薬術の魔女の結婚事情
星の祭
「――え?」
本当の名を呼ばれた気がして、振り返る。
直後、パンッと何かが弾けたような音がした。そして自身の中で何かが、カチリ、とはまった気がした。
「わわっ?!」
何かがはじけたような衝撃に、薬術の魔女は尻もちをつく。
「え?! なに?」
周囲を見回している間に、背後から脇腹に手を差し込まれて抱き上げられた。
「わ、」
「……私を置いて、何処へ行こうというのですか貴女は」
僅かに持ち上げられてすぐに足の裏に地面の感触がした。どうやら、立たせてくれたらしい。直後、溜息混じりに魔術師の男が問う。
「あれ、きたんだ。きれいでしょー」
にこにこと笑顔で、薬術の魔女は彼を振り返り見上げた。綺麗、を通り越して不気味さを醸し出しているのだが、彼女は気付かない。
「ここ、っていうかわたしが行った『星祭り』に、人が来たのはきみが初めてだよ」
なんでこないのかな、と首を傾げ
「お友達には綺麗なお祭りがあるって教えたんだけどね」
と薬術の魔女は言う。
「……開催が夜中だからではないのですか」
魔術師の男は、とりあえずそう答えておいた。本当は、妖精の祭りだから、普通の人間は足を踏み入れられないだけなのだろうが。
「お名前のある山に、必ず一つあるんだよ」
「其の様ですね。私も、昔、聞いた事がありまして」
「へぇー。猫のお家の山にも、お祭りあるの?」
魔術師の男は、昔に似た話を聞いたと告げれば、薬術の魔女は興味深そうに目を輝かせた。
「扨。名の有る山に一つ存在するの成らば、有るのでは」
そう、質問を躱す。魔術師の男が目にしたものは、煌びやかなものには到底見えなかったが、伝えないでおいた。
「何故、斯様な所に貴女は居らっしゃるので」
気を取り直して問うと
「最初の方は同級生の子に、少しだけ匿ってもらってたの」
そう返される。
「けど、呼ばれた気がしたから来てみたんだ。いつもは、夏のやつに行くんだけど」
それを聞き、魔術師の男は薬術の魔女が山に行くと告げた場合は、絶対に帰還に関連する御守りを渡そうと誓った。
「間に合ってよかった」
と、安堵の息を吐く。
「……あのさ、あんまり……束縛しないで」
ぎゅ、と魔術師の男の服の裾を握り、小さく呟く声で薬術の魔女は言った。
「なるべく我慢はするけど」
その、ちら、と魔術師の男を見る様子が、怒られるのを怖がる子供のように見える。
「…………だから。きみも、少しくらい我慢して欲しいんだ」
「……成る可く、気を付けます」
そう言われて、自身は我慢が効かなかったのだと、魔術師の男はようやく自覚した。
「貴女が居なくなってしまうか不安で、過剰に束縛しまいました。大変、申し訳ありません」
謝りつつも、彼女が自分の為に自由を少し手放してくれていたのだと知り、嬉しくなる。
「ん。3回くらいはゆるしてあげるけど、それ以上は無理かもだからね?」
口を尖らせ、薬術の魔女は告げた。どうやら、あと二回くらいは許してくれるらしい。
「……自身の気質がこうなのは、自覚しております」
「うん」
「手に入れたものは、二度と手放す気も無く」
「そうなの?」
魔術師の男の告白に
「……『虫除け程度にしか思っていない』って初めは言ってたけど、どういう心変わり?」
と薬術の魔女は首を傾げた。それは怒っている訳ではなく、隙を悪戯心で敢えて突いたようで、薬術の魔女は少し悪戯っぽく笑っている。
「…………元々、私と貴女は年齢がひと回り程離れております。なので想われる等、思いもしておりませんでした」
目を逸らし、溜息混じりに魔術師の男は呟いた。
「『鞍替えしてもいい』ってのは?」
「其れは……貴女は若いので」
「きみもまだ若いと思うけどなぁ」
「……学生生活で、より貴女に相応しい方が見つかるやも、と思っておりましたので」
「ふーん?」
結果は現状の通り、薬術の魔女自身は学生の中からは誰も選ばず、魔術師の男と婚約している。
「私のような者に囚われる前に、居なくなって欲しかった」
そんな言葉を吐いたが、声音は安堵している様子だった。
「……ね、今でも『虫除け程度』にしか思ってない?」
首を傾げて薬術の魔女は問う。
「…………思って居りませんとも」
観念した様子で、魔術師の男は答えた。
「ふふー、よかった」
×
「前も聞いたけど。わたしって、そんなに居なくなりそうに見える?」
「……貴女は『自由』を好むでしょう」
薬術の魔女の問いに、魔術師の男はそう返す。
「矢張り、私の様な者よりも年代の近い者の方が良かったのでは」
「わたしは、きみがいいって思ったから、きみと婚約したし、結婚するつもりだったんだよ」
『自分なんかより』と零す魔術師の男の両頬を掴み、薬術の魔女はその目を見てきっぱりと答えた。
「……『だった』、とは」
しかし、彼は言葉尻を捉えて低く呟く。
「そういうとこだよ。なんか重い」
その様子を彼女は、じと、と呆れた目で見た。
「重い、ですか」
「まあ、さっききみが言った通り、ちょっと重いのがきみの性格だろうから仕方ないとは思うけど。今のきみ、突然に動けないくらい重いやつくれるんだもん」
言いながら、薬術の魔女は自身の腕に着けている婚約腕輪に目を向ける。そして、魔術師の男の左腕を手に取って、ふと気になったことを問いかけた。
「もしかして、きみの利き手って……左なの?」
白銀に光り、薬術の魔女の目と同じ赤い色の石が嵌められているそれに触れると、魔術師の男はその手に重ねるように右手を伸ばした。
「……ええ。私の利き手は左で御座いますよ」
彼女の小さな手を撫で、彼は頷く。
「周囲には気付かれぬよう、右利きの振りをしておりましたが」
「……そっか」
その言葉を聞き、薬術の魔女は心底安心した様子で息を吐いた。
深く想っていたのは、自分だけじゃなかったのだと。
「だったらなんで、名前で呼んでくれなかったの」
すごく好きだというならなぜ、名前を呼んでくれないのか。次に薬術の魔女はそれを問う。
「以前、言ったでしょう。宮廷魔術師に名付けをさせる意味を」
「名づけ?」
彼の返答に、彼女はさらに首を傾げた。
「私が名を呼べば貴女は間違いなく私に縛られてしまう。だから是以上、貴女を縛らない為に」
自由な彼女の運命を定めたくなくて呼ばなかったのだという。名を呼び、言霊で彼女を縛ることを避けたかった、らしい。
「ばか。きみになら、良いのに……ちょっとだけなら」
焦っていたものの、彼が薬術の魔女の名を呼んだことで彼女のあり方は決まってしまったという。
「そもそも。前の雨祭りでも言ったけど。わたしはきみとともに歩むつもりだから無駄な配慮というか余計にわたしを不安にさせただけだよそれ」
そう指摘すると、彼は困ったように笑った。