薬術の魔女の結婚事情
異文化との交流。
「嗚呼、そうだ。伝え忘れておったな」
魔術師の男がいた部屋の場所から少し離れてから、歩きながら呪猫当主は薬術の魔女に話しかける。
「薬猿側の者が、お前と結婚の打診をしたいらしい」
「え、いや」
彼以外となんて砂粒一つ分も考えていなかった。なので、急に入り込んだ異物に薬術の魔女は驚く。
「ふふ、そうか。私としても此の儘、彼奴と結婚して欲しい」
反射的に顔をしかめて拒否の意思を示したその様子に、小さく笑いを零した。それは作られたものではなく、自然な笑いのように聞こえる。それに完璧な作り物のように思えた、呪猫当主の『人』の部分が垣間見えたように思った。
「其れに。彼奴はもう、お前でないと無理だ」
笑いを静かに止め、そう告げる。
「え、無理?」
駄目、じゃなくて無理とはどういうことだろうか。
「……まあ、其処は良い。私としては『何処の家の者でもない』というお前が最適だと考えているのだ」
首を傾げるも、呪猫当主はそれには答えなかった。
「どうしてわたしが最適? ……なんですか?」
思わずいつもの口調で訊きかけ、咄嗟に丁寧な言葉に直す。
「貴族の者だと殆ど必ずと言って良い程に、此方と同じ『古き貴族』でも、そうでない貴族であっても。兎に角、何処かの家の息が掛かっている。分かりやすく言えば金や権力の話が絡む」
貴族って面倒なんだな、と思いながら薬術の魔女は頷く。
「街の者でもそうだ。抑々、吊り合いすら取れぬだろう」
穏やかな雰囲気で、だけれど無慈悲に呪猫当主は言った。
「……じゃあ、わたしでも吊り合い取れないんじゃ……?」
そもそも、何の吊り合いなのだろう。身分の吊り合いなら当然、学生と宮廷魔術師なので薬術の魔女では取れないだろうと思えた。年齢も、一回り程離れている。
「取り敢えず、『望んでいない』旨を私の方から伝えておこう。何、お前は私が呼んだ客人だ。此の屋敷に居る間の世話ぐらいはしてやるとも」
「ありがとう……ございます?」
微笑む呪猫当主に、「(騙し討ちで連れてこられたようなものだけどなぁ)」と、薬術の魔女は口を尖らせたが、言わないでおいた。
「先ずは其の魔力でも洗い流して来なさい。自身以外の魔力に塗れた姿、婚姻前だと言うのに見間違われても堪らぬだろう」
何に見間違えられるのだろうか、と思いながらも薬術の魔女は頷く。
「そうだ。式神を貸そう」
そう告げ、懐から札を数枚取り出した。
「わ、」
呪猫当主が放った札が、目の前で目隠しをした人の姿に変化する。それは女性らしき体格や背格好で、恐らく女子である薬術の魔女に配慮したものなのだろう。
「其れが、お前の世話をしてくれる」
す、と呪猫当主は札とともに取り出していた扇を式神達に向ける。式神は丁寧にお辞儀をした。
「ありがとうございます」
呪猫当主の方を向き感謝を告げる。
「ではな」
×
「わー。お風呂、広い」
式神が案内した先は、呪猫当主が行くよう指示した広い風呂場だ。
「……って、なんでついて来てるの?」
振り返ると式神も風呂場に入って来ていた。
「わ、自分で洗えるってばー!」
そしてそのまま、式神に体を洗われる。
「ごしごししないで、ちょっと痛いー」
恐らく魔力を落とすためなのだろうが、幼い頃に家族に洗ってもらった時以外、人と一緒に風呂に入る事も人から洗われた経験もないので、薬術の魔女はすごく奇妙な体験をしたのだった。
「……これ、どうやって着るの」
風呂から上がると、着ていた服が全て持っていかれていた。
その上、用意されていた服は薄く平面的で、見たことのない形状をしている。(さすがに、下着の類いは見たことのある形状の物だったけれど。)
「この服を着て、この帯で留める感じ?」
そう、服の形状に首を傾げていると別の式神が現れ、
「わわっ?!」
服の着付けを始めた。
「ふーん、こんな着方するんだ」
式神が離れると、結構しっかりした着心地になった。
「だけど、いつものインナーもないから、ちょっと心許ない……」
魔力の放出を抑えるインナーを着ず素肌の上に服を着るなんて、全身が放出器官である薬術の魔女にとっては物凄く久しぶりなことだった。
「魔力切れ起こさなきゃいいけどなぁ」
と、呟く。魔力の補給ができればあまり気にすることでもない。
そして式神に、くい、と軽く袖を引かれてとある部屋に案内された。
「……えっと、ここがわたしが泊まるお部屋なの?」
問いかけると式神は頷く。
そこは魔術師の男の部屋に近いところで、中にいくつかの本と食事が置かれていた。本は恐らく暇潰しのためだろう。外に出たくとも、なぜか外には出られず靴も見当たらなかったのだ。
そして置かれてあった食事は一汁一菜と平皿に、
「…………これ、何だっけ」
茹でた穀物を纏めて軽く味付けをしたものが乗っていた。
歴史の勉強で見た気がする、と思いながら
「ま、いっか」
小さく呟く。
「そっか、これが今日のわたしの夜ごはん……」
良い匂いがする上、せっかく用意してもらったので食事を始めることにした。
食事前に軽く祈り、用意されていた食器で、茹で穀物の塊を崩し掬って食べる。
「もちもちで甘い……」
弾力のある噛み心地が割と好みだった。そして食事をしながら、門限を大分過ぎてしまったことや授業のことなどが気になりだした。
「(……まあ、なんとかなるか)」
そう思うしかない。手紙にも書いてあったので手続きくらいはしてくれたのだろう。と、思うことにした。