薬術の魔女の結婚事情
後輩
婚約をした後も、魔術師の男は普段通りの時間で自身の仕事場へ向かう。
本音を言えば、婚約した日も婚約者になった薬術の魔女と帰宅するのも吝かではない、と思っていた。
だが、その日も仕事の用事が入ってしまったので、共に帰れなかったのは仕方がない。
「(……此の場合、何かで埋め合わせをするのだったか)」
彼女の好きなものを把握しきれていないというのに、何で埋め合わせをするのだろうかと少し考えてしまう。
×
宮廷魔術師は、宮廷で魔術の研究を行っているが、基本的には1人ではなく似た目的や研究を持つ数名で小さな集団、つまりは研究室を作り、その中の者と協力し合いながら研究を行う。
「(……前回の作業が残った儘だったか。片付けねば)」
思いながら、魔術師の男は魔術の影響を受けない書物などを、魔術で操作して片付けを行う。1人で。
魔術師の男は、共同で研究を行う者が居ない。大抵が『出来損ないと仕事ができるか』などと言い、彼が来る前から拒んだからだ。
おまけに、弟子や部下のような存在も居ない。同様の理由で、後の者も魔術師の男の下に就くことを拒んだからだ。
どの集団にも所属できなかったため、上の者が仕方なく仕事部屋を一つ与えた。4、5人で使うような部屋を出来損ないのために。
元々は物置に使われていた埃まみれの部屋で、『一日で誰の手も借りずに綺麗にできたら好きに使えばいい』と条件付きで言われたので言葉通りに半日で綺麗にしてやって得た。
周囲の者は1人であることを蔑んだり当て擦ったりするが、むしろ、広々と使える上に好き勝手できるので気にしていない。
1人の部屋で普段通りに魔術の研究をしていると、扉を叩く音がする。
「……どうぞ」
こんな出来損ないの元を訪れる者は、本当の上司か誰かの使いの下男下女ぐらいだ。
この時間は誰の用事も無いはずだと疑問に思いながらも返事をすると、扉が開き
「失礼します」
女性の声がした。
振り返り、魔術師の男は席を立つ。他人には礼儀正しくしなければ面倒だからだ。
「……貴女は」
目の前に現れたのは、美しく輝く金髪の巻き毛の女性の宮廷魔術師だ。確か、一発で宮廷魔術師の試験を合格したらしいと聞いた。
「今年から宮廷魔術師として採用された若輩者です」
目の前まで歩み寄り、やや背の高い女性は綺麗な所作で挨拶をする。
「……えぇ。噂には、聞いておりましたが」
その様子を見ながら魔術師の男は顔をやや引き攣らせた。この時期の新人の宮廷魔術師は、既に誰かの下に就いているはずだからだ。こんな出来損ないの所にまでわざわざ来るということは、何かの面倒事だろうか。
気の強そうな顔で、きっと魔術師の男を見ると
「貴方の下に就いてもよろしいですか」
そう、問いかけた。
「……はい?」
聞き間違いか、と思わず聞き返す。と、『チッ、また言わないといけないのか』と言わんばかりの表情をされた。
「貴女、誰かに唆されております? 其れとも、質の悪い冗談ですか」
その態度で聞き間違いでないと確信したため、次に思ったことを問いかける。普通の貴族ならば選択肢にすら入らない考えだ。そのはずだろう。
「色々と吟味した上で、貴方が一番ましだと思ったので就きたいと思っているのですが」
「……然様ですか」
真っ直ぐにこちらを見据える目は、怯えも虚偽も悪意もない。
深く溜息を吐き、
「もう一度聞きますが、正気ですか」
確認する。
「ええ、正気です。そもそも、宮廷魔術師になっている時点で相当頭がイカれてるとは思いますが」
どうやら、宮廷魔術師を『イカれた仕事』だと言えるくらいには正気らしい。
「私の様な出来損ないの下に就くのは本気ですか」
「はい。逆に、貴方ほど術の行使が滑らかで発音が正しく、魔力が練られていて動作が規定通り静かで、わざわざ足音を立てずに歩く宮廷魔術師が居れば、是非とも紹介してください」
「……一応、正気な様ですね」
足音を立てないよう歩いていたことに、こうもあっさりと気付かれるとは。
詳細は省くが、宮廷魔術師は存在感を出してはいけないことになっているので、静かな動作が望まれる。
直接会い見えたのは今が初めてなので、恐らく道中ですれ違った際に気付かれていたのだろう。あるいは、アカデミーに視察へ向かった際に気付かれたか。
「何のつもりですか」
「『何のつもり』とは?」
「……」
「……なんでしょう」
とある名を呼ぶと、柳眉がピクリと動く。
「通鳥の本家筋の貴女が何故、此処にいらっしゃる?」
「家名は今、関係ないですよね?」
威圧するように見下ろせば、きっ、と睨み上げられた。
目の前に立つ女性は通鳥当主の、たった1人の愛娘のはずだ。
しかし、最近、代替わりの噂を聞いた記憶があったので、目の前の若い女性は通鳥の女主人、ということになる。
「関係あるでしょう、特に貴女は」
「そうしたら、あなたは呪猫当主の弟君ではないのですか?」
