薬術の魔女の結婚事情
ねこちゃんというか獣。
『……貴女は、』
魔術師の男は薬術の魔女が居るであろう場所に目を向ける。そして、やはり視界が見えないのは不便だと思った。
「なに?」
見上げ、魔女は首を傾げる。
『矢張り、特殊な趣味をしていらっしゃるようで』
「え、酷くない?」
突然の言葉に、薬術の魔女は眉を寄せた。すると、彼は小さく笑う。
『斯様な出来損ないの化け物が好きとは』
その言葉には、嬉しそうな楽しんでいるような色が含まれていた気がした。
「本当に、すきだもん」
頬を少し膨らまして、薬術の魔女は抗議する。
『然様ですか。貴女がそう仰るの成らば、強く否定は致しませぬ』
大分落ち着いた様子で、魔術師の男は告げた。
「……でも、『その目』は嫌」
薬術の魔女は身体を離しながら、彼の背中周辺に回していた手をその顔に再び持っていく。そして、彼の目を見つめた。
『“目”ですか』
「ん。今のきみ、おめめが黒っぽい赤の色してるの」
訊き返す彼に薬術の魔女は頷く。
今の赤黒い色も、なんとなく色味がお揃いのような気にはなるのだが、薬術の魔女はあの深い緑色の目の方が好きだった。よく見ると、彼の虹彩は濁った色をしている。そこで、もしかすると魔力が詰まっているのかも、と思い至った。
『……其れ成らば、貴女と似たような色味だと思いますが』
彼の言葉に、同じことを考えていたのだとなんとなくで嬉しくなる。だが、
「よくわかんないけど、なんか嫌」
その色を見ると、もやっとするのだ。眉をひそめ、薬術の魔女は口を尖らせる。
『…………然様ですか』
両頬を彼女に触れられた感触はあるのだが、魔術師の男にはその顔が見えない。酷く、惜しいものを見逃したような気がした。
彼も、そっと薬術の魔女の頭部があるであろう場所に、獣の前脚のような手を持っていく。頬や側頭部の辺りに手の平を当てたが、彼の手は非常に大きく指先が後頭部にまで届いた。
「おっきいね、きみの手」
その手に薬術の魔女は小さな手を重ね、くすぐったそうに小さく笑う。
『……』
どんな顔で笑っているのだろうと、気になってしまった。
「わ?!」
『……失礼』
突如、薬術の魔女の頬に、生温く湿ったものが触れた。それはべろ、と彼女の頬を舐め上げて魔力で黒く染まった彼女の顔を拭う。
「ん、なにしてるの?」
唐突に顔を舐められ、薬術の魔女は戸惑いの声をあげた。人間のものよりも大分ざらついたその感触に、「(やっぱり、ねこちゃんだ)」と思う。
『見えませんので。貴女の表情が知りたかったのです』
意外と素直に、魔術師の男は答えた。
「触ったらいいのに」
『力加減を間違えて、傷付けてしまいそうで』
不満気に薬術の魔女が言葉を零す。すると、彼は申し訳なさそうな様子で、彼女の頬に触れる手を少し動かす。その指先には鋭い鉤爪が付いており、確かに下手すれば怪我をしてしまうかもしれなかった。
「やっぱり、見えないんだ?」
『……ええ。諸事情がありまして』
「ふーん……」
ふと、薬術の魔女は目の前の婚約者と、まともに会話できているのを不思議に思った。鎮静剤を投与されているにしても、思った以上にまともに会話ができていたからだ。部屋の外や先程の姿、聞いていた話を加味すると、もう少し会話が難しいものだと思っていた。
『如何されましたか』
彼の頬を撫で、薬術の魔女はそのまま目元に手を持っていく。
「きみの中に入ってるそれ。少しだけ取ってあげる。……全部は、深すぎて取れないけど」
そう言うと、彼女は手袋を静かに外した。それから彼の頭を抱き寄せる。そして、魔術師の男に薬術の魔女自身の魔力を染み込ませた。
『……う、』
顔をしかめ、彼は低く唸る。薬術の魔女の柔らかく小さな手の感触が、心地よかったのだ。
