薬術の魔女の結婚事情
慣れる為にも(そしてお互いの為にも)。
翌朝。
魔術師の男が目を開けると、腕の中に居たはずの薬術の魔女が姿を消していた。
寝台にも腕の中にも温もりは残っておらず、微かに残っている彼女の匂いが確かに薬術の魔女が居たことを物語っていた。
焦りつつも、魔術師の男は屋敷内の気配を探る。
「……」
どうやら、彼女は屋敷内に居るようだ。そのことに、魔術師の男は心底安堵する。位置からすると、調理場に居る。恐らく、朝食を作っているのだろう。
薬術の魔女は、こちらから触れるとすぐに居なくなるらしいと、小さく溜息を吐いた。
「(……そうだ。彼女はそう言う方なのだ)」
と、どうにか自身を納得させ、魔術師の男は身支度を整える。
×
薬術の魔女が朝食を作り終え、配膳している間に魔術師の男が私室より出たようだ。
「あ、おはよー」
背後の気配に振り返り、薬術の魔女は魔術師の男に声をかける。彼は彼女を見るなり近付こうして、
「……おはよう御座います」
はっと僅かに目を見開いた後、足を止める。
「(あ、反省したんだな)」
と、薬術の魔女は感心した。
また、懲りもせずに彼から思い切り距離を詰められたらどうしようか、と思っていたが、どうやら杞憂だったらしい。
だが、また幼名呼びに戻っていた。
「なんで?」
「いえ。貴女と私だけが知っている特別な名でしょう?」
問えばそう、返される。その上に安心したように柔らかく笑うものだから、ダメだなんて言えない。
それから、魔術師の男は以前のように急に距離を詰めることは無かった。
時折、彼は薬術の魔女に視線を向けていることは有ったが、見ているだけでそれ以外は何もしない。その視線も、何か言いたそうな目ではなく、ただ見ているだけの視線のようだ。
まるで、学生の頃に戻ったような距離感になってしまった。それも、初めて顔を合わせたばかりの時のような素っ気なさである。幼名で呼ばれるけれども。
最近は距離が近かっただけに、薬術の魔女はその温度差に不思議な気持ちだった。
「(ん……なんだろう、)」
彼から視線を逸らされる度に、胸の奥がちくりと痛む。そしてなんとなく、胸の奥が冷えるような心地になるのだ。
×
「ね、きみって極端なの?」
「……何が、でしょうか」
それから1週間もしないうちに、ソファに座った魔術師の男に問いかける。心底不思議そうな様子の薬術の魔女の問いに、彼は読んでいた本から視線を上げた。
べったりと近付いたそれを拒むと、次は、彼はほとんど近付かなくなった。
婚約もしたし、さすがに少しくらいは歩み寄るべきかも、と思った薬術の魔女は本を閉じた彼に近付いてみる。
「少しくらいは、良いんだよ?」
少しくらい。たとえば、と、薬術の魔女は彼の、本に触れていない方の手をそっと両手で握った。
「これくらい、とか」
そう言いながら魔術師の男を見ると、
「…………加減が出来るか自信が無く」
言葉を零し、彼は少し嫌そうに顔をしかめて視線を逸らす。それを見て、「(自分を信じられない人って面倒だなぁ)」と内心で思いつつ
「んー、じゃあ、一緒に練習しよ?」
提案する。
「練習……ですか」
言葉を呟き、そっと、魔術師の男は薬術の魔女を見下ろす。
「そう。きみは、そっと触る練習で、わたしは触られても逃げない練習」
ね、と首を傾げ
「わたしも頑張るから」
と押してみた結果、
「……分かりました。極力努力は致します」
そう、彼は了承した。