薬術の魔女の結婚事情
変化
「ちょっと待ってよ」
声に足を止め魔術師の男が振り返ると、薬術の魔女が追い付く。走っていたのか、息を弾ませ頬を上気させていた。
「ま、待って……息がちょっと……」
彼女の息が整うのを待ちながら、魔術師の男は彼女の格好を観察する。
何か獣……恐らく猫を表象し作られたらしい、髪と同色の尖った耳と長い尾が体から生えている。
手袋はかなり完成度が高いが、あまり巷では見かけないので恐らく自作なのかも知れない、と推察した。
「……なんで、」
息を整えながら、薬術の魔女は口を開いた。
「あの時、棚の間にいたの?」
「……其処が気になりますか」
独特な着眼点だ、と魔術師の男は苦笑する。
「気になるよ。……もしかして、私が通るからそこにいた感じ?」
「いいえ。唯、人気の無く静かなあまり広くない場所を探した結果です」
「へぇ。集中したかった感じ?」
「えぇ。……其れを問う為に態々、私奴を追い駆けたのですか」
「んー。それもちょっとそうだけど、本題が……」
薬術の魔女は顔をやや逸らし、視線を少し彷徨わせたのち、
「ん。」
と、魔術師の男の方へ、液体の入った容器を差し出した。中身は氷の入った茶のようで、露店で売られていたものだろう。
「……此れは?」
「『お疲れ様』ってこと! 決闘とか!」
「……有り難う御座います」
上手く、いつものように笑えただろうか。と、思うほどに、魔術師の男は動揺していた。
先程以上に顔を赤くし、こちらを見上げる薬術の魔女の様子が、何となく……。
「……好きなもの、分かんなかったから前飲んでたアイスティーにしといたんだけど」
彼女の言葉にはっと我に返る。
「然様ですか」
動揺を隠し、魔術師の男は差し出された容器を受け取った。
「あのさ。決闘はきみが勝ったみたいだけど、そのあとなんていったの?」
容器の半分程に減った、少し赤がかった液体を飲み、彼女は問う。恐らくこれが本題なのだろうと、魔術師の男は推察する。
「……何も」
小さく息を吐き、答える。
「ふーん?」
「『唯の婚約者であるだけの私が同級生等と言う枠組み如きに口は挟みません』とだけ、言っておいたのです」
「……本当に、そういった?」
「……ふふ」
口角を下げ、薬術の魔女は胡乱な目で見上げるが、魔術師の男は微笑を浮かべるだけだ。
×
「処で、貴女は出店か何かをしていると、仰っておりませんでしたか」
いつまで経っても側を離れない薬術の魔女に、魔術師の男は問いかける。
「あ、そうそう。わたしが作った美容液や傷薬とか売ってるんだよ」
冊子を開き、「この場所だよー」と、指し示す。魔術師の男は既に場所と内容は知っていたが、相槌を打っておいた。
「ふむ。やはり、噂通りに様々な薬を生成出来るのですね」
「うん。割と固定のお客さんとかもいるんだ、実は!」
薬術の魔女は得意そうに胸を張る。確か、出来は下手な薬師よりも良いらしいと魔術師の男は聞いていた。
「店は見なくて宜しいのですか」
「うん。きみの決闘を見に行くために今日は展示だけにしておいたんだ。販売は明日から」
「……午後からでも販売くらいは出来るのでは」
「もうすでに手続きやお知らせしちゃったから無理だよー」
「……良いのですか?」
「や、だってきみがあんな数秒で方をつけるなんて思いもしなかったし」
「……魔術師を甘く見ておりませんか」
「だって、きみ以外の魔術師達にはあっさり勝ったって聞いてたし……」
「まあ、良いでしょう。其れで。用事は済みましたか」
「あっ、ちょっと待ってってば」
歩いて引き離そうとするが、薬術の魔女は仔猫のように後を付いて回る。必死なその姿に、仕方無いので足を止めた。
「きみ、歩くの早いよ……」
「すみませんね。脚が長いもので」
「その言い方なんか腹立つ」
薬術の魔女は少し頬を膨らませる。
「というかさ。なんでそんなに、いなくなりたがるのさ」
「居なくなりたがる、と言うよりは私が居ない方が楽しめるのでは、と考えただけです」
「え、なんで?」
「貴女は私と共に居る依り、御学友との方が学芸祭を楽しめるかと」
「一緒行こう、って……まあ直接そうはいってなかったけど、そういったつもりだったんだけど」
「其れは、義務感のようなものでは」
「違うよ」
柳眉を寄せ、薬術の魔女は魔術師の男を見上げる。
「きみと、一緒にまわってみたいなって思ったんだよ」
「……然様か」
「うん。どこ行くか決めてなかったけどさ」
「……では、暫し待たれよ」
彼女自身がそう望むのならば仕方ない、と考えた魔術師の男は薬術の魔女に告げる。
「えっ、なに?」
彼女から少し離れ、自身に変化の術をかける。
先程は決闘のせいで少し目立ってしまったようなので、魔術師の男は変装がてら『虚霊祭の仮装』をする事にしたのだ。
「まあ、是で良いでしょうか」
骨格がやや獣に近い形状に変形し、身体が頭髪に近い色の毛皮に覆われた。
「此の姿の方が、厄介事は減りそうですし」
「うわっ、結構グロいね。それなに?」
魔術師の男の頭部に生えた耳を見て腰に生えた尾を突き、薬術の魔女は問いかける。
「魔猫、ですよ」
更に尾へ触れようとした手を避けるようにして、魔術師の男は薬術の魔女に向き合った。そして血糊に塗れた鋭い爪を見せ、答える。
「ふーん。猫、可愛いよね! 好きなの?」
「…………そうですね」
目を輝かせる薬術の魔女に、魔術師の男は微笑んで頷いた。
「(……思いの外、鈍い方のようだ)」