薬術の魔女の結婚事情
お試し期間
距離感。
「(……本当に、婚約したんだ)」
右腕に着けた腕輪を眺めて薬術の魔女は、ほぅ、と溜息を吐く。
宮廷で婚約腕輪を付けてから、何かが変わった、と感じることはない。だが、婚姻の約束を結んだのだから、その縛りがきっと生まれたはず。そう彼女は考えた。
そして、どこかでその縛りを自覚することになるのだろう。
やがてそれが結婚腕輪になった時には、さらに儀式を重ねるので、より縛りが強くなるはずだ。
「(……あ、緑色の石だ)」
眺めていると、腕輪の装飾品の石が彼の目の色をしていた。近い色ではなく、ほとんどそのものの色だ。
それに気付いて、なんだか嬉しくなる。彼の存在を何となくで感じられるような気がしたから。
「腕輪等眺めて何をしていらっしゃるのです」
ぼんやりしていると、薬術の魔女の真後ろに、魔術師の男が現れた。
「……いや、近くない?」
振り返ると、すぐそこに彼が居る。魔術師の男が身に付けていたらしい、香の薄い匂いが感じられる程の距離だ。
「奇怪しいですか」
微笑み、彼はゆったりと首を傾げた。さら、と溢れた髪から使っている石鹸や彼の魔力の匂いがして、鼓動が速くなる。
「近い近い、急過ぎじゃない?」
頬を染めつつも身体を捻り、薬術の魔女は魔術師の男の肩を押して距離を開けさせる。その際に一瞬、彼の表情が変わったものの、何の感情だったのか分からなかった。
「嗚呼、失礼。今迄に親しい者が居らず、距離感が掴めぬもので」
「わたしも、きみの距離感が分かんないよ」
不思議そうな様子の彼に、彼女は困って眉尻を下げる。今まで通りの距離感で良いのに、と薬術の魔女は思った。
「貴女と御友人方との距離感を参考にしてみましたが」
「んー、そっか。たしかに、ともだちとの距離感はそんな感じかも?」
薬術の魔女は戸惑いながらも頷く。だがそれは同性の友達だからだ。
「で、でも……ちょっと急じゃない?」
こんなに、しかも異性から距離を詰められるなどそう体験したことが無いので、心の準備ができていなかった。
「共寝もした仲ですのに」
口元に手を遣り、魔術師の男は軽く目を伏せた。少し悲しそう、というか寂しそうな様子に見えて少しだけ心がちくりと痛んだ。
「そ、それは例外……」
痛んだが、なんだかわざとらしいなぁ、と少し思う。思いつつも、薬術の魔女は軽く目を逸らした。
それに、一緒に寝たのは遭難から帰った時と、呪猫に居た時だけで、あの時は1人が怖かったので仕方なかった、はずだ。
「然様で。然しながら、相性を確かめる為にも多少の触れ合いや対話等必要だと思いますが」
す、と顔を元の澄ました表情に戻して、魔術師の男は問いかける。それを見て、やはりさっきの表情はわざとだったのだと確信した。
「……そうだね。今、対話の必要性を感じてるとこだよ」
戸惑いながら薬術の魔女は答える。なんとなく、彼の様子が今までと違う気がしていた。それは婚姻したからなのか、彼女自身がようやく自覚したからかはまだ分からない。
「もしかして、今まで色々我慢してた感じ?」
「……如何でしょうねぇ」
急な距離の詰め方とか、何やらわざとらしい様子とか。聞いてみるも、ゆっくり目を細めて魔術師の男は薄く微笑むだけだ。
「と、取りあえず。距離感はゆっくり詰めよ?」
そう提案してみるものの、何となくその提案は通らないような気がした。
「前向きに検討は致します」
「んー」
薄く笑う彼に、薬術の魔女は眉を寄せる。
不便というかとてつもなく嫌な予感がしていた。