薬術の魔女の結婚事情
心の動き。
薄々と、魔術師の男の様子がおかしいことには気付いていた。
特に、婚約した日の辺りから彼の行動のおかしさが顕著になり始めたのだ。
やけに薬術の魔女を側に置きたがるし、世話を焼きたがる。そのこと自体は彼なりの気持ちだろうから、別に悪いわけではない。
しかし、有無を言わせず勝手に世話を焼かれ続けられるのは、管理されているような不自由さを感じる。その上、一方的に施され続けられるのは罪悪感を覚えてしまう。
実の所、呪猫で彼の正体に触れた時から、こうなるだろうとは思っていた。彼の精神の基盤がほとんど精霊のような状態であること、彼の幼い頃の生い立ち、彼の零した言葉達。
「(あの人は、何も信じられない人なんだ)」
自分のことすらも、彼はほとんど信じていないようだ。自身ができることは『できて当然のもの』だと言い、認めることすらしない。
「(……あの人が、他人を信じられないって事くらい、わかってる。……でも)」
荷物を軽くまとめながら、小さく息を吐く。
「…………少しくらい、信じて欲しかったな」
そう零しても、心は変わらない。
「それに、本当の名前で呼んでくれないし」
彼と自分しか知らない幼名で呼ぶのはむず痒くはあれど、悪い気はしない。だが、それはそれ。
薬術の魔女が成人してからまだ一度も本当の名前で呼ばれたことがない。それのおかげで、まるで、彼は薬術の魔女自身のことを見ていないかのような心地になってしまう。
「……どうして、こうなっちゃったんだろ」
滑やかで容易に肌の温度に馴染む腕輪を、指先で撫でる。
結婚するなら、多少縛られるのは仕方がないことだと薬術の魔女は理解はしている。だから、婚約腕輪を利き腕へ装着するのも許した。
そのはずだ。
だが、あまりにも彼の感情が重かった。
蔓の様に巻きついて『逃がさない』と、言いたげに締め上げる彼の感情や行動に、耐えられなかったのだ。
それと、彼の寄越す重たすぎる感情とは裏腹に、薬術の魔女自身を見てくれていないようなその行動にも。
『自分を直接見て欲しい』と強く願っても、彼は式神や幼名などの何かしらを通して薬術の魔女を見る。それが無償に寂しく、悲しく思えた。
見込みが甘かっただけなのかもしれない。覚悟が足りなかっただけかもしれない。
「(……だけど)」
以前なら、もう少しくらいは拘束を緩めてくれたはずだと、思ってしまう。今までの彼ならば、気付かれないようにゆっくりと拘束するのだと。
以前は、山に行くとか、草を抜きに行きたいとか、そのような自由を許してくれたのだから。
そして。
「(お試し期間で『こう』なら、結婚したらもっと酷くなるかもしれない)」
とも、思ってしまった。
お試し期間だというのに、薬術の魔女はこんなに締め付けられている。きっと、彼はあれでも手加減しているつもりなのだ。
「(これ以上縛られたら、外にすら出られなくなるかもしれない)」
飼い殺しにされたくなくて、思わず逃げ出した。
自身にうっすらとかかっている拘束の魔術式をすり抜け、婚約の縛りからもするりと抜け出した。他の監視員からの監視の目も魔法を使って幻惑する。あるいは見えないように視線をすり抜ける。
これで、彼の方には何の知らせも行かないだろう。
×
「……前はね、もうちょっと優しかったんだよ」
目に涙を溜め、床に座り込んだ薬術の魔女は零した。
「好きにしても良いって、どこに行っても良いって、言ってくれて」
優しく、ゆっくりと頭を撫でてくれる手に、
「あんな感じじゃなかった」
ぽろ、と涙が零れ落ちる。
「……その人は、魔女ちゃんが居なくなってしまうのが、不安なんじゃないですか?」
「ん……そう、なんだろうけど」
側に座ったその2もとい、聖女の問いかけに、薬術の魔女は俯いた。
『逃げ出したい』という気持ちで屋敷を飛び出して少し彷徨った後、気が付いたら休みだったらしい聖女と出会い、ここに連れてこられた。どうやら、この場所は聖女の私室らしい。
「今日のところ……いえ、落ち着くまでは、私の部屋にお泊まりしましょう? それで一度、気持ちを落ち着かせるんです」
との提案で、聖女の部屋にお世話になることになった。周囲にはどうにか言っておくと、聖女は言った。
「落ち着いたら、婚約者の方と少しお話しして、それでもダメだったら……また私のところに来てください」
不安だったら私も立ち会いますから、と言われ
「……うん」
こく、と薬術の魔女は頷く。
「やっぱり、思っている事はちゃんと言葉にしなきゃ駄目だと思うんです」
薬術の魔女の頭を撫でながら、聖女は呟く。
「私が、魔女ちゃんに謝った時のように」
「えっと、何かしたっけ?」
その呟きに薬術の魔女は首を傾げた。
「えぇっとぉ……」