薬術の魔女の結婚事情
触れ合う指先
取り敢えず、落ち着けるようにと手頃なソファに2人は横並びに座り、互いを見られるように向き合う。そして触れ合う前に、魔術師の男は薬術の魔女に問いかけた。
「抑、貴女は私と手を繋ぐ事自体は今迄にも幾度か、容易にしておりませんでしたか」
「ん、そうだね」
「成らば、気を張らずとも宜しいのでは」
薬術の魔女が頷けば、彼は不思議そうに視線を向ける。
「……ほら、素手でふれあうなんて、恥ずかしいよ」
「成程。素手、でしたか」
頬を染めたままの彼女の返答に一瞬動きを止め、その後に納得した様子で頷いた。彼は、最初は手袋のままで行うと思っていたらしい。
「えっとー、素手っていったの撤回していい?」
「駄目です」
願い出は素気無く却下された。
「先ずは此の儘で触れ合い、一旦は慣らしましょうか」
「んー」
ということで。手先への触れ合いを始める前に、お互いが手袋を嵌めた状態で前準備を行うことになった。
×
魔術師の男が差し出した手の上に、そっと手を乗せる。
「……きみだって。ちょっと前に手をこうやって繋いだとき、けっこう顔を赤くしてなかった?」
言いながら、薬術の魔女は彼の手を撫でた。
この互いに手袋を付けた状態なら、魔術師の男の手をしっかりと見ない限りは平気だった。特に何も思わずに、彼の手の感触をなんとなく感じ取る。
「おや、其の様な事が有りましたか」
「あったでしょ、星のお祭りの帰り道で。きみってば、顔が白いからすぐわかったよ」
目を逸らした魔術師の男に、彼女は呆れつつ答えた。周囲は薄暗かったものの、薬術の魔女には気付かれていたらしい。
「…………そうですねぇ。あの様な繋ぎ方をして頂く事等、一生無いものだと思うておりましたので」
しらばっくれるのを止め、魔術師の男はそう言葉を零した。
「なんで? きみは顔は良いから、モテそうだと思ってたけど」
一生繋げられない、とはどういうことだろうか、と彼女は言外に彼に問う。
「顔だけ、ですか」
「うん。性格悪いもん」
「まあ、顔しか取り柄が無いもので」
口元に手を遣り、彼は涼しい顔で開き直った。
「言っといてなんだけど、顔以外にも取り柄はあると思うよ」
「……話の続きを、させていただいても?」
「ごめん」
顔以外の取り柄の話を、彼は聞くつもりが無いらしい。それを少し残念に思いながらも、薬術の魔女は小さく謝る。
「兎に角、……例えば魔力の量が多すぎる場合。其の手先は他者に如何思われるか分かりますか」
「んー?」
分からないので彼女が曖昧に返事をすると、魔術師の男はやや苦笑しつつも言葉を続けた。
「貴女は私と同様に保有魔力がそれなりに多いので、そう感知されて居らぬ様子ですが」
「うん」
「手で触れた時点で、刃物を向けるような圧を他者に掛けてしまうのですよ。高濃度の魔力が体の中に有ります故」
薬術の魔女と手を重ねつつ、彼は話す。つまり、大量の魔力を保有していると放出器官である手の平のすぐ近くでも高濃度の魔力が存在し、『魔術を発動できる状態である』と相手に勘違いをさせてしまって相手が手を繋げたくなくなるらしい。
「ふーん?」
「私の周囲の者は皆、私依りも遥かに魔力の少ない者ばかりで」
魔術師の男は溜息交じりで言う。
「つまり?」
「初めの頃……学生の頃等、殆どの者は私と手を繋ぐ事は疎か、近付く事すら出来なかったのです。……今は私の方が歩み寄ってやる事にしまして、体表へ出る魔力量の調整をし近付くくらいは支障の無い様にして居ります」
「ふーん。でも、わたしは何もしてないけど他の子ともおてて繋いだり、くっ付いたりとかできたよ?」
