薬術の魔女の結婚事情
意味を知ると『うわぁ』ってなる。
「……これでよし、と」
薬術の魔女は、展示場兼出店の場所を整えた後に再度、変な箇所や壊れやすい箇所などがないかと、指で指し、声に出して確認をする。
「結構、厳重に確認するね」
そんな薬術の魔女の様子を見て、友人Bは感心して頷いた。
「だって扱ってる物って『薬品』だし? 要約すれば『危険物』だし? 扱い間違っちゃったら二度と触らせてもらえないかもだし?」
と、薬術の魔女は口を尖らせ答える。
「……この間の『危険物』呼ばわり、根に持ってんの?」
「べっつにー」
「これは根に持ってるわね」
×
厳重な確認を終え、時計を見るとまだ1限目が始まる頃だった。決闘の開始時刻にはまだ時間がある。
「始まる時間までまだちょっと時間あるから、わたしは寄り道してから行くよ」
「そう? 分かったわ」
「場所取っとくから、なるべく早くね」
薬術の魔女は友人Aと友人Bに用事がある旨を伝えて、友人二人とは別行動になった。
「ふぃー、危なく提出するレポート出し忘れるところだったよー」
安堵の息を吐き薬術の魔女は『評価済み』と表紙に書かれたレポートの束をぎゅっと抱える。本当のところは最終閉め切り日にはまだ1週間ほどの余裕があるのだが、薬術の魔女は自身で設定した数日早い締め切りを守るようにしている。
「(まあ、『信用』って大事だよね)」
うんうん、と一人頷く。一年生の頃に大分やらかしてしまった気がするので、なるべく余計なことはしないように務めているのだ。
薬術の魔女が今いる場所は教師達が自身の学問の研究などを行うために引きこもる……じゃなくて、機材や薬品などを置いている研究室の並ぶ、あまり人気のない場所だ。まあ、教師に提出物の提出や呼び出された時くらいにしか生徒は利用したがらないので、人気のない場所、ともいえる。
校舎内は割と採光設備が整っているのか明るく廊下も広いが、似たような構造をしている筈なのにこの場所は廊下に背の高い棚が置かれているせいか、暗くてやや狭い。
だが、薬術の魔女は割とこういった場所の方が好みだった。ただ自室みたいで落ち着くという、そういった理由だ。
「(ま、こんなに埃っぽくて薄暗くはないけどさ)」
廊下から見えた時計の示す時刻は決闘が始まるまでまだ余裕があるが、そろそろ向かった方が良いのかな、となんとなく思えるくらいだった。
×
「(『決闘』、ねー)」
移動しながら、薬術の魔女は決闘の申し込みを目の前で見せられた時のこと。
そして、そのあと図書室で受けた衝撃のことを思い出していた。
衝撃の内容は、婚約者である魔術師の男が行った、その1の投げた手袋の拾い方についてだ。
あの、彼のやけにゆっくりした動作での拾い方が気になり、図書室で決闘の作法について結構古い文献まで遡って調べていたのだが。
「(あれってさー……)」
少しあきれのような感情が湧く。
あの時、魔術師の男はその1の顔を見ながら、ゆっくりと微笑んで拾いあげていた。それは側から見ても何か含みが有りそうな、余裕そうな雰囲気を感じ取ったが、
「(決闘相手の顔を見て拾うのは、目線を外さないから狙いを定めるって意味があって)」
思考に没頭していても、薬術の魔女が現在いる場所は一般公開はされていないので人にぶつかることはない。
「(ゆっくり手袋を拾うのは、あえてゆっくりした動作を見せ付けることで余裕を見せる、つまり遠回しに『お前に勝つなど余裕』って言っているようなもの……)」
そういえばと、魔術師の男が成績のことで『入学時から卒業まで満点』だとかマウント取ってきたのを思い出す。
「(……そして、微笑んで相手に笑顔を見せるのも同じく余裕を見せる行為……)」
余裕に余裕を重ねて、ずいぶんと余裕そうな余裕アピールだ。
「(超余裕ぶってんじゃん?)」
負けたらどうすんだよ。
「(笑顔には他にも意味あったけど、流石にないよね?)」
もう一つの意味は、『たっぷりと痛め付ける』。笑顔を威嚇と捉えた時の解釈だ。
特に『歯を見せて笑う』と、明確な威嚇の意図となる。
だが、おそらく視察の魔術師達はアカデミー生に手を出さない決まりがあるだろうから、さすがにしないだろう。……と、思う。
「(……なんか余裕そうだけど、勝てなかったらどうするんだろ)」
真剣に、魔術師の男が勝てなかった場合のことを考えてみる。……だからこその、知られていないようなかなり古い文献の作法なのだろうか。
「(というかその1のやつ、急に出てきて私を勝手に決闘の賞品みたいに扱うとか)」
信じられない、と溜息を吐く。
分かるだろうか。勝手に会話に割り込まれ、話を進められ、商品にされてしまったこの気持ちが。
「(『決闘で負けたら薬術の魔女に近づくな』……だって?)」
魔術師の男が負けたらそうなる。じゃあ、その1が負けた場合は?
