薬術の魔女の結婚事情
魂の形
薬術の魔女が帰った後、魔術師の男はやや呆然とした様子で石版を自室の奥にしまう。
自室にしまった理由は、その場所が屋敷内で最も防御系、守護系の魔術のかかった安全な場所だからだ。万が一窃盗や強盗などに屋敷へ入られても、許可が降りていないならこの部屋にはたどり着けない。防犯関連の術式を、ついでに彼女に分け与えた部屋にもかけておくべきか、と少し考える。
自室内の椅子にゆっくり腰を下ろす。魔術師の男自身の体重で椅子の軋む音がした。
「ーー……」
彼女の魂の形が、人間ではなかった。知らずに詰めていた息を吐く。
まさか、と思った。
いや、どこかでは既に気づいていたのかもしれない。彼女の思考は独特だったのだから。あまりにも他者に優しくて、他者を信じるなんて尋常でない。
だからか、思いの外に魔術師の男自身は驚いていなかった。
この世界での魂はその人の気質であり思考であり、根本の善悪などの価値観の指標だ。
「(あの形は……妖精、でしょうか)」
思考して、他の形と比べても妖精以外あり得ないだろうと結論付けた。
彼女の、あの善良な気質ならば間違いなくそうだ。
揺らめく植物のような形の魂。
精霊と妖精は別物だ。精霊は魔獣の仲間で、妖精は魔法生物の一種。
人でない妖精であるならば、彼女に精霊や魔獣が集りやすいのも納得がいく。
そして、本当の彼女の監視理由は『高性能の製薬能力』と、『一般人からややずれた価値観』ゆえのものだと気付く。一般の価値観と合わないのでそれを防ぐために監視が付いたのだと。
魂の形が人間でない者は、この国にはそれなりにいる。なので別段珍しいものではない。
10名の人間がいれば、少なくとも一人くらいは人間以外の形をした魂を持っている。
特に、古き貴族の本家に近い者の魂は魔獣に近い形をとる。
魔術師の男自身も本家に近い古き貴族なので、魂の形が魔獣に近かった。おまけに兄のせいで猫魈の魂が混ざっており、魂の形はほとんど人間ではない。歪な、獣の形をしている。
だからか、薬術の魔女の魂が人間でないと知った直後、安堵を得ていた。
『この娘は自分と同じで人でないのだ』
と。
安堵とともに、『何故、あの娘は人でないのに恵まれて居るのだろうか』と不思議に思った。
特に、嫉妬などは感じていない。ただ純粋に、婚約者である娘のことが知りたかった。
彼女の感覚がどこまで人間と同じで、どこまで人間と違うのだろうか。
それを、確かめてみたい。
「(……然し、何の様にして確かめましょうか)」
そもそも、彼女の性格は善性であり、かなり人間に近い価値観を持っている。だから、普通の接触では通常以外の反応を示すことはまずあり得ない。二年と少し、ほぼ毎日監視していたのだから、それくらいは分かっている。
「(……成らば、感情を揺さぶるのは如何でしょうか)」
思案する。
彼女は、ころころと表情を変える。だが、それは喜びや小さな不満程度のものばかりだ。
嫌悪や拒絶などの強い負の感情は見たことがない。だからこそ、その感情を見てみたい。善良な彼女の、剥き出しの感情や汚れた部分など。
「(…………いえ。余計な気は、起こさないでおきましょう)」
ふと我に返り、歪みかけていた口元を抑える。抑えていた本来の性格が表出しないように。だが、気を緩めるとどうしても嬉しさと楽しさが込み上げてきてしまう。
「(……鎮まらねば)」
せっかく面白そうなものを見つけたのに、すぐ壊してしまうのは勿体無い。
そう思いつつも、どうにかして彼女の感情を揺さぶってみたいと強く思う。思い返せば、自分ばかりが振り回されているようで、気に入らなかったのだ。(無論、彼の気のせいであるのだが。)
薬術の魔女や一般の人間達とは異なり、魔術師の男は善良な気質ではなかった。
元より古き貴族の血筋のせいで人間より攻撃的な魂だというのに、混ぜられた猫魈の魂のお陰で、それが悪い方に傾いている。猫魈は、人に害を成す魔獣あるいは精霊だからだ。
それゆえに、本来としての彼は壊す事と掻き乱す事に楽しみを見出す気質だった。
善悪で分類すれば、間違いなく悪性だ。人が苦しみもがく不幸な様を見る方が好物であるから。
「(彼女の倫理観に触れない程度の軽い悪戯程度成らば、今まで通りに流すでしょう)」
彼女が大きく感情を動かしたのは、どういった状況だっただろうか。少し考えて、とある内容を思いついた。
監視の仕事に影響が出ない程度、一般的な常識から逸脱しない程度、で、仕掛けてみようか。
「……ふふ、楽しみですね」
魔術師の男は微笑む。
その時に、彼女がどのような反応を返すのか。