魔術師の男の発言に疑問を持ったようで、彼女は彼へ問いかけた。
「其れは貴女の魔力が揮発し易い、要は馴染み易い魔力だからでしょうね」
「そうなの?」
「魔力が揮発し難い、詰まり私の様に馴染み難い魔力は直ぐには無くならないので、知らずに魔力で圧力を掛けてしまうのです」
「へぇー」
思わぬところで、魔力の性質の違いでの扱われ方の差を思い知る。
×
それから1時間ほど、2人は手袋を嵌めたままで軽く話をした。
「……では。そろそろ、本題に入りましょうか」
「んー」
「先ず、私が外します故、其の合間に貴女は心構えとやらでもしておいて下さいまし」
魔術師の男が、ゆっくりとした動作で手袋を外す。
彼の手袋は薄くぴったりした素材でできており、かつ手の甲が露出している半手袋だからか、あまり着けている時と外した時とでも印象は変わらない。
何度か見たことがあり、何度か触れたことがある手。肌の色は白く滑らかだが、全体的に骨張っていて節や筋、血管の浮かび上がっている。彼の手は意外と無骨だ。
「(やっぱり、男の人、なんだ)」
思わずまじまじと見つめてしまう。
しかし、違和感を覚える。
手の肌が綺麗過ぎるのだ。
彼は宮廷魔術師でありなんでもできる人だから、恐らく、ものを書いたり武芸をしたりするはずだ。
それに彼の性格を顧みれば、多少の努力の跡が残るくらいには洗練させるだろうと想像がつく。要は、ペンだこや剣だこなどと言ったもの、または傷の跡が無い。
「……其の様に、あまり見つめ過ぎないで下さいまし。流石に羞恥が湧きます故」
「あ、ごめん」
少し目元を赤らめる彼に、咄嗟に謝ると
「何か、気掛かりな事でも?」
僅かに目を細め、魔術師の男は薬術の魔女を見下ろす。
「えっと……」
少し目を泳がせて
「きみって色々やってそうなのに、すっごく手がきれいだなって」
そう、口を割った。
「嗚呼、其の事ですか」
自身の手に視線を向け、彼は答える。
「至極簡単な事です。薬で治療しておりますので。跡が無いのではなく、跡を残していないのですよ」
「お薬?」
どんな薬だろうと、薬術の魔女は魔術師の男を見上げた。
「はい。呪猫や毒蛇、薬猿、異国等。私の知り得る知識を総動員し自身で調合した……特別な塗り薬で御座います」
「へーえ! 見てみたい!」
そう、彼女が目を輝かせると、彼は『矢張り興味を持つか』と言いたそうな顔をした。そして、
「見せません。御自分で手法を見つけお作りなさいまし」
つん、と澄ました顔で言い放つ。
「ちぇー」
面白そうな薬の気配があったが、彼は教えてくれないようだ。
「……其れに。努力の跡を見せる等、宮廷魔術師には相応しく有りませんので」
「そういうものなの?」
「分かり易く言えば、努力の跡を残すと『へーぇ、そんな努力してるんだ。出来損ないの癖に良くやるね。どうせ無駄だよ』……と、言われる話題の種になります故」
「……えぇ……そんなになんか精神的な治安悪いの、宮廷って」
普段は抑揚の少ない話し方をする癖に、先程の声の真似には、やけに感情が篭っているように感じた。
「ふふ。私だから、ですよ」
怪訝な顔の薬術の魔女に、魔術師の男は薄く微笑む。
「ふーん」
呪猫の出来損ないだから、ということらしい。
「どうせ、出来損ないの私よりも劣っている癖をして努力も出来ぬ者共の戯言で御座います。相手にするだけ無駄です」
「ばっさりいうね?」
「其れに。手は綺麗な方が術式が上手く組めるのです」
「そうなんだー」
