薬術の魔女の結婚事情
そして。
薄闇の空の下、明るいうちに通った道を逆に辿りながら借りた家に戻る。見かける建物は皆、軒先に置いていた商品達を引っ込め、明かりは消されて戸は固く閉じられていた。精霊が多く現れる土地だから、通常よりもかなり早い段階で店を畳むのだろう。
「ね。せっかくだからさ、もう一泊しようよ」
魔術師の男に右手を繋がれながら、薬術の魔女は彼に提案する。
「もう一泊、ですか」
目線だけ彼女に向け、魔術師の男は聞き返した。
「うん。木の札ですぐに帰れるのはわかってるけど、急いで帰ることもないと思うんだ」
もう少しこの場所でゆっくりと過ごしてみたい、と薬術の魔女は答える。
「きみも、おやすみとってるでしょ? 『明後日くらい』って言ってたってことは、1日くらいは前後するのも見越してそうだなって」
「……そうですね」
確かに、魔術師の男は今回の雨祭りのために余裕を持って多めに休日を取っていた。それに気付かれていたとは。
「それに、利用したこのお家のお掃除もしたいなって思ったんだ」
「然様ですか」
立つ鳥跡を濁さず、ということだろうか。
薬術の魔女は立ち去る前には、物事を清算するかの様に綺麗に片付けたい質であった。
×
拠点に戻ると、風呂を済ませて服を着替え、荷物の片付けを軽く済ませる。明日、起きてすぐに掃除を行うためだ。
眠るための部屋は干した草を板状に加工した物が敷き詰められた床になっており、その上に布団を敷いた。部屋数はあまり多くなく、今回は2人は並んで眠ることになる。別の寝床とはいえ、近くで眠るのは少し気恥しく思えた薬術の魔女だった。だが、彼は気にした様子はない。
「……今日は楽しかったよ。ありがと」
眠る前に、薬術の魔女は魔術師の男に感謝の旨を伝える。行燈で照らされた部屋は薄暗くも暖かい光に包まれていた。その柔らかな光を、彼女はひそかに気に入る。
「其れは良かった」
薬術の魔女の言葉に、なぜか彼は安堵した。しかし、『好意』を持っているならば当然だろう、と思い直す。
「あの灯籠、どうしたの?」
首を傾げ、彼女は問いかける。祭りの最中に、彼がどこかに仕舞ったそれの現状が少し気になっていた。
「気になるので?」
「だって、火がついたままだった気がする」
問い返す魔術師の男に頷くと
「問題はありません。燃え広がらぬ様、加工をしましたので」
と、彼は返答する。
「へぇ。燃え広がらないんならいいや」
言いつつ、薬術の魔女は布団をかぶった。
火を灯した灯篭の所在は分からなかったが、大変なことにならないのならば大丈夫だろう、と思うことにした。それに、今の返答でいくら聞いても答えてくれないと察したのだ。
「……あの時の、『雨』の事なのですが」
少しあって、魔術師の男は口を開く。
「ん、なに?」
「貴女は、魔法が使えるのですか」
彼の顔を見上げると不思議な問いを投げられた。
「魔法?」
聞き返せば、魔術師の男は一瞬だけ驚いたかのように小さく目を見開き
「……術式を擦らなくとも、力が使えるのですね」
そう、確認する様に訊いた。
「うん。そうだね。術の折り畳みはできないけど、強く『こうなれ』って思ったら色々できるよ」
そうだけどなに、と薬術の魔女は不思議そうに首を傾げる。
「いえ。聞かなかった事にして下さいまし」
「うん」
よく分からないけれど、気にするなと言われたのでそのまま気にしなかった。
それから、行燈の光が消される。
「…………ね、わたしって、そんなにきみから離れそうに見える?」
闇に包まれた部屋の中、次は薬術の魔女が魔術師の男に問いかけた。
「……如何かしたのですか」
「んー、べつに」
答えをはぐらかそうかと一瞬、彼の思考をよぎるが、それはきっとよろしくないと直感が湧いた。そして彼女に目線を向ける。
「…………」
じっと見つめる彼女の視線を感じたので、答えを待っているかの様に思えた。
「……離れそう、も何も。未だ私達は婚約の約束をしただけであって相性結婚の本契約すら結んでおりませんが」
魔術師の男はそう返した。
「んー……そうだったね」
思うような返答でなかったのか、彼女はやや不満気に口を尖らせる。
「婚約期間を今度の秋から開始する予定、でしたか」
「うん、そーだよ」
魔術師の男は薬術の魔女に確認し、彼女もそれに頷いた。確認も何も、彼が提案したようなものだったのだけれど。
「……貴女が店を開くのも、今度の秋からでありませんでしたか」
「…………あ。」
しまった、と薬術の魔女は固まる。
忙しいであろう開業の時期とお試し期間を被せてしまうと、二人で居られる時間が減り、お試し期間の意味が薄れてしまうかもしれない。
「どうしよ?」
「……婚約期間をもう少し、遅らせましょうか」
眉尻を下げた薬術の魔女に魔術師の男は提案した。
「いいの?」
「えぇ。軌道に乗り始めるであろう一月後、にでも致しましょうか」
「うん。……ごめんね」