「(何も言及してなくない?)」
どうなるんだよ。魔術師の男の条件と同じように、近づかないでいてくれるのか?
仮にそうであろうと、そうでなかろうと、あの様子だと勝手に近づいてくるような気がしてならない。
「『助けてやる』ってさ。何様のつもりなんだろ」
「『転生者様』か、『勇者様』では?」
「うん、そうだよね。ってうわぁっ!?」
魔術師の男の声がした。しかし急いで周囲を見回しても、あのやけに背の高いローブ姿が見当たらない。
「……えっ、どこ?」
「…………此方で御座いますよ」
声がする方に近づくと、
「………………なんでそんなとこにいるの?」
教室側の廊下に置いてある背の高い薬品棚達の間に、魔術師の男はいた。服装は、普段通りの魔術師のローブ姿。
「棚よりちょっと大きいね?」
「えぇ。其の様です。……因みに、棚の上に埃と虫の死が「そーいうのはいいよ」
「かく言う貴女は……珍妙な格好をなさっておりますね」
「きみの口調の方が珍妙だと思う……じゃなくって、ほら! 今! 『虚霊祭』だからさ!」
「…………叫ばずとも聞こえておりますよ」
「……ごめん」
「いいえ。まあ、私の言葉が古い事は理解はしておりますよ。勿論」
「あ、そうなんだ」
ついでに、せっかくだから聞いてみることにした。
「そういえばなんだけど、きみって貴族?」
「……えぇ。まあ、そうで御座いましたね」
「やっぱり?」
「古くからある家なので……まあ、言葉に古いものが残っているのは仕方ありますまい」
「そーなんだ」
×
「決闘、当事者なのにこんなとこにいて大丈夫?」
「一応、貴女も当事者ですがね」
授業時間は1時間半もあり、まだ時間にかなりの余裕があるとはいえこの場所は割とグランドから遠い。
「わたしは提出物の提出に来ただけだし、決闘に関して言えばただの賞品だよ」
「賞品……ですか」
「だって負けたら近づかないとかの条件に入ってるし」
「成程」
「ね、きみが勝ったらどうするの?」
「……同様の内容に成るだけでは」
「ふーん」
まあそれが妥当かもしれない。
「……もしかして、棄権すrむぶ」
薬術の魔女があえて遅刻をし、決闘を棄権するのかと問おうとした直後、彼の左手で頬を挟まれた。身体が大きいので片手であっさりと口元を塞がれる。
「……棄権等、為る訳が有りましょうか」
じ、と薬術の魔女を見つめていた、絵の具のような深い緑色の目がゆっくりと細まる。
真っ直ぐ見つめる視線に、釘付けになってしまう。
「(……目の奥が、紅い?)」
ふと気付いた瞬間、つい、と視線を逸らされてしまった。
そして彼は薬術の魔女から手を離し、
「折角の実力のあるアカデミー生から、直々に、そして私だと指定して頂いた決闘ですよ」
にこ、と外面モードの顔になった。周囲に目を向けると、ちらほらと遠くに人の姿が見えてきた。
「視察の者として、素晴らしい機会です」
「……その割にはずいぶんな拾い方してなかった?」
「…………はて。何の事でしょう」
微笑み、彼はゆったりと首を傾げた。
「(うわぁ、白々しい)」
その態度、分かっててやったと判断するからな。
「では、そろそろ私も指定場所へと向かいましょうか」
足を止め、魔術師の男は薬術の魔女に告げる。時計を見ると、あと30分ほどで1限目が終わる時間になっていた。
「……送ってくれないの?」
と、勝手に溢れた言葉に、薬術の魔女は自分で驚く。
「私にも準備が必要ですからね。もう一つ、私が決闘前に貴女を送ってしまうと、其れこそ問題になるでしょう?」
「……そーだね」
「では。……ああ、道中、周囲にご注意下さいませ」
と、彼が優雅に頭を下げた直後、その姿が消えた。
「……『周囲』?」
薬術の魔女は首を傾げる。
×
魔術師の男の忠告通りに、薬術の魔女は周囲を警戒しながらグランドに向かう。
「(何も変なことなくない?)」
気になることは妙に女子が多いこと、そのうち数名が厳しい視線を寄越したことくらいだろう。
誰かを待っているかのような探しているかのような印象を持ったが、薬術の魔女自身は関係がなさそうだ。
×
決闘場所のグランドに着くと、たくさんの見学者が集まっていた。
「(……なんだろ。何人か教師がいる)」
それに、他の視察の魔術師達とかも。おまけに、なんだか偉そうな格好の人もいる。
「(……貴族の扮装かな)」
そして、決闘なのに意外と女子も多い。
集まった学生達の数名は、魔術師の男が時折行う課外授業に何度か参加している者のようだ。おそらく、噂を聞きつけてやってきたのだろう。
「あ、こっちこっちー」
