薬術の魔女の結婚事情

独白。


「あ、おっきいねこちゃんだ」

 一年が切り替わった次の日。

 薬術の魔女は魔術師の男の屋敷で薬品を作っていた。それは研究のものではなく、ただの趣味で作っているものだ。
 年越しの儀のあと『しばらく屋敷には戻れない』と魔術師の男に言われたので、書庫に貯蔵されている本を読んだり、薬品を作ったりして時間を潰そうと薬術の魔女は思う。実際のところは合鍵も持っているので勝手に屋敷を空けて出かけることもできたはずだが、それをしなかった。なんとなく、彼を屋敷の中で待っていたいと思ったからだ。

 何かの気配を感じ視線を向けると、大きな黒っぽい毛並みの猫が屋敷の中に居た。長毛種のようで、ふわふわな毛並みをしている。
 しなやかな(たたず)まいで居り、薬術の魔女の腰くらいの位置に頭がある。(『大きい』どころではなく、普通の野生の獣ぐらいである。)

「……前、どこかで会った?」

薬術の魔女は猫に近付きながら訊くと、猫は深い緑の目で薬術の魔女の顔を見上げただけだった。

「気のせいだったかも?」

 撫でようと手を伸ばすと、するりと避けられてしまう。

「んー」

 ふわふわそうな毛並みに一瞬も触れられず、不満に口を尖らせる。きっと素晴らしい触り心地だっただろうに、と惜しく思ったのだ。
 どこに行ったのかな、と猫が移動した先に視線を向けると

「……あれ」

猫はいつのまにか居なくなっていた。

×

「またきた。おっきいねこちゃん」

 昨日と同じ時間に、また黒っぽい毛並みの猫が現れていた。
 この日は昨日よりもやや長い時間、近くにいた。
 薬術の魔女が薬品を生成しているのを、座って眺めていたのだ。長い尾をゆらゆらとゆっくりと揺らし、薬品の生成を注視しているように見えた。

「ねこちゃん」

声をかけ近付くと警戒した様子で立ち上がり、触ろうと薬術の魔女が手を伸ばすとすり抜け、いつのまにか居なくなる。

「うーん。気まぐれねこちゃん?」

 首を傾げるも返事はない。
 そういえば全然鳴かないねこちゃんだな、とふと思った。

×

「あー、おっきいねこちゃん。きたんだね」

 三日目。
 気まぐれで触らせてくれない来訪者を歓迎して、薬術の魔女は猫の方を見る。
 そして、ようやく頭を触らせてもらった。
 いつも通りに薬品を生成していたら姿を現し、傍でその様子を注視する。そこで、

「ねぇ。おっきいねこちゃん、頭だけでいいから触らせて」

と、お願いしてみたところ、「仕方あるまい」と言いたげに鼻を鳴らし、許可してくれたのだ。

「わ、すごいふわふわさらさらだ」

 指通りの良い柔らかい毛並みで、温かかった。

×

「おっきいねこちゃん」

 四日目。
 再び猫が現れる。
 猫が現れると、薬術の魔女は薬品生成の手を止め、猫に近付いた。
「撫でるのか」と言いたげに猫は薬術の魔女を見上げたが、

「ううん。……今日はね、お話を聞いてほしいかも」

と、両膝を揃えて立たせた三角座りで、猫の側に座り込んだ。その様子をしばらく見つめ、猫は腰を落とす。
 話を聞いてくれるのだと判断し、薬術の魔女は口を開く。

「あのね。わたし、あの人のこと……好き、みたいなんだ」

 言いながら、薬術の魔女は猫を見下ろし、

「あ、信じてなさそう」

口を尖らせる。

「まあ、良いんだけどね。わたしが『そう』なんだって知ってるから」

猫は興味なさそうに外方(そっぽ)を向き、身体を倒して丸くなった。

「あの人が、わたしをどう思ってるかは良くわかんないけど」

 なんとなくで、薬術の魔女はその胴体に手を伸ばす。
 触れた直後、ぴく、と身体を強張(こわば)らせたが、嫌がるような素振りは見せなかった。

「無関心じゃないみたいだから、今はそれでいいかなって思ってる」

薬術の魔女はそのまま、そっと猫を撫でる。

「あの人はね、すっごい頑張り屋さんなんだよ」

猫の方を見ると、耳だけは薬術の魔女の方を向いていたのできっと聞いてくれているのだろう。

「でもちょっと警戒心、っていうのかな? あんまり信じてくれてないの」

薬術の魔女は少し寂しそうに零す。

「ちょっと寂しいけど、そういう性格なんだろうなって」

 猫を撫でる手を止めると、薬術の魔女は両膝に頭を預けるように背中を丸め小さく呟く。

「……帰ってこないかなぁ」

×

「あ、おっきいねこちゃん」

 五日目。
 薬術の魔女は猫を見つけると立ち上がり、そっと側に近付く。猫はそのまま、薬術の魔女が近付くのを待っていた。それがなんとなく気を許してくれたように思えて嬉しくなる。

「ね、ちょっとぎゅっとさせて」

 お願いしてみると、薬術の魔女を見上げただけだった。だが許してくれたように思えたので、そっと膝を床に突き猫の胴体に腕を回した。

「……ちょっと寂しいね、ここ」

 ぎゅ、と猫を抱きしめる。温かくふわふわな毛並みの猫は、なんだか懐かしい良い匂いがした。

「あの人。ずっと一人だったんだよね」

薬術の魔女は抱きしめながら、ゆっくりと猫を撫でる。

「……同情はしてないよ。きっと、ひとりぼっちでも平気な人なんだ」

 わたしはちょっと苦手なんだ、と、薬術の魔女は小さく笑った。
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