このタイミングで、と魔術師の男は強く目を閉じたのだが、それよりも、薬術の魔女の方が酷い状態だった。
「…………ん」
強い感覚に、小さく呻く。
「(……そうだった、黒い液体、この人の魔力なんだっけ)」
彼の魔力がどこからともなく溢れて、彼の顔に触れる薬術の魔女の手に直接かかった。
触れた側から、放出器官同士を触れ合わせた時と桁違いの感覚が襲う。それには心地良さなどなく、むしろ火傷しそうな熱さとひりひりとした痛みがあるだけだった。
自覚すると、手だけでなく黒い液体がたっぷりかかっていた顔にも熱く、ひりひりとした感覚を覚える。
「(やっぱり、なにか変なのが混ざってる……)」
以前に触れた時と違い、魔術師の男の魔力には何か濁った感覚がある。魔力に直接触れたお陰で、それがよくわかった。
ゆっくり、じわりと魔力を染み込ませ、彼の目に留まっていた『何か変なの』を抽出する。
「っ、」
彼の頭を抱き抱え、魔力を染み込ませた時。強い違和感が体を襲った。物凄い異物感、というものだろうか。彼の魔力の中に潜む、『何か変なの』がすごく嫌な感じがするのだ。
「(すっごく、『嫌なもの』だ)」
すさまじく強い、悪意の感覚がある。そして、それは去年の今頃にも触れた記憶のある魔力だった。
「(確か、)」
『春来の儀』のあと、だったはずだ。そして今回も『春来の儀』のあとに倒れたと聞く。
「(……やっぱり、あんまりよくない儀式なんじゃないかな……)」
心配になるが、直接かかわっていないので、とやかく言えた立場ではないことは分かっていた。
「……どう? とれた……かな」
薬術の魔女の魔力と共に抽出された『何か変なの』をそこら辺にてきとうに放置して、彼女は問う。
『…………嗚呼、』
薄く開いた魔術師の男の目の色が、元の常盤色に戻っていた。
『見えます。貴女の顔が、良く』
嬉しそうに目を細め、彼は自身の出した液体で汚れた薬術の魔女の頬を拭うように触れる。
「よかったー」
その言葉に、心底安心した様子で薬術の魔女は息を吐いた。
『貴女は、私の言葉が分かるのですか』
「え、言葉?」
魔術師の男が零した疑問に、薬術の魔女も首を傾げる。
『家の者は、殆どが理解出来ていなかったというのに』
「んー。なんとなく、おばあちゃんが教えてくれた言葉に似てるからわかるよ」
歌とかいっぱい教えてくれるんだよ、と薬術の魔女は魔術師の男に話した。
×
それから少しして、呪猫当主が『そろそろ薬が切れる頃だから戻りなさい』と、戸の向こうから声をかけた。
「……お薬切れるんだって。だいじょうぶ?」
心配しながら薬術の魔女は魔術師の男に問う。
『……』
魔術師の男は戸の方を睨み付け、薬術の魔女を抱きしめたまま動かない。
「あのー」
『…………』
気不味そうに見上げると、彼は低く唸りながらも渋々と手を離した。
×
「ふむ」
部屋から出ると、出迎えた呪猫当主が面白そうに声を上げた。
「後朝の様な顔をしているな。楽しめたか」
心底愉快そうに呪猫当主が言った直後、
ダァンッ!
と、強く戸を叩き付ける音が響き、薬術の魔女は飛び上がる。
「ぴっ?!」
すさまじい強さで、今にも戸や壁が破られそうな音だった。
「ははは、何か言いたければ其処から出るのだな」
呪猫当主は軽く笑い、
「扨。急な処悪いが暫しの間、此の家に泊まってくれまいか」
と薬術の魔女に問いかける。
「なんで? ……ですか?」
「1週間程だ。苦ではないだろう。其れに、手紙にも『此方が全て用意する』と記していただろう?」
詳細は教えてくれなかったが、帰るための道順も知らないし持ち物も何も持っていなかったので、そのまま泊まることになった。