血筋について指摘すれば、痛いところを刺される。
「ぐっ……私は縁を切られているので良いのです」
「なら、私も父から許可降りてるんで良いんじゃないですか? 領地運営にも問題はありません」
前当主公認なのか、と頭を抱えたくなった。分家が宮廷に入ることはあれど、本家の当主が宮廷に入るなど、聞いたことがない。
「斯様なイカれた……いえ、気の狂った場所でまさか、『修行』とやらでもするおつもりですか通鳥の跡取りという者は」
口元に手を遣りつつ告げると、
「結婚相手を探しに来たんです」
そう、澄ました顔で返された。
「『結婚相手を探しに』……ですか」
『イカれた場所』と言った場所で結婚相手を探すとは一体どういうことだろうか。
「はい。この場所が丁度良いと思ったので」
「まあ、私は興味は無いのでお好きにすれば宜しい」
奇妙に思いはしたが、自分には関係無さそうだと切り捨てる。
前当主公認かつ当人も譲る気がないならばこちらが折れるしかない。
「……ところで」
後輩の魔術師は口を開く。
「貴方、身のこなしが常人じゃないですよね。まるで毒蛇の」
そこまで言いかけて、言葉を止める。
「…………世の中には、知らない方が良い事もあるのですよ」
にこ、と魔術師の男は薄く微笑んだ。
「……はい、すみま「と、言いたい所ですが。ただ単に、毒蛇の者を観察し、其の真似事をした結果で御座いますよ」……言うんですか」
謝ろうとした側から明かされた理由に、後輩の魔術師は何とも言えない顔をする。おまけにその理由は、きっと間違いではないが真実でもないだろう言葉だ。
「ええ。別に毒蛇で暗殺家業の教育を受けた訳では有りませんので」
言いながら、
「此れを。所属の届出用の書類です」
魔術師の男は書類を後輩の魔術師に差し出した。
「(……『真似事』であそこまで似せられるとか、怖いな)」
と思いつつ、魔術師の男に差し出された書類を受け取る。初対面の相手に踏み込むほど不躾なつもりは無いからだ。
「ありがとうございます」
後輩の魔術師が書き込みを終えた紙を受け取り、
「其れでは、好きな場所を好きな様に使いなさい。私の邪魔さえしなければ、何を研究していても構いませんので」
そう指示をした。
「はい」
×
「あの」
それから少しして、定時退勤の間際になった。
だがそんな時間になっても仕事の手を止めない魔術師の男に、帰宅準備を終えた後輩の魔術師は声をかける。
「帰らないのですか」
後輩の魔術師が問いかけると
「帰りたいのは山々なのですが」
魔術師の男は振り返り、微笑を浮かべて答えた。
「他から仕事が回っております故、少し残るのです。貴女は気にせず定時で退勤して下さい」
「……」
その様子を見て、後輩の魔術師は口を閉じる。
「上司が残っているのに部下が帰れると思ってるんですか?」
そして、しかめっ面で言い返した。
「……貴女が気にする事は無い筈ですが」
目を細めて魔術師の男が言葉を溢すと
「常識としてわたしは気にするんですよ。それに」
と、その左腕に視線を向ける。
「この間見かけた時には、その腕輪は着けていませんでしたが、今付けているって事は婚約したんでしょう『薬術の魔女』と」
傍から見れば装飾も少なくシンプルな味気ない物だが、後輩の魔術師は目利きであり、双方の見た目を知っているので、解る。
彼の着けているそれは『不変の金属』に、婚約者の目に似た色……いや。恐らく目の色そのものの石の、婚約腕輪。
随分と入れ込んでる様子だと、すぐに察せられた。
「そうですね。其れが何か」
「あの子、貴方が婚約した日に一緒に帰ってくれなかった事を大分、根に持っているかもしれませんよ」
澄ました顔で後輩の魔術師は告げる。
「わたしは『薬術の魔女』とはあまり関わりのない同級生でしたが、恨みの根深さの噂だけならば結構聞きましたし」
「……詰まる処は」
「言葉は乱暴ですが『早よ帰れ』って事ですよ。折角お気に入りの子と婚約したのにその機会を拗らせる気ですか」
「……そうなるのですかね」
「聞かれてもわたしは知りませんよ。腕輪見てそう判断しただけで」
怪訝な表情の魔術師の男に、後輩の魔術師は顔をしかめる。
「成らば、其処の扉を抑えていて下さいまし。直ぐに仕事を終わらせますので」
言うなり、彼は再び仕事に向かった。
「はい。よく分かりませんが」
×
「終わりました。では私は帰りますので、貴女も帰りましょうか」
「…………そうですね」
終わったらしい書類の束を見ながら、後輩の魔術師は溜息を吐く。
「何だったんです、あれ」
扉を必死に抑えていた時の事を思い出し、問いかける。
「妨害ですよ」
「妨害」
簡潔な言葉を、おうむ返しした。わざわざ出来損ないと呼ばれる人物を妨害するのかと。
「えぇ。新たに私に書類を押し付けたり、『ここが分からないから教えろ』だのと言い私の帰宅を遅らせる色々で御座います」
「はぁ」
時計を見ると定時からほんのすこしだけ過ぎていた。