「飲み物、一応買っておいたわよ」
友人達を探して周囲を見回していると、友人Bが薬術の魔女に向かって手を振り、友人Aも手に持った容器を掲げた。
「ただの私闘なのに見学者多くない?」
と、薬術の魔女は友人Aと友人Bに問いかける。下手すれば、メインであるはずの武闘大会の不人気な者同士の戦いよりは多いかもしれない。
「あなた知らないの? あの転入生、割とモテるのよ」
「そうそう。特に最近は学年どころか教師とか色々構わずにファンとか作ってるんだよ」
「へー」
なんだ、その1がモテ男で魔術師の男が顔の良い人だから人が集まってる感じ? と、内心で思う。
他の、偉そうな人はもしかすると相手の魔術師の男が『宮廷魔術師だから』、集まったのだろうか。
「(そっか。少し心を入れ替えた(っぽい)その1は妙に偉そうなその態度を辞めてから、人にモテ始めていたのか)」
あまり興味ないが。ついでに、そんな彼のファン達は『親衛隊』と呼ばれているらしいと聞いた。つまり、道中にすれ違った数名の女子達の正体はその親衛隊達……だろうか。
「……なんであんなに廊下や通り道を陣取ってたんだろ」
ちゅう、とベリーミックスハーブティーをストローで飲みながら、呟いた。
×
「びびらずに来たな」
「……何を畏れる必要が?」
「俺とお前の実力差に、な」
「……まあ。確かに唯の仔鼠と猫魈……魔猫程の差が有りますが」
「それは、俺が『魔猫』って事で良いんだな?」
「……まさか」
堂々としていて自信満々なその1と、ゆったりと佇む魔術師の男。周囲の声が騒がしく、何を会話しているのかは不明だが、あまり楽しいものではないだろうと予想はつく。
〈それでは、決闘のルールを再確認します〉
と、音響用の魔道具を持った学生が仕切り始めた。
「あれ誰?」
「親衛隊の一人で、大体ああいう転入生絡みの勝負事に出張って進行と審判してる子」
「へー」
「……興味なさそうね」
×
決闘の始めは、魔力さえあれば誰でも無詠唱で放てる魔弾をぶつけ合う、撃ち合わせだ。
二回、任意のタイミングで魔弾を撃ち合い、三度目の魔弾がぶつかった瞬間から本当の決闘が始まる。
〈1!〉
「はぁっ!」
「……」
一定の距離に離れた二人は小型の杖を振るう。お互いが放った魔弾は大体二人の中間地点でぶつかり、弾けた。
「……互角、だな」
「同威力なだけしょう」
決闘では、これで大まかな相手の強さを知ることができる。このタイミングで実力差を思い知り、降参することもあるらしい。
〈2!〉
「はっ!」
「……」
やや強めに放たれた魔弾は、やや魔術師の男の側で弾けた。
「……ふん、どうだ?」
「…………勝ち誇るに尚早では」
〈3!〉
「はっ!」
「……」
放った魔弾が突如その1の目の前で爆ぜ、
「ぐっ?!」
その1が後方に吹き飛び土埃が舞う。
そして。
「……『勝負有り』、ではないのですか」
土埃が少し収まったその場所には、地面に横たわるその1と、その側にしゃがみ、額へ小型の杖の先を当てた魔術師の男がいた。
×
あっさりとその1が負けた。
「はっ?! え、この流れだと、俺が勝つやつじゃ……」
「はて……一体何処に其の様な流れが在りましたかな」
口元へ優雅に手を遣り、魔術師の男は冷笑する。
「な、何故だ……他の魔術師達には勝てていたはずなのに……!」
戸惑うその1に、魔術師の男は言い捨てる。
「……数名の、予め縛られている視察の魔術師に勝利しただけの癖に思い上がりも甚だしい。其れに、私は唯の魔術師とは鍛え方が違います故」
実はこの魔術アカデミー内では、学生と教授以外は魔術の行使が難しくなる効果がかけられているのだ。
「仮に貴方が何者かであろうとも。唯の学生如きに遅れを取る等有るものか」
「……くっ!」
その1は、悔しそうに顔を歪める。
「処で。貴方が敗北した際の指定……されておりませんでしたね」
「……近付くな、っていうのか」
「まさか。私のような一介の他人が同級生等という枠組みで括られた貴方方に何が言えるでしょうか」
にこやかに笑みを浮かべた魔術師の男は、握手をするように手を差し伸べ、
「……」
不機嫌そうな顔をしながらもその1はその手を掴む。
「私が唯一言える事は――」
健闘を称えるように、憮然としたその1を引き寄せ
「『二度目はない』。……唯、其れだけで御座います」
ぽん、とその背を軽く叩いた直後、その1は脱力したようにへたり込む。
魔術を放たずに、手の表面に魔力の一部を込めた威嚇を行っただけだ。
「では」
そして、その1を置いて魔術師の男は会場から去った。