薬術の魔女の結婚事情
約束
とある日、仕事をしていた後輩の魔術師に
「どうぞ、是を」
と、魔術師の男は紙製の手提げ袋に入った箱を差し出した。特にどこかのブランドものというわけでもなく随分とシンプルな紙袋だ。
「……なんですか、これ」
問えば、
「謝礼の品です」
そう、普段通りの無表情で答える。
「はあ。……あぁ、見つかったんですね、あの子」
「はい。お陰様で」
「それは良かったです」
じゃあ捕縛の方法とか教えて貰えるのだろうか、と思いながら後輩の魔術師は取り敢えずで相槌を打った。
受け取った紙袋は中身が詰まっている。だが重さを軽減させる術式がかけられており、さほど負担ではない。
「で、この品はなんですか」
「化粧水諸々です」
答えつつ、魔術師の男は元の場所まで戻っていく。
「化粧水諸々……? なぜ」
「私の婚約者が現在、化粧水や軟膏色々を制作しておりまして、試供品の一式だと思って下さい」
「試供品……」
「此れから用事が有ります故、定時後は好きにお帰り下さいまし。それでは」
「……」
部屋から出て行った魔術師の男を見送り、後輩の魔術師はそろそろと息を吐く。
「結構、仲が良さそうですね。あの人達」
あの薬術の魔女と仕事以外に興味の無さそうな上司が制度で結ばれたのだから、さぞ冷え切った仲だろうと邪推をしていた。だが、あの時の憔悴っぷりを見れば、誤解だったのだと思い知らされた。
そして、逃げ出した相手の元に薬術の魔女が帰った。それだけで、彼女も随分と入れ込んでいることが分かる。
それでも、きっと周囲は彼の変化には気付けないだろうし、薬術の魔女のことを知らないだろうから、変な噂は立つだろうけれど。
「……そろそろ結婚でもするんでしょうかね。というか、ほんとに誰にも言わないんですね」
小さく息を吐いた。共通の友人越しに訊いたので、一応は知っている。
×
「其れで。私奴に何用で御座いましょうか」
魔術師の男は、とある場所に来ていた。本当の上司から呼び出されたのだ。
「結婚をすると聞いたからな」
「……何処からの情報ですか」
明るく笑う上司に溜息混じりに問うと、
「お前の兄からだ」
そう返され、魔術師の男は柳眉をひそめた。
「それともう一つ。お前の籍を呪猫の家に戻すという話があったみたいだが」
「そうですね」
「戻るのか?」
「断れるわけもなく。謹んでお受けいたします」
そう言いつつ、彼は内心で薬術の魔女を窮屈にさせてしまうかもしれないと、思う。練習のテーブルマナーですら、かなり嫌そうな顔をしていたのを思い出したからだ。
「話によると……詳細は手紙に書いてあるらしいが。大まかに言えばお前自身は特に何も変わらんそうだ」
「然様で。詰まり、当事者である筈の私には一切の報告を無しで、勝手に籍だけ家に戻されたのですね」
「まあ、事後報告だな」
上司は苦笑しながら答えた。
「『約束の通りに“弟”を返して貰うぞ』と言われた際には魂を取りに来たのかと少し肝が冷えたがな」
「……約束とは」
魔術師の男が上司に視線を向けると、一瞬、『しまった』と言いたげに固まる。それに魔術師の男の視線が更に細まった。
「…………呪猫の当主から、『弟を預ける代わりに身の安全を守れ』という約束を王がしていたんだ」
「然様ですか」
「で、『春来の儀』での一件により弟の身が安全でないらしいと見做して返せ、と言われた訳だ」
「……」
「で、こちらもお前には大分助けられている訳で」
「要は都合の良い魔力袋を失いたくないと言う事でしょう」
「まあ身も蓋もない言い方をすればそうなんだが、もう一つ、ただでさえ性能がおかしい呪猫当主がいると言うのにお前まで呪猫に行かれると均衡が崩れる」
「そうですかね」
「そうなんだよ。それで、お前を取られたくないそこを突かれて『弟を王都に置く代わりに籍だけ手続き無しで持ち帰らせろ』と」
「でしょうね」
あの者が欲しているのは魔術師の男そのものではなく、悪魔としての役割だけだ。呪猫の者という、幾度か呼び付けても面倒のない身分を与え、身柄自体は安全な王都に置かせる。初めからそのつもりだったのだろう。
口元に手を遣り、魔術師の男は思考を巡らせる。披露されることなく行われた、ということは分家の者には知らされていないかもしれない、と。
そうすると、結婚をしても少なくとも暫くの間は婚約者を呪猫に連れていく必要が無くなるので、彼女には窮屈な思いをさせずに済むだろう。礼儀作法は、ゆっくりと彼女に教え込めば良い話だ。
「他に何か言伝は」
「『たまにで良いから顔を見せに来い』だと」
そう告げた直後、魔術師の男は鼻で笑った。『追い出される原因を作ったお前がそれを言うな』と言うことだ。
「お前の血縁者とはいえ呪猫の当主だぞ」
と彼の様子を見て上司は呆れた様子で言葉を零した。
「他に言える事は、お前の姓が変わるから書類の書き込みや手続きに気を付けろって事ぐらいか」
「然様で。話はそれで終いですか」
「いや。俺からすれば此方が本題だ」
声色を真剣なものに変え、上司は魔術師の男を見る。
「お前の『役』についてだが」
「はい」
「『魔女が不穏な行動を起こしたら捕縛し処分する』事なのは判っているな?」
「そうですね」
「仲はどうだ」
上司は端的に問うた。
「如何、とは」
「お前との仲が大層に良いのならば、刃が鈍るのではと思っているのだが」
「……私が其れ程に、感情に流される頭の緩い者に見えますか」
静かに、魔術師の男は訊く。
「いや。確認できればそれで良い」
「もう一つ……他国から『薬術の魔女』を守る仕事を追加する予定ですか」
上司の顔に視線を向ければ、そうだと頷いた。
「国内に居るのは厄介だが、他国に誘拐でもされると更に困る」
「そうですね」
薬猿ですら欲しがる『薬術の魔女』を外国に取られるのは大きな損害となるからだ。
それからもう少し、仕事の計画や情報共有、部下達の育成状況等の話をした。定時の合図が鳴り、用事も済んだので魔術師の男は荷物を回収し始める。
すると、上司から呼び止められた。
「……どうせ式も挙げないだろうし、挙げても呼ばないだろうから先に言っておく。『おめでとう』」
「えぇ。どうも」
振り返れば思わぬ祝福の声が有り、魔術師の男は素直に受け取る。
×
無論、『薬術の魔女を躊躇なく処分できるか』と問われれば否である。しかし、『処分する』ということは、二度と表に出なければ良いことなのだと解釈ができる。
つまり、仮に命令が下ったとしても、薬術の魔女を処分せずに外部から干渉出来ない場所に監禁すれば良いのだ。
「(有る意味で、彼女にとって最悪の状態になりますがね)」
その日を内心で少し楽しみにしているのは置いといて。
「……本当に忌々しい」
そして、魔術師の男は自室で呪猫当主としてではない、兄からの手紙をくしゃりと握り潰した。
今更そこに戻ったとしても、人間関係の面倒さが増えるだけではないか、と。