回の”初対面”はいきなりフェレメレン家に婚約の話を持ち込みに行ったから、お義兄様に随分警戒されていたな。
あの時はフェレメレン家の侍女頭を名乗る女性が助け舟を出してくれたのを覚えている。
彼女と話せて嬉しいのに、ずっと待ちぼうけを喰らっていたものだから少し意地悪してやりたくなる。
「ああ、遅かったな」
ずっと待っていた。先回りして、先回りして、来たる日に備えてきた。
だから私たちはもう、君を守る準備はできている。
さあ、君と私たちが幸せになれる物語を始めよう。
と、まあ意気込んで今日まで戦ってきた。
今こうやって、城の応接間のソファに並んで座っているうちに眠ってしまったシエナが私に身体を預けてくれているのが、どれだけ幸福なことか。
ただ気がかりなのは、今までの人生では名前で呼び合う間柄だったのだが、今世では作戦のために距離を取っていたこともあり、彼女の中での私はまだ上司であるということだ。
早くまた呼んで欲しい。この気持ちはいつまで抑えられるだろうか。
どうにか落ち着かせるために、贅沢を言うものではないと自分に言い聞かせている。
なぜなら私はやっとのことで、この手からすり抜けるばかりだった彼女を捕まえられたのだから。
今はこれ以上を望まず、この幸せを噛みしめよう。
……しかしだな、気がかりは尽きないばかりなんだ。
なんせ、私がモルガンに想いを寄せているとシエナが勘違いしていたとは藪から棒である。
それを聞いてからずっと、口では言い表せない想いを抱えているのは事実。
……そうだな、敢えて言うとしたら、「マジか……」である。
結