薬術の魔女の結婚事情
本当のねだったら良いね。
魔術師の男が風呂を済ませると、薬術の魔女がソファの上で寝ていた。
「(…………何故)」
頭を抱えたくなる。
変わった人物だと普段から思っていたので、大抵の奇行には驚くつもりは無かったのだが。
まだ3年と少ししか知り合っていないだけの他人に、ここまで警戒を解けるのか全く分からない。
眠いのならば自室にさっさと戻れば良いものを、と思いながら近付くと。
「すぅ、すぅ」
「(……普段と、寝息が違う)」
何かが、普段と違うような気がした。眠る彼女の側に跪き、
「むぎゅ」
その鼻を指先で摘んだ。
「……すぅ、すぅ」
少し顔をしかめただけで、薬術の魔女は静かに寝息を立てている。
「(…………目は開かない、か)」
内心で呆れ小さく溜息を吐いた後、魔術師の男は彼女の身体にそっと腕を通して抱き上げた。
恐らく、完全には眠っていない。抱き抱えた感触でも、気を失っていないことが分かる。
「(目的は不明ですが)」
動かないのならば、と彼女の部屋へ運ぶことにした。
×
「……」
「すぅ、すぅ」
魔術師の男自身の腕の中に、薬術の魔女はすっぽりと収まっている。
部屋を移動しながら、彼は腕の中の存在を見下ろした。
彼女は細く、小さくて、柔い。
「(此の儘、最も容易く折れて仕舞える程に)」
更に、彼女は『馴染みやすい魔力』で『妖精の魂』を持っている。なので、同じ身長で筋肉量や体脂肪率が同じ者が居ても、遥かに軽い。
逆に、魔術師の男は『馴染みにくい魔力』で歪んだ『魔獣のような魂』なので、実は結構重い。なので、物理的な動作にも重さが乗せやすく腕力があり、吹っ飛びにくいのだ。
簡単に壊せて、吹けば飛ぶような存在が腕の中に居る。
「(斯様に『誰か』が腕の中に居た事等、今迄に有りましたかね)」
奇妙な感覚に襲われる。今までに抱えたことがあるのは、ほとんどが死にかけた人間か死んだ人間だったはずだ。
魔術師の男は、体温のある存在をじっと見降ろす。
「…………失礼。部屋に入りますよ」
『壊したい』と思う様な宜しくない衝動が湧き上がる前に、彼女の部屋の前へ辿り付いた。
一先ずは断りの声をかけ、薬術の魔女の部屋へ入る。直ぐに薬草と土、彼女の魔力の匂いがした。
与えた当初と比べて随分と彼女らしい部屋になった、と思う。
それが、魔術師の男に安心を与える。『他の場所よりはこの屋敷に残ってくれるはず』だと思えたからだ。
「……鉢植えのものは、庭に移しても良いのですよ」
壁に寄せられた鉢植えの植物達に目を向けて呟き、布団を退かして彼女をゆっくりと下ろす。
「…………植物の様に根を下ろし、私の手元に残って下さいませんか」
呟き、布団をかけた。
薬術の魔女は『相性結婚』のことなどすっかり忘れており、魔術師の男自身のことを、ただの止まりやすい止まり木程度にしか思っていないのだろうと、思ってしまう。
下手をすればさっさと目の前から姿を消してしまいそうで、目に見える形でも『彼女との縁』がある証拠が欲しかった。
目に見えるならば、さすがの忘れっぽい彼女も忘れないだろうと、思うのだ。
実は、薬術の魔女の中では既に結婚するつもりがあるので『相性結婚』という制度などどうでも良く、それで忘れていたのだが魔術師の男が知ることは、今のところはない。
「すぅ、」
そして魔術師の男は身体を屈め、
「貴女は純粋で、真っ直ぐで、眩いですね……」
いつもと違う寝息を立てる薬術の魔女の顔に手を伸ばし、頬にかかる髪を指の背でそっと払う。
「私は、貴女のその様な所が大変好ましく思うて居りますよ」
目を細め、魔術師の男が指の背で頬に触れると、彼女の身体が小さく強張ったのを感じた。やはり、起きているらしい。
「眩い貴女は、数多の人々から畏敬や羨望の眼差しを受けたのでしょう。……私のような出来損ないと違い」
低く呟き、目を伏せる。
「屹度、『相性結婚』等と言う巫山戯た制度さえ無ければ……一生、相見える事等、無かったのでしょうね」
そして、そのまま指の背で頬を軽く撫で
「……貴女の事、お慕いしておりますよ」
いつものように言葉をかける。
「早う貴女も……私の事を、心の底から好いて下さいまし」
×
見た目の割にほとんど聞こえない足音が完全に聞こえなくなり、気配が間違いなく遠退いたのを確認し
「……」
ゆっくりと、薬術の魔女は目を開いた。
「(……なに、今の)」
寝たふりをしたらどういった反応私返すのだろうと、ちょっとした悪戯心を働かせただけだったのに、と、戸惑い驚く。
「(でも、意外と寝たふりには気づかないんだなぁ)」
そう、やや見当違いなことを思いながら。
「(運んでくれて、ベッドに寝かしてくれたのは、優しい)」
何となく、途中で生命的な身の危険を感じたのだけれど、彼は何もしなかった。あの気配は何だったのだろうかと一瞬だけ思い、まあいいか、とすぐに放棄する。
彼は何か、薬術の魔女に対し複雑な感情を抱いているらしい。それだけ、何とか理解する。
「(それと。植物、植えていいんだ)」
部屋に入るなり呟かれた魔術師の男の言葉に、彼が自身のことを受け入れてくれるのだと感じられ、嬉しく思った。
実のところ、薬術の魔女は綺麗に整えられた屋敷の庭に、持ってきた薬草達を植えて良いものなのかと気後れしていたのだ。
そして。
「(……なんで、起きてる時にいわないのかな)」
彼が部屋を去る前に告げた言葉に、不満を感じた。
直接言ってくれてもいいのに、とか、『心の底から好いてくれ』という言葉の意味とか。言いたいことがたくさんある。
しかし、薬術の魔女はゴーレム造りで疲れたのか、そのまま目を閉じてしまった。
日が昇って起きれば、当たり前のように魔術師の男はいない。