薬術の魔女の結婚事情
晦日の雨祭り。
「……あ、雨だ」
屋敷の庭に目を向け、薬術の魔女は呟いた。
どんよりと昏く陰った空と、湿度の高い空気。それらが雨を呼び、外気温を下げて静かな雨粒の弾ける音や雨垂れの音を奏でている。
修学旅行が終わってから数日後、薬術の魔女は魔術師の男の屋敷に足を運んでいた。
「…………未だ、勉強の途中でしょう」
本から視線を上げた魔術師の男は、咎めるように言う。夏休み前の期末テストを控えていた薬術の魔女は、今回もまた魔術師の男の屋敷で勉強を行っていた。
「だって、珍しいんだもん」
「……まあ、そうですね」
パタン、と本を閉じて魔術師の男も薬術の魔女と同様に窓の外を見た。
この国では、雨は浄化の象徴である。
特に、春の終わりから夏にかけて降る雨は、世の中の不浄を洗い流すもの、恵みをもたらすものとして、特別視されている。
ゆえに、雨の時期の婚姻は最も清らかでめでたいものと扱われる。
逆に、最もめでたくない日は、虚霊祭の時期である。数多もの行方不明者を輩出する日なので、否定は難しいだろう。
×
「……今日__の辺りで『雨祭り』が有るようですね」
窓の外に目を向けたまま、魔術師の男は呟いた。
「え、本当?」
薬術の魔女は目線を庭から魔術師の男に変え、身を乗り出して聞き返す。
「はい。雨天と祭りが重なるとは運が良い……というべきなのでしょうか」
この時期に降る雨のことを『清め雪ぐ雨』と呼び、『雨祭り』とは、その雨のめでたさにあやかった祭りだった。
昔は雨の日に行われていたようだが、近年では各地域で特定の日付けに定められ、晴れていても行うようになった。
『雨祭り』は地域によって開催時期が前後するので虚霊祭のように国全体がそのイベント一色に染まる事はない。
そして、大抵の祭りごとでは神に祈って晴天にしてもらうので、雨天と祭りが被るのは大変に珍しい。
しかし、雨天がありがたいものとされていても服が濡れれば不快であり、足元は汚れ面倒なことになる。なので、雨天中止となる事が多い。
「見に行くの?」
「……貴女の、気分転換にもなるでしょう」
「うん。お出かけは別にいいけど、濡れるかもだよ? わたしは大丈夫だけど」
「私も、泥で汚れる濡れ鼠等、平気なのでお構い無く」
「そっか。きみが気にしないならいく」
×
雨祭りは、木枠に紙を張ったいわゆる灯籠が会場中に飾られ、薄闇だと幻想的な光景となる。
場所によっては天燈を浮かべたり、運河などに灯籠を流す地域もあるらしい。
「うわぁ、やっぱりきれいだねー」
燈の灯る会場の灯籠たちを見回し、薬術の魔女は、ほう、と小さく嘆息する。
雨天なのでやや人は少ないが、簡単な屋台やテントなどが会場に並び、賑やかだった。
「珍しいね? きみがデートに誘うなんてさ」
楽しそうに、薬術の魔女は魔術師の男を見上げる。
「……そういうもの、なのでしょうか」
「んー、それ聞かれちゃうとちょっと困るんだけど……」
薬術の魔女言葉を受け、魔術師の男は逃げるように視線を横に逸らし、それに彼女は困ったように眉を寄せた。
「……貴女は、結婚については如何お考えですか」
雨の降る会場を傘を差しながら歩いていると、その少し後ろを歩いていた魔術師の男が言葉を投げかける。
「結婚? それって、今じゃなきゃダメ?」
薬術の魔女は足を止めて振り返り、傘越しに魔術師の男の顔を見た。彼は薬術の魔女の横に追い付くと、足を止める。
「割と、大事なことなのですよ」
横に立ったまま、魔術師の男は流し目で魔女を見下ろした。
「……んとね、きみと結婚するのは悪くないと思ってるよ?」
少し考えたのち、きょと、とした顔で薬術の魔女は魔術師の男を見上げる。
「きみはわたしを不当に扱うことはなさそうだし」
「『不当』……とは」
「よくある相性結婚の弊害の代表みたいな仕打ち」
「……嗚呼、成程」
貴族が平民を娼婦まがいとして扱っているらしい話のことか、と魔術師の男は見当をつけた。
「きみの他に結婚したいと思う人もいないし」
意外とあっさり、薬術の魔女はそう答える。魔術師の男は、薬術の魔女の顔を見ようを視線を向けたが、運悪く傘でよくは見えなかった。
「……そうですか。まあ、後一年程、期間が有りますから。……ゆっくり、考えて下さいまし」
魔術師の男は薄く微笑み、薬術の魔女に告げる。
×
「(……きみと結婚したいと思ってるよって、言ったつもりなんだけどな)」
魔術アカデミー寮の自室に戻り、薬術の魔女は小さく息を吐く。
なんとなく恥ずかしいので、はっきりとはいえなかったが。
結婚できる理由は『悪い所があまり無い』からだ。かなりの高身長は少し気になるものの、気遣いは不快でないし、料理は美味しいし、声も好みで顔も良い。
身分の問題は相性結婚の制度でどうにかなるだろうし、周囲からどう見られても薬術の魔女自身はそこまで気にしない。
それに、やはり彼の他に『良い人』が見つかる気もしなかった。
だが、雨祭りでの彼の様子を思い出す。
何だか魔術師の男は、薬術の魔女と結婚するのをどこか渋っているような気配がするのだ。何かを恐れて隠そうとしているとか、手を伸ばすのを諦めようとしているとか、そういった気配が。
あまり彼に信用されていないらしい、と薬術の魔女は小さく溜息を吐く。
「(ま、いっか。なんとかなるよ、たぶん)」
そして、第五学年の期末テストはいつものことながら一位の成績で修め、夏季休業が始まった。
×
「(……もうすぐ、彼女の学生生活が終わる)」
魔術アカデミーの第六学年は、今までと違い授業がほとんどなくなる。そして、将来に向けての自主的な行動が推奨される。
彼女は、どのような道を選ぶのだろうか。
「(其の先に、彼女の隣に、私が居るのか)」
そう思いながら、魔術師の男は一年の最後の儀式である豊穣の儀の会場へ足を運んだ。