薬術の魔女の結婚事情

やや小さめの違和感。


「ですから、私の元から居なくならないで下さいまし」
「わ、」

 咄嗟(とっさ)に、魔術師の男は左手で明後日の方向に歩き出した薬術の魔女の手首を掴む。気を抜くとすぐに居なくなってしまいそうで、気が気でなかったのだ。
 こんなにも、彼女がふらふらと歩きだしてしまうとは思いもしていなかった。何度注意をしても、薬術の魔女は魔術師の男の元から離れていこうとする。

「んー、だって色々気になる」

困った様子の彼に少し口を尖らせ、彼女は振り返った。

「成らば。居なくなる前に、行き先を私奴に教えて下され」

 そっと手を離し、魔術師の男は溜息混じりに告げる。その様子に薬術の魔女は、まるで心配症の親のようだと(そんな親はいなかったけれども。)思い、どこかで『心配症』の単語を聞いた記憶があるな、ともなんとなく思い出した。

「……ちゃんと、すぐにきみの所に戻ってくるよ?」

そう首を傾げて薬術の魔女が言っても、

「そうだと嬉しいのですが、()()()()()()()()大体そう言うのですよ」

と魔術師の男は首を振る。迷子になる自覚がない、とでも言いたいのだろうか。

「むーん……」

成人したのに、と、薬術の魔女は呟き

「連絡先も知ってるから、はぐれても大丈夫だよ」

思い付いた事を提案してみた。

「……確かに、そうですが……」

しかし、彼は少し眉をひそめたままだ。
 離れることを渋っている、または凄く嫌がっている様子だったので、薬術の魔女は仕方なくそのまま彼と一緒にいることにした。それに、薬術の魔女もむやみやたらに魔術師の男を困らせたいわけではない。周囲の気になるものの正体が知りたいだけなのだ。

 気になるものを指すと彼は答えてくれ、さらに訊けば詳細な事柄を教えてくれる。なので、あまり大きな不満は感じなかった。

×

 すっかり空の色が変わり、だんだんと出店が店仕舞いを始める。

「門限がないから、今までよりも長く一緒にいられるね」

空を少し見、薬術の魔女は魔術師の男に笑いかけた。

「……そうですね」

 一緒にいられるも何も、そもそも今は共に住んでいるので会おうと思えば真夜中にも会えるし、何なら時間が許すまで共にいられる。
 それを嬉しいと思う反面、これからもずっと一緒にいられるものだろうかと、不安になった。

 例えば、今日この日に過ごし方。
 薬術の魔女は勝手気ままに自由にあちこちへと行きたがった。
 対して、魔術師の男は常に一緒にあるいは姿が見えるような距離でいるように言った。
 つまりは()()()()()()()()なのだ。

「…………」

 お互いに、相性結婚の破綻理由を思い出していた。

×

「今日は、全く雨が降らなかったね」

 夕暮れに染まる帰り道、薬術の魔女は魔術師の男に話しかける。
 雨の祭りなのに、というよりも雨が降りやすい時期で且つ雨が降りそうな空気感なのに、一切雨が降らなかった。

「そうですねぇ。……此方としても大変に有難い」

薄く微笑み、魔術師の男は答える。このまま()()()()()()()()()()()()()、縁を繋ぎ終えることができるからだ。

「ふーん?」

 それを見、何か思ったのか

「んー、えい!」

薬術の魔女は上に向けて魔力を放った。

「……何を?」

 彼女の突然の行動に訝しんでいると、

「…………()れは」

ぽつ、と水滴が降り始めた。

「雨。降ってなかったから、簡単に降らせてみた。まあ、ただの水だけどね」

 それらはさらさらと細かく、僅かな光を反射して煌めいている。少しするとその雨は止んだ。

「……そうですか」

 答えつつ、魔術師の男は自身が今日繋げた筈の縁が(すす)がれていることに気付く。

「(強制的に降らせた水でも、清められるのか)」

 縁を雨で流されない様に、水で流せない様に、と敢えて川が無いこの場所で、()()()()()()()()()を選んだというのに。ものの見事に、彼女に無効化されてしまった。

「きれいでしょ?」

 薬術の魔女は屈託の無い笑みで魔術師の男に笑いかける。

「……貴女には、雨がそう見えているのですね」

 流されたものは仕方ない。また、別の方法で結び直せば良いことだ、と思い直すことにした。
 呪術はこちらが勝手に仕掛けているものであり、彼女を責めるのはお門違いだからだ。そして、呪術の基本は主に相手に気付かせないこと。術の遂行にこだわり自身の行動で気付かせるなど三流以下の行動である、と彼は考えていた。

 そして、あの煌めく水滴達が、彼女に見えている『雨』なのだろうとも思う。

「(……矢張り、()()()()()()()())」

 魔術師の男は、薬術の魔女と自身との価値観の違いを思い知った。
 彼自身には雨など、ただ降る水にしか見えていなかったのだから。

×

 小さく雨を降らせたおかげか、なんとなく薬術の魔女のもやもやした気持ちは晴れた。それに、一瞬だけだが彼の驚いた顔が見られて、なんとなくすっきりしたのだ。
 雨のおかげで髪や身体が少し濡れてしまったが、透けるほどではないので大きな問題はないはず。……だが。

「……(……あれ?)」

 自身の頭の方から、嗅いだことのある匂いがした。
 ふわり、と、()()()()()()()()()が。

「(これは、)」

魔術師の男(あの人)の魔力ではないのか。

 整髪料かと思っていたが、勝手に魔力を髪に塗られていた?

 その行動に違和感を持ちながらも、過ぎたことだし、と指摘しないことにする。
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