薬術の魔女の結婚事情
触れ合う手
触れ合い方の練習を始めてから、薬術の魔女は魔術師の男以外の人に近付き難くなるのを感じた。
「(なんでだろ?)」
不思議に思いながらも、彼女はいつものように店を開けた。
最近は顔馴染みになった客や、たまに増える新規客の対応や、商品の開発を行なっている。
開発するものは主に、現状の商品の感想や他にどのような薬品や小物があると便利なのか、最近は何が流行っているのか、などの情報収集の結果だ。
そして、昼を過ぎた頃にいつもの貴族が現れる。
色々と話しかけられているものの、内容はどうでもよかった。
何かの自慢話や話題を振られているようだけれど、すでに知っているものや興味がないものばかりで。
途中で手を握ろうとしたので、それをさりげなく避ける。
何となく、嫌な感じがしたからだ。
「(あの人なら平気なのになー)」
と思う。
そして、今夜も手で触れ合うのかと思うと、顔が熱くなった。
家に帰って少し待てば、魔術師の男が帰ってくる。
「おかえり!」
「はい。只今、戻りました」
そう言いながら出迎えると、彼は薄く微笑んでいた。
×
息を切らしながら、とある男は石畳の道を駆けていた。人気の少ない、昼間でも薄暗いような道を、だ。
「(どうして、こんなことになった)」
そう、後悔した。
誰だったかもう分からないが、手を出した相手が悪かったらしい。どこかの家の、箱入りの令嬢だったか。
「弄ばれた」と訴えられ、お陰で家の経営や色々が駄目になってしまった。
いつもは家柄も色々も周到に調査して判断していたと言うのに。
「(……監視員に、追われるなんて)」
監視員は要するに、国が指定した要注意人物の監視や犯罪者の捕縛を行う治安維持の組織のことだ。
しかし彼らは、刑罰を与える権限はない。
「(そうだ、ただ捕まるだけだ)」
でも、捕まった後はどうなるのだろう。金を使えば見逃して貰えるだろうか。しかし、直前に読み上げられた罪状は、かなり重いものだったはずだ。
それともう一つ、唯一の例外で監視員長と副官には特別な権限がもたらされている話を、どこかで聞いたことがあった。
対象を処分して良い。
つまり、捕縛対象の殺害の許可だ。
「(いや、まさか)」
嫌な汗が滲む。
いつのまにか、行き止まりに追い詰められていた。
「長期間の逃亡、御苦労様です」
振り返ると外套で顔を隠した人がそこに立っていた。声で、なんとなく性別が男だと分かる。そして外套の襟元に、監視員の印が見えた。
「残念でしたね。貴方には、『後』が残されていない」
フードを深く被った男が薄い手袋で覆われた手を動かすと、首に細い糸が絡みついたのを感じる。
「なんで、」
首に食い込む感触に、どうやらただの捕縛ではなさそうだと直感する。
「誠に言い難い事なのですが……貴方が手を出した者は、異国の諜報員です」
棒立ちのまま、監視員の男は静かに告げた。
「え、」
知らなかったなんて言葉が通じる程、監視員は甘くない。
「其の上、貴方は此れまでに幾度か諜報員の者と関係を持った」
監視員の男は抑揚の薄い声で、無情に言い放つ。
「故に、貴方は国家転覆法違反で処分が決定致しました」
「…………そんな、」
一度だけならまだしも、それが複数回だったなんて。
「王族他、高位貴族の皆様方の決定に依り、監視員長の権限が施行されます」
抑揚の薄い声は、淡々と言葉を紡いだ。
「……罪状とは無関係ですが。よくも私の大切な者に触れようとしましたね」
そして、低く呪詛のような言葉を吐く。
「お陰で、貴方はこうして処分されることとなったのです」
獰猛な笑みを浮かべる、獣の様な歪に歪んだ口元が見えた。
「…………え」
言葉の意味は全くわからなかったが、目の前の誰かは監視員長か副官だったのだと悟る。
キリキリと糸が首に食い込み、プツリと皮膚を裂いた。
×
「(扨。羽虫は片付けましたし、是で彼女に近付く者は居なくなった筈)」
処分を終えたそれの頭部から二つ、胴体から一つ、魔力の固まった結晶を取り出し、残った肉塊は黒い袋に詰める。