魔力の通りを良くするハンドクリーム等を作れば、役に立てるかも、と少し彼女は思う。
「処で。貴女は手袋を何時外して下さいますか」
流し目で、魔術師の男は手袋に覆われたままの彼女の手を見下ろす。
「う……分かったよ、いま外すから」
うー、と小さく呻いて恥じらいながら、薬術の魔女が手袋に手をかけた。
×
彼女は、必要以上の魔力の放出を防ぐためか丈夫な革製の手袋を身に付けていた。それに、手首の部分で止められるように留め具がついている。
両手の留め具を一つずつ外し、薬術の魔女は緩んだ手袋の指先をもう片方の手で摘み、手を抜いて出す。
手を抜く際に、手袋内に篭っていた魔力が少し溢れ、一瞬だけ珊瑚珠色の魔力が見えた。
ほとんど密閉状態に近かったからか、彼女の手は潤っており、柔らかそうだ。
彼女の手は正に白魚のような手であった。すらりとした細長い指に、抜けるように真っ白で透明感のある肌。そして、その肌はきめが細かく玉のようである。
薬草を抜いたり、薬品を取り扱ったりしているのに一切の荒れは見当たらず実に綺麗な手だ。
「ん……はずかしい」
顔を真っ赤にさせ、薬術の魔女は言葉を零す。
「ね、もういいでしょ?」
「何、莫迦な事を仰る。指先だけでも触れ合いましょうね」
「んー」
外したばかりの手袋に再び手を入れようとしたその手袋を取り上げて、魔術師の男は諭した。
怖気付いたのか、あるいは恥ずかしさが限界まで達したのか、彼女は両手を袖の中の隠し始める。
「人の手袋取るなんてずるいよ」
「ふふ。手袋を直ぐ様自身の側に置かなかった貴女が悪い」
魔術師の男はやや楽しそうな様子だった。
「……さ。観念して、私の指先に触れて下さいまし」
「んー……」
薬術の魔女に手の甲を向けた状態で、魔術師の男は手を差し出す。手のひらを見せないためだ。
そっと、薬術の魔女は袖から手を出し、彼の手のひら側まで持っていく。そして、人差し指を少し立てて、彼の指先に伸ばした。
×
ぴと、と指先が触れ合う。
それと同時に、指先の柔らかさと相手の魔力の刺激を感じた。
「……きみの手、ちょっと冷たいね」
熟れた果実のように赤い顔で、彼女は言葉を零す。
「貴女は……何時も温かいですね」
吐息混じりに言い、彼はうっそりと微笑んだ。
触れ合う指先で、互いの脈動を感じる。
僅かながらも、相手の魔力が触れたそこから温かく流れ込んでくる。
混ざり合う感覚は本当に不思議で、心地よい感覚だった。
そして。温かさと脈動で、生きている生身の人なのだと思い知らされる。
「……止めますか?」
気付けば、他の指の先も合わせていた。
無論、互いの指の長さや手のひらの大きさがかなり異なるので全ての指ではないが。
触れ合う指先同士の温かい触感は、なんとも離れ難いと感じられる。
「……ん。もう少しだけ、なら……触ってもいいよ」
心地良さからか少し目が潤んだ様子で、彼女は答える。
「いえ。成らば、今日は此処迄です。徐々に慣れましょうね」
「ん」
彼は意外にもあっさりと手を離した。それを少し惜しいと、少し寂しいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
「余裕が有る内に止めておきましょう。妙な癖になられても困りますし」
彼は彼女の前に取り上げた手袋を置き、その後自身の手に手袋を着けた。
『何方が』とは言わなかったが、その方が賢明なのだろうと薬術の魔女は頷く。
「わかった」
「では。明日も、此の調子で宜しくお願い致します」
「……う、ん」
明日もやるのか、と思うと、何となく鼓動が早くなった気がした。