薬術の魔女の結婚事情
片翼の鳥
次の朝。
今日は二人ともに休日だった。だから、魔術師の男は薬術の魔女と朝、顔を合わせることになる。
昨夜の出来事を思い出し、魔術師の男は彼女はすこぶる機嫌が悪いだろうと考えていた。
しかし。
「あ、おはよー」
薬術の魔女は普段通りの様子で、鼻歌交じりに朝食を作っていた。くるくると動き回り、非常に手際よく調理してゆく。まるで、彼女が調合をしている時のような滑らかさだ。
「……………………お早う御座います」
魔術師の男は、そっと薬術の魔女の方を見る。機嫌の悪い様子だったならば、ひとまずは謝罪をしておこうと考えていたからだ。
「ん、何?」
ぱちくり、と瞬きをし、身支度を終えている彼女は小首を傾げた。
「…………何か、不満がありますか?」
食事を配膳する薬術の魔女に、魔術師の男は問いかけるも
「別に?」
と返される。
その様子はむしろ、上機嫌そうで。
「(……奇怪しい)」
何か、迚も嫌な予感がした。
「(もっと、逃げられないように手を伸ばして掴まなければ)」
そう思考が過ぎった直後、仕事場から連絡が入った。それに内心で舌打ちをしながら、朝食を少しだけ口にする。そして、魔術師の男は支度を始める。
「出かけるの?」
その様子を見て、朝食をもくもくと食べる薬術の魔女が問いかけた。
「えぇ、急用が入りまして」
「ふーん? じゃあ今渡しとくね」
彼が肯定すると、彼女は席を立ち近付く。そして、
「これ。あげる」
と、小さな箱を渡された。
「……今でなくとも」
箱を受け取りつつ魔術師の男が呟くと
「今がいいんだよ」
薬術の魔女は柔らかい声色で告げ、微笑んだ。
×
休日を返上してまで来たというのに、仕事は思いの外あっさりと終わってしまった。
だが、それで帰ろうとした直後に宮廷魔術師としてではない、本来の仕事が舞い込んだ。それの処理を行い、結局帰宅が遅れて以前通りの時間になってしまった。
予定が狂ってしまったが、代わりに明日が休日として建て替えられたので、それで良しとする。
帰宅前に、ふと、今朝に薬術の魔女から渡された小さな箱が手に触れた。
「……」
なぜ、あの時間に渡してきたのだろうと不思議に思いつつ、箱を開ける。
中身は小さな金属性の入れ物だった。
開けると固まった軟膏のようなものが入っており、手袋を外し指先で触れると、指に触れた先からゆっくりと溶ける。
指先に付着したものは、何か、香草のような匂いがした。
「……練り香水、でしょうか」
何となく、気持ちが落ち着く。そして僅かに、彼女の魔力の匂いがした。
「(……何故こうも、彼女は他人の為に行動が出来るのだろうか)」
薄暗い宮廷内を魔術師の男は外に出るために歩く。香のお陰か、薬術の魔女との現在の状況を少し冷静に見直せる。
そもそも彼女は妖精の魂を持っているのだから、人を引き付けてしまうのも無自覚に周囲へ好意をばら撒いてしまうのもどうしようもないことだ。それに、彼女が妖精の魂を持っているからこそ、『相性結婚』で出会えたし、何の問題もなくこうして婚約している。
自身は、己が身のことしか考えられていなかった。
彼女が自由を欲する気質であることを無視し、自身のためだけに捕らえようとしたのだから。
「(……早く、帰らねば)」
そうして、もう少し彼女と向き合って話をする必要がある。その前に、本当の謝罪の必要性があるのだが。
×
帰宅すると、薬術の魔女がいなくなっていた。
「……は?」
再度、気配を探り、魔力を放って生体反応、魔力反応、その他諸々を探る。
「…………居ない」
彼女の部屋を開けても寝息は聞こえないし、彼女の匂いも随分と薄い。匂いの薄さからして、昼前には出たらしいと察する。
張り付けていた式神も、彼女に言い寄る男の記録を探すために手元にあるので使えない。昨日、背後に回った隙に、外していたのだ。
「……まさか」
そこで、今朝感じていた焦りと悪寒の正体に気付く。
「(……あの小娘の逃亡を、予感していたのか)」
魔術師の男は、魂が獣じみているために勘が良く働く方だった。
そして、彼女を失ったというのに、やけに落ち着いている自身に違和感を覚える。
「…………」
指先に残る、練り香水の匂いを注意深く嗅ぐ。
「……夢見草の香りか」
おまけに、随分と成分が濃い。
しかし、この濃さの夢見草の香りだけならばもう少し気分が落ち込むはずだった。
「他に、何か……」
少し思考を巡らせ、今朝、薬術の魔女が朝食を作っていたことを思い出す。
彼女が調理した後の生ゴミを取り出し、良く視る。
「微量の失心草の、茎」
失心草の茎は、依存性の少ない精神の高揚を促す成分を持つ。
つまり。失心草の成分を抽出して混ぜた朝食を食べさせて、やや興奮状態で僅かに気を狂わせられていたのだろうか。
仕事が入ったのは偶然だろうが、それが上手く彼女の作戦と合致し、魔術師の男は自身の異常に気付けなかった。
そして精神の高揚を、渡された夢見草の匂いで中和させる。
「(流石、妖精だ)」
あまり細かくは考えていなかったのだろうが、持ち前の運の良さで何とかされたらしい。
縁を繋いで、彼女を離さないようにしたつもりだった。
『片翼の鳥は飛べないが、飛べずとも足で歩ける』そんな、当たり前のことを忘れていた。