薬術の魔女の結婚事情
花を見に。
明かりの一切ない夜。
呪猫当主は蝋燭を持ち、とある場所に向かう。目的の場所に着くと、自身に守りの呪いをかけた。
「……ほう。思いの外、早かったな」
封じていた部屋の戸を開き、呪猫当主は目を細める。彼らはようやく、上手く一つに混ざり合ったらしい。
「『神』迄をも迎えるとは思いもしなかったが」
「…………貴方が、」
呪猫当主が口元に手を遣って笑うと、戸の奥で、息を乱したそれが殺さんばかりの眼光で睨見上げた。
「貴方が、連れてきたのでしょう。あの娘を」
「そうだとも」
その中に混ざった感情に目を細め、呪猫当主は肯定する。ようやく人らしくなった、と。
そして、それの世話をさせるために式神を用意し、部屋の中へ送る。
「……何故、彼女を巻き込んだのですか」
式神に引き起こされながら、それは問いかけた。
「お前の婚約者だろう。呼んで悪いのか?」
そう返せば、それは苛立った様子で奥歯を噛み締める。
「実のところ、何処の息も掛かって居ない妖精成らば誰でも良かったが。丁度良かったであろう? お前も」
呪猫当主は、口元で小さく正気に戻ったか、と呟いた。
「お前の精霊、穢れの混ざった陰の気と、あの娘の妖精という陽の気が上手く吊り合った。そして、お前は安定した」
「……其れは、結果論であって、」
「だが。事実、あの時のお前は其れを受け入れた」
指摘をすると、それは黙り込む。気を狂わせていたとは言え、決断をしたのは当人の意思であったからだ。
「ようやっと、決心してくれたかと思うと大変に喜ばしい」
呪猫当主は目を細め、身支度を整えられていくそれの様子を見ていた。
「……人を人の形の儘、精霊へ昇華させるとは正気の沙汰では無いな」
は、とそれは表情を歪め鼻で笑う。
「無論、私は端から正気だとも。正気でなかったのはお前の方だ」
至極冷静に、それを見返した。精霊の気質を宿しておきながら人間のふりをしていたいという気概だけで人間の形をしていたそれの方が、正気の沙汰で無い。
実は、呪猫当主になると寿命が縮む。当主となる儀式の後から家を護るために三割ほど持っていかれるのだ。
そのことを知った歴代最高と呼ばれた子供は、失う寿命をどうにかして伸ばそうと考える。
結果、誰かを悪魔に仕立て上げその望みを叶える事を思い付き、それを実行した。悪魔とは、代償と引き換えに願いを叶える機構的魔法生物の事だ。
その結果が、弟である。
弟の未来の話も才能の話も事実であり、嘘ではない。むしろ、それらを持っていたからこそ、実験の対象に選んだ。そして、儀式に細工をし、肉体にあえて猫魈を宿らせたのだ。
一番の問題は、その事実をそれが認めなかったことだった。認めなければそれの中に予め埋め込んだ願いが叶わなくなる。
しかし、それももう解決した。それが自身の魂の形を認めたからだ。
これでようやく、契約が始められる。
契約に使用する代償は呪猫当主が与えた薬術の魔女。妖精の魔力を与え、それが妖精の魔力を体内に入れる事が契約の開始である。
無論それは『呪猫当主が呪猫に呼び出し、それの前に差し出した事』だけであり、法律や制度に介入した訳ではない。相性結婚で二人が引き合ったのは、本当の偶然だ。
その方法を選んだ理由は至極簡単。呪猫のためであった。
歴代最高の能力を持つ者が長く統治すれば、当主の入れ替わる回数が減り家の護りが安定する。
「然し。柄にも無く本音を言わされてしまったよ。……矢張り、妖精の気質とは厄介な物だな」
くつくつと笑い、呪猫当主は冗談めかして呟いた。
「何の戯れでしょうか。貴方には本音等無いに等しいでしょうに」
身支度を全て終えたそれは、冷ややかに言葉を返す。
×
泊まってから三日後、薬術の魔女は魔術師の男と再び面会ができるようになった。
「部屋は以前と同じ所だ。他気になる事が有れば式神に云うと良い。何か対応はするとも」
呪猫当主はそう云うなり、姿を消した。
暗い部屋の前に残された薬術の魔女は、緊張に生唾を飲んだ後、戸に手をかける。
「……嗚呼、貴女でしたか」
開かれた戸から差し込む光に、魔術師の男は眩しそうに目を細めた。元の、人の姿に戻っているようだ。
「(わ、儚さ増し増し……)」
病み上がりの彼は血の気がないのか少し青白く、纏っている衣装が薄いのも相まってなんとなく直視し難かった。
「ね、身体もう大丈夫なの?」
「えぇ。少々の休みを要しますが仕事にも戻れそうなので」
気を紛らわせるために薬術の魔女は体の具合について問いかけると、魔術師の男は問題ないと答える。
「……然し、まあ。貴女との約束が守れなそうで」
「約束?」
気落ちしたかのような声色で告げる彼に、首を傾げた。
「はい。『屋敷に在る香花の木の下に連れて行き、共に花を観る』……等という約束ですが」
そんな約束したっけ、と思いながらも薬術の魔女は相槌を打った。確か、約束したはずだ。
「此の為体では外出の許可も頂けぬでしょう」
どうやら、彼の体が自由に動かせるようになるまで結構な時間がかかるらしい。
「そっか。ちょっとざんねん」
一緒に見られないのは嫌だな、と薬術の魔女が少し口を結ぶと、
「ですが。実は、此の部屋からでも『香花の木』の花は見えるのです」
「へぇ、そうなんだ」
と魔術師の男は、薬術の魔女が居る方向と反対の位置にある戸に視線と顔を少し向ける。ピッタリと閉まっていた。
「なので……一緒に、花を観ませんか」
「ん! いいよ!」
思わぬ提案に、薬術の魔女は笑顔で頷いた。