薬術の魔女の結婚事情
予想外な
六日目の昼頃。
「……あれ、おかえり」
薬術の魔女を、魔術師の男が見下ろしていた。いつのまにか仕事場から帰宅していたらしい。
「帰ってきたんだ、早かったね?」
嬉しそうな様子で魔術師の男を見上げた薬術の魔女は、頬を赤く染める。明日まで返ってこないとすっかり思い込んでいたからだ。
「……何です。私が戻らぬ方が都合が宜しかったか」
そう、言葉尻を捕らえて魔術師の男が言い返すと
「そんなことないよ。帰ってきてくれて、嬉しかったんだ」
と薬術の魔女は、にへ、と柔らかく笑う。
「あ、そうだ。ちょっと前にお菓子作ってたの。食べる?」
「……折角なので、頂きましょうか」
立ちあがろうとする薬術の魔女を、魔術師の男は押し留め
「其の菓子は私が取り行きますので、貴女は其処で茶でも淹れて下さいまし」
と云う。
「……うん、わかった」
×
彼女が用意したであろう菓子を探しに、調理場へ向かった。すると調理台の見やすい場所に手作りらしい箱に入れられた菓子を見つける。
「……箱まで手作りとは。相当にお暇だったのでしょうか」
小さく呟く。
魔術師の男は薬術の魔女が作った菓子を取り出しながら、この数日間の事を思い出していた。姿を変えて彼女の様子を見に行った数日間の事を。
最初はただ、様子が気になっていただけだった。『薬術の魔女』の監視役として。
だが奇妙な行動はするものの、彼女は窃盗や破壊などの悪い行動はしないだろうとは思っていた。
本当のところ、魔術師の男は『自身が居ない時の薬術の魔女』の様子が気になったのだ。
監視用の式神は主に音声を届ける仕様にしているため、姿を見るにはその場へ向かうしかなかった。
姿を変えたのは、自然な薬術の魔女の様子を見るためであって、決して気まずかった訳ではない。
一日目は、薬術の魔女の様子をただ確認するだけだった。
この日に確認したあとは見るつもりなど毛頭も無かったのだ。だが、いざ直接見に行き、薬術の魔女に気付かれた際、思わず逃げてしまった。
だから、次の日にもまた、薬術の魔女の様子を見る事になった。
きっとそれが一番の間違いだったのだと、彼は思う。
二日目は楽しそうに薬品を生成していた。その実に楽しそうな様子に、思わず見入ってしまった……訳ではない。
この日は薬品生成が途中だったので、薬品の完成を見届けるために翌日も見に行くことにした。
三日目、聞いたこともないような声で懇願された。
曰く、『どうしても、その毛並みに触れたい』と。
あまりにも情けない声で言うものだから、仕方なく触れさせた。
……撫でるのが矢鱈と上手く、思わず喉を鳴らしてしまいそうになった。
四日目。
薬術の魔女が近付いたので、また撫でるのかと少し警戒していたのだが、『話を聞いてほしい』と言われる。
そこで『好き』だの、『頑張っている』だのと、また言われた。『信じてくれなくて寂しい』とも。
屹度、此の冬季期間中に人と関わる事が出来なかったために、必要以上に寂寞を感じてしまったのだろう。合鍵も作っているのだから好きに出かけるだろうと考えていたので予想外だ。
五日目。
彼女の様子が変だった。
薬術の生成もせずに、小さく蹲って。
彼女は近付くと、消え入りそうな声で『抱きしめさせて』と呟いた。
其れを許可するとそっと腕を回され、彼女は体重を預ける。力が弱弱しく、今にも消えてしまうのではないかと思えた。それと同時に、強い焦燥感に駆られる。
『寂しいのは苦手』だと呟く様子が、見ていられなかった。
「(あの様な姿を見せられては、帰らざるを得ないではないか)」
そう、言い訳じみたことを思い、内心で溜息を吐く。彼女が苦しそうだと、面白さより先になぜだか苦しさに近い感覚を得るのだ。他人が苦しむ様子など見ても、愉快か無関心の感情しか湧かなかったはずなのに。
「(……理解に苦しむ)」
訳の分からない感情が酷く鬱陶しい。ぎゅう、と胸を締め付けるかのような感覚が不快で表情を歪めた。きっと彼女といるときにだけ在る感覚なのだろう。それを理解してしまうと今までの自分で居られなくなる、と自覚できるほどに強い感情の揺さぶりだった。
「(今直ぐにでも、捨てたい)」
自分が変わってしまうなんて、もう二度と味わいたくない。
それでもきっと、何度捨てても彼女と居ればいずれは再び得てしまう感情だと分かってしまう。おまけに『捨てたい』とは思えるが実際に捨てられるとは到底思えない、重さを持った感情だ。
「……」
ふと彼女を待たせているのだと思いだした。
戸棚で見つけた菓子と帰りのついでに見かけた店で購入した菓子を持って、婚約者の元に戻る。
「えへへ。やっぱり、一緒っていいね」
出された茶を飲みながら、さも嬉しそうに頬を赤く染めて笑う彼女を眺めた。