薬術の魔女の結婚事情
それから。
ちゃぷ、と肩まで湯船に浸かり、薬術の魔女は小さく息を吐く。
この、湯船に湯を張って浸かる入浴方式は、体の芯が温まる感じがしてとても好きだった。呪猫式、とでも言うのだろうか。
「でも。けっこう贅沢な入り方だよねー」
お湯を手に少し掬って呟く。初めは驚き戸惑ったものの、3日くらいで慣れた。
「……『入浴剤』、かぁ」
色と匂いの付いたお湯に思いを巡らせる。それは魔術師の男が風呂場の近くに用意しており、『自由に使って良い』と言ったもの達だ。
呪猫には売っているらしいが、王都ではあまり見かけた記憶がない。特にシュワシュワと泡を出しながら溶けていくものが、薬術の魔女はお気に入りだった。
そして、ただシャワーを浴びるだけでは得られない様々な温浴効果。
「(なんか、色々作ったり効果の検証をしたりとか、してみたいなぁ)」
植物や薬の新しい知識が得られそうな予感に、そわそわする。
×
薬術の魔女が風呂から上がると、既に魔術師の男が食事の用意をしていた。室内着に着替えて腕まくりをしており、更に髪も後ろで一つに縛った姿で調理場から現れたので、式神ではなく今回は魔術師の男自身が手ずから作ったようだ。
「む、ごはん用意してる……」
と、彼女が少し口を尖らせ呟くと
「効率の問題です。其れに、貴女は疲れているでしょう」
そう魔術師の男に返される。用意されたものの量にやや驚くが、そういえばよく食べる人だったな、と思い出した。最近は一緒に過ごしていなかったので、彼と共に食事をすることが懐かしく思える。
「……疲れの度合いだったら、きみの方が疲れてそうだと思うんだけど」
仕事から帰ってきたばかりだったはずでしょ、と小さく呟くも、聞き流された。それから、『そういえば、この人は自身のことをないがしろにする人だったな』とも思い出す。魔術師の男は他人の変化などに目敏く気が付く人なのに、自身の感情の変化や様子の変化には疎い。というか鈍い。
「夕飯の用意については明日からでも良いでしょう。さ、着席して下さいまし」
彼は薬術の魔女に座るよう促す。
「はーい」
そして、彼女が座るのを確認しつつ
「もう一つ。私の式神共には予め、そう動く様に命令を組み込んでおりますので、朝餉や夕餉を作らせる分は手間で無いのです」
と答える。式神を操ることは容易いことで、自身にとっては何の手間でもないと言いたいのかもしれない。
「ふーん」
そうなのか、と、薬術の魔女はとりあえず相槌を打った。彼にとっては手間でなくとも、世話を焼かれる薬術の魔女自身にとっては申し訳なさと窮屈さを感じさせることなので何の気休めにもならないが。
「(……それにしても。すごく、ちょうどいいタイミングでごはんとか用意されてるんだよなぁ)」
待ち時間やタイムラグらしきものがほとんど無いので、実は、内心で少し引いている。無論、魔術師の男が式神を用いて薬術の魔女の様子を確認しているからできていることなのだが薬術の魔女は知らない。
×
それぞれで祈りを捧げてから、食事に手を付ける。久しぶりに2人で夕飯を食べることが嬉しく、薬術の魔女は知らずに口元が緩んでいた。
「……店の様子は如何です」
食事の手を少し止め、魔術師の男が問い掛ける。
「ん、けっこういい感じだよ」
学芸祭や街頭市場で獲得した客が数名ほど、何度か足を運んでくれているのですぐに客が減る様な心配はしていない。
「然様ですか。……然し。明日は売り子や泥人形の手伝いも無いのでしょう?」
『手が足りない』のにどうするのだと魔術師の男が問うと、
「ん。気合いでなんとかする」
と、薬術の魔女は曖昧に答える。ひとまず、彼女にとってはそうとしか答えようがなかった。気合で何とかなるのだから。
「……『何とか』、ですか」
彼女の無計画振りに魔術師の男はやや頭が痛くなるが、それでも何とかなるのだろうと何となしに思う。
「(流石は『妖精』、なのでしょうね)」
運が良く、滅多なことでは不幸にならない。その妖精の気質の特性が彼女を助けているのだろう、と魔術師の男は自身を納得させる。
「どうしたの?」
急に黙った彼に、薬術の魔女は首を傾げる。
「……夕餉は貴女が用意しても宜しいが、暫くの間、朝食だけは私が絶対に作ります」
少し間を空けて魔術師の男は告げた。
「え、なんで?」
「貴女の場合、まだ朝餉を作ることに慣れていらっしゃらないでしょうから」
「うん、わかった」
そう言われてみれば、今までは朝食は学食や栄養補完食品などで補っていたので、そこは頷くしかなかった。朝食を作るには、普段よりも早起きをする必要があるだろうから。
「なので、如何しても朝餉を作りたいの成らば。貴女は休日に作って下さいまし」
魔術師の男はそう告げる。
「じゃあ、夕飯はわたしが作ってもいい?」
「……そうですね。作る日を決めて下されば、対応は致します」
「わかったー」