彼女に言い寄ったあの男の思考を、男の友人を経由して感染魔術で操り、わざと異国の諜報員と数度も接触させ監視員の処分が下るよう唆した。
そうすれば、自らの手で決まりの名の下に処分できるだろうと踏んだからだ。
「(後は、報告書を書いて死亡届の偽装、か)」
手続きは面倒だが、手を出したならば終いまでやり遂げねばなるまい。
小さく溜息を吐き、処分に使った髪の一部を切り落として燃やし、自身の頭髪を後ろで束ねた。
×
手のひら同士を合わせた次の夜。
「今日は……もう少し、触れ方を変えてみませんか」
手袋同士で触れ合ったまま、魔術師の男は薬術の魔女に提案する。帰ってきた時、彼は髪を後ろで束ねていた。それを珍しく思いつつ、彼女は魔術師の男を迎い入れた。
「触れ方?」
また変えるの、と彼女は不安気な顔をした。
「ええ。失礼」
短く断り、彼は右手の指を絡ませて彼女の左手を握り込む。それに驚き、薬術の魔女は思わず手を引っ込めようとした。だが魔術師の男にしっかりと握られており、それは叶わない。
「……此の様に、ちゃんと繋ぐのです」
そして、繋いでいる手を見せるように持ち上げる。見せられたそれに、なぜか視線が釘付けになった。
「…………ちゃんと」
薬術の魔女は頬を薄く上気させて、口の中で呟くようにおうむ返しする。
「ち、ちょっと早すぎない?」
はっと我に帰り、彼女は身を少し引いた。繋いだ手はしっかり握り込まれているために、あまり離れられなかったが。
「……早い、ですか」
薬術の魔女の訴えを聞き、魔術師の男は首を傾ける。
「そうですねぇ…………貴女がそう仰る成らば。本日は止めておきましょうか」
少し残念そうにしながらも、彼は手を離した。
「え、」
否定の旨を伝えても、どうせ彼は押すだろうとすっかり思っていた彼女は、驚き魔術師の男を見上げる。
「何か?」
薬術の魔女を見下ろし、彼は不思議そうな様子で尋ねた。
「なっ、なんでもない……」
その様子に不思議な罪悪感と羞恥を感じ、彼女はさっと視線を顔ごと斜め下に逸らす。
「…………」
それを魔術師の男は数秒見つめた後、
「では、手袋を外しましょうか」
いつものように、提案をした。
×
触れ合う手のひらの感覚に、薬術の魔女はそろそろと息をゆっくり吐く。そして、
「(……やっぱり、提案を押されなくてよかったかも)」
と内心で安堵した。
ただ手のひら同士を合わせているだけだというのに、こんなにも顔が熱く鼓動が速くなるのだから。
普段は少し温度が低いのに、触れ合うと彼の手は温かくなる。それに、肌の滑らかな感覚と僅かに体の中に流れ込む彼の魔力で、力が抜けてしまうのだ。
ふにゃふにゃになって、薬術の魔女は酷い眠気に襲われる。
「……終わりにしますか」
魔術師の男が気遣うような声を掛ける。
「うん」
頷き、手を放そうとした直後
「ぅひゃっ?!」
魔術師の男が素手のまま、薬術の魔女の手に指を絡ませてじっくりと握り込んだ。
繊細な放出器官同士が更に押し付けられるように触れ合い、擦れ合った。それに、手のひらだけでなく指の間、手の甲にも彼の指が触れて身体に甘い痺れが走る。
「な、なに」
驚愕で体を強張らせる彼女に
「おや、あの顔は、是を望んでいた訳でないと」
彼はニヤ、と底意地の悪そうな顔で笑った。
「な、」
今までに見たことのない表情に、彼女は更に縮こまってしまう。
「いいえ、気にせず」
直後、彼は元の氷像のような涼やかな顔に戻し、思考するように目を閉じた。
「……宮廷等と言う、相手の表情で心情を察する必要のある職場に身を置いて居ります故」
そして
「勝手にそうだと想像してしまいました」
と、にこりと朗らかに微笑む。間違うことなく、作り笑いだ。
「む……」
「冗談で御座います。私がそうしたかっただけですよ」
顔を真っ赤にさせたまま眉間にしわを寄せた薬術の魔女に、魔術師の男は低く囁く。
「……ふん」
不機嫌そうな顔で、彼女は外方を向いた。確かにそうではあったけれど、そうではない。
「すみません。貴女が可愛らしいのでつい」
苦笑をする彼の頬を抓り、
「もう寝る!」
叫ぶように告げて彼女は自室へ戻った。