薬術の魔女の結婚事情
触れ合う頬
手と手が絡み合い、密着して自身の熱を相手に与える。魔力が混ざり合い溶け合って、肌の境界が無くなったかと錯覚するほどに心地が良かった。
ただ手を繋ぎ合わせているだけなのに熱くて、なんだか切なく胸が締め付けられる。滲む視界で見上げれば、酷く優しい表情で彼は愛おしそうに見つめていた。
「……ね。もう、いいでしょ?」
手を絡ませ、指先で指の側面や手の甲をもどかしい速度でゆっくりと、じっくりと撫でる魔術師の男に、熱い吐息を漏らしながら、薬術の魔女は赤い顔で音を上げる。
手を絡ませるようになってから、彼は彼女が眠りそうになると、敢えて刺激を与え起こしにかかるのだ。だから、薬術の魔女は眠気と心地よさの合間のような状態で気持ちがふわふわしていた。
「…………もういい、ですか」
問う彼は、言葉の意味を汲み取ろうと、じ、と彼女を見つめた。その目線を受けるだけで、不思議と彼女は更に鼓動が早まる。
「ん、もう慣れたから、やんなくていいよ」
要は、こうやって手を触れ合うのを止めよう、ということだ。身体も暑いし、頭がくらくらするし、なんだかお腹が変な感じがした。
「……慣れておりませんよね」
手を絡ませたまま低く呟き、魔術師の男は薬術の魔女の方に身体を近付ける。
「な、なに?」
当然に、彼女は距離をとるよう身体を後方に引いた。
「ほら、逃げるではありませんか」
「に、逃げてないもん」
ぷるぷると首を振って否定するも、彼は胡乱な目で見つめるばかりだ。
彼が近くにいると心臓がぎゅっとして、更にどきどきと鼓動が早まって、逃げ出したくなる。手を繋がずに近くにいる時は、ただ心が落ち着いて安心するだけなのに、と不思議に思う。
「然様で」
顔をしかめる薬術の魔女に小さく溜息を吐き、
「では。次の触れ合いに慣れたら終わりにしましょうか」
と魔術師の男は告げた。
「ほんと?」
「……えぇ。本当です」
ぱっと顔を輝かせるその姿に、魔術師の男はなんとも言えない心境になる。彼自身は、もう少し長く触れ合いたいと思っているのに、薬術の魔女は全く乗り気でない上に、止めることを喜んでいる様子だからだ。
「程よく慣れましたし、もう少し近い場所に触れてみましょう」
「……え、どこ?」
これ以上に近い場所なんてどこにあるのか、と目を瞬く薬術の魔女に
「顔、です」
魔術師の男は答え、片方の手に顔を寄せ白魚の如き手の甲に頬を当てた。
「かお」
繋いだ手に頬ずりされている状態に、思わず彼女はおうむ返しする。
「以前、貴女と相性を確かめた際、貴女が頬に触れさせたでしょう」
「ん、そうだね」
頷きながら、少々恥じらいのハードルが下がったと薬術の魔女は内心で安堵した。
「では、顔に触れてみましょうか」
する、と手をゆっくりと外され魔術師の男は彼女に声をかける。
「えっと、」
どう触れば容易か分からず、少々まごつく薬術の魔女に彼は提案した。
「無難に、頬の辺りが良いのでは」
「ん。じゃあ、触るね」
それに薬術の魔女は頷き、そっと指先で触れる。
「……もう少し、手の平で触れて下さいまし。其の触れ方では、手の時から退化してしまいますよ」
「…………分かってるよ」
返しながら、触れた時の印象が手に触れた時とあまり印象というか、感覚が変わらないことを彼女は不思議に思う。
「相性が良いからでは」
と、内心を察したらしい彼は目を細めて答えた。
「そう、なのかも?」
彼女は、魔術師の男が自身と同じように全身が魔力放出器官であることを知らない。第一、全身が放出器官の者など本当に稀にしか生まれないからだ。
実は、どの人間にも体の全体に放出器官は有る。ただ、魔力放出ができる程に発達していないだけだ。それは『退化した』とも言える変化だ。
そもそも、自身を構成するあるいは生命維持に使われる魔力を漏らす可能性が高く、また外部から魔術的でも物理的でも危害を加えられると損害の大きい放出器官が全身に有るなど命を落とす危険が高い。
つまるところ、全身が放出器官になりやすい体質の遺伝子はほとんど生き残れなかったのだ。
だから、今の人の肉体では退化して、必要最低限の手先の放出器官だけが機能している。粘膜にも体を守るために放出器官が退化していないらしいが、そこの放出器官は手と違い魔力は微量しか出ず、調整もできない。
「きみのお肌はつるつるだねー」
ぺたぺたと、薬術の魔女は興味深そうに魔術師の男の頬に触れる。今回は彼は頬には触れず、薬術の魔女が一方的に好きに触って良いと言っていた。
「貴女はすごく、柔らかいですよね」
触られながら魔術師の男は彼女の頬の柔さを思い出し、言葉を続ける。
「其れに、肌に吸い付いてくる。……馴染み易い魔力だからでしょうか」
本音を言えば可能ならば彼も薬術の魔女に触りたかったが、彼女が逃げてしまうだろうからと、耐えていた。
「わかんないけど、『もち肌』ってのはよくいわれるよ?」
薬術の魔女は少し首を傾げる。
魔術師の男は全身が放出器官であるのだが、風呂から上がるなり自身の身に特定の場所以外からの魔力の放出を禁ずる呪術を刻んでいる。それは自身の身を守るために行なっていることだ。
魔力放出の許可をしているのは手のひらと指定した部分のみで、他はかけている術を解除しない限りは時間経過以外では解けない。
そして薬術の魔女は、先天的に全身が魔力放出器官だが、魔術師の男は後天的に獲得したものだった。
だから普通の全身が放出器官の者と違い、彼の出生証明の書類にはそう言った情報は書かれていない。
なので、薬術の魔女にはそれを知る術は無かった。
彼が後天的に放出器官を獲得したのは、最悪過ぎる幼少期の過度なストレスのせいだった。魔獣の肉の拒絶反応が出ないことも同様の理由である。
それは兎も角、現状の彼は全身放出器官であることに感謝していた。
体質のお陰で彼女は他人よりも、魔術師の男自身と共にいる時、あるいは触れている時が一番心地よいと思わせることができるからだ。
「ねー、これでほんとに終わりにしてくれるの?」
魔術師の男の顔に触れながら、薬術の魔女は問う。
「えぇ。勿論で御座いますよ」
「うひゃ!」
頷いた直後、魔術師の男は頬を指の背で、さらり、と撫でる。
「なにするの、くすぐったいじゃん」
「慣れたら、ですからね。明日は、私が触れます」
「んー、今きみ触ったよね」
やや不満そうに、薬術の魔女は口を尖らせた。