薬術の魔女の結婚事情
まさか、はかっていたわけではあるまいな。
「どうしよう」
窪みにはまったまま、薬術の魔女は呟く。動けないので騒ぐ方が危険だと判断したのだ。
ぴったり過ぎて、というより上手い具合に身体の重心がずれていて、起き上がれない。おまけに周囲の環境は柔らかい土と細い葉や蔦ばかりだった。
「あっ、服の中に土入った……」
首元などの服の隙間から、少し冷たく柔らかい塊の感触がする。少し動くとじゃりじゃりとしたものが服の中で肌と擦れた。
「(……もしかして、思ってる以上に危ない状況?)」
もしかしなくとも非常に危険な状況だが、なぜか非常に眠たかった。
「(…………あ、『夢見草』)」
少し考え、なんとなくで原因を推測する。
薬術の魔女は穴から落ちる際に、回収した『夢見草』の花たちを周囲に撒き散らしたのだ。
今も、夢見草のふわふわな花に埋もれている。側から見れば葬式に見えなくもない。
「(ねむっちゃ、だめ……)」
柔らかくて心地が良い。
頭がぼんやりとしてきた。
瞼が、重い。
夢見草の入眠成分や、はまった窪みの適合感、山登りなどで知らずに蓄積していた疲労が相まって、薬術の魔女はその目を閉じた。
×
「ん……」
目を開くと、すっかり空が暗くなっていた。月が明るく、空には星が瞬いている。薬術の魔女は相変わらず、窪みにはまったままだった。
窪みの中はやや温かいけれど、秋の初旬とはいえ外はきっと寒いのだろう。
だが、あまりにも周囲が静かだと思った。生き物の音や気配がしない。この場所が魔獣の巣穴ならば、巣の持ち主も現れるはずなのに。
「……おなかすいたなぁー」
小さく、お腹が鳴った。元々、昼前には家に戻る予定だったので、朝食や道中の塩分や水分以外は、何も口にしていない。
と、
「…………随分と、呑気ですねぇ」
上から知っている声が降った。呆れと苦笑が混ざった声だった。
「あれ、なんでいるの」
見上げると、魔術師の男が窪みの少し上で覗き込んでいる。月明かりのおかげか、周囲が暗くても彼の姿がよくみえた。
「……卜占で、見つけました」
小さく溜息を吐いた後、彼は答える。
「…………そっか」
忙しいだろうに、わざわざ見つけにきてくれたらしい。その事実に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ね、ここ天国とかじゃないよね?」
魔術師の男を見上げ、問いかける。なんとなく月明かりが綺麗で、それに照らされる彼も作り物のように綺麗で、思わずその言葉が溢れた。言ってから変なことを言ってしまったと頬を赤らめる。
「……残念ながら」
やや眉尻を下げ、彼は目を伏せた。
「ぅえっ?」
本当に死んでしまったのかと、薬術の魔女は目を見開く。
「私は天国等に行ける身でないので」
「そうなの?」
直後、にこ、と魔術師の男は微笑んだ。そこで彼女は軽く彼に揶揄われたのだと気付いた。
「其処が、地獄に見えますか?」
「……わかんない」
やや気まずくなり、拗ねながら答える。それに窪みの中からは空しか見えないのだから、分かるわけがなかった。
「でも、ここってまだ使われてる魔獣の巣穴だったと思うんだけど」
「……ええ、其の様で」
薬術の魔女の問いかけに周囲に一瞬目を向け、彼は肯定する。
「わたし、食べられてない?」
「はい。残念ながら」
薬術の魔女の問いかけに魔術師の男は深く頷く。どうしてそこで残念そうにするのだろうか。
「因に……巣穴に入れず周囲を彷徨いていた魔獣成らば、私が全て排除致しましたが」
「え、大丈夫?」
魔獣達が巣穴に戻れなかったから、自分は無事だったのだろうか。と彼女は考察する。巣穴の形状から、細長い肉食の魔獣だと思っていたのだが。
「はい。唯の黒い大蛇ですので問題は有りませぬ」
「やっぱり蛇型の魔獣のおうちだったのか……」
「あれを見た直後は貴女が食われたかと思い、腹を捌いてしまいましたが、何の個体にもいらっしゃらなかったもので焦りました」
「……ごめんなさい」
腹を裂くまで存在が分からなかった、というのは割と大きめの魔獣だったのではないのか。そう思い、巣穴の外がどんな状態になっているのだろうと気になり始める。
「処で、動けますか」
至極冷静な声で、魔術師の男が問いかけた。逆光で見辛いが、きっと真剣な顔をしている。
「起き上がれないけど、手を動かすくらいならなんとか」
自身の重心がずれていて周囲の土も柔らかいのだと伝えた。
「其れは僥倖。では、此れに御捕まりなさいませ」
薬術の魔女の返答に満足し、魔術師の男は紐のようなものを垂らす。
「ん」
捕んだ直後、するり、と滑らかに薬術の魔女の手首を滑り、薬術の魔女の身体に巻き付いた。
「えっ、なにこれ?」
紐のようなものはするすると薬術の魔女の身体の表面を流れるように滑り、腰や太腿、足首にまで巻き付く。どこかで分岐しているのか、気付けば身体のほとんどをその紐に巻き付かれていた。
「引き上げるだけで御座います。……怖がらないで下さいまし」
そう言われても、紐が身体に食い込んでなんとなく反応に困る。だがきっと、彼なりの親切心なのだと思い文句は言わないでおいた。