薬術の魔女の結婚事情
虚霊祭。
「(…………びっくりした)」
薬術の魔女は胸元を押さえ、小さく息を吐く。
帰ろうと向き変えて少し歩いた先に婚約者の魔術師の男がいるなんて思わなかったのだ。
彼は、会話の内容は聞いていないことになっているようなので、薬術の魔女は自分の首を絞めないためにも深くは追求しないことにした。
「(……ちょっと恥ずかしいな)」
特に、最後に言った言葉をしっかりと聞かれていたのならば、恥ずかしすぎてまともに顔が見られなくなってしまう。
ちら、と隣を歩く魔術師の男の顔を見る。彼はいつだって、冷たいような表情でいて、変わらない。
「(……わたしのこと、実際どう思ってるんだろ)」
誘ったら来てくれるくらいには、気にかけてもらえているようだけれど。
しかし薬術の魔女は、魔術師の男の気持ちがどうと言うことよりも、彼がずっと猫男の姿である方が気になりだしている。
「ずっと変身し続けてるのって、疲れないの?」
「ああ、魔猫姿の事で御座いましょうか」
問いかけると、魔術師の男は自身の血塗れの爪の手をちら、と見た。
「平気ですよ。防衛の魔術と比べれば此の程度、如何とも有りませぬ」
「へぇ。ところで、今日は一緒に虚霊祭には行けるの?」
薬術の魔女は魔術師の男に問いかける。
「そうですね……貴女を任意の時間でアカデミーの寮に送り返せる程度には、共に居られますが」
「ほんと!」
思いの外好感触な魔術師の男の返事に、薬術の魔女は目を輝かせる。
「はい。……随分と嬉しそうですね」
「んー、そんな事ないよー」
そう答えつつ、薬術の魔女はすごく楽しい気持ちになっていた。
×
「やっぱり不思議な感じがするよね、虚霊祭って」
「……其の様ですね」
日が傾き、空の色がだいぶ紫色に変わった。暗くなったためか、様々な場所に取り付けられた装飾達が色とりどりに光っている。
薄暗い街が、いつもはもっと静かで人の出が少ない街が、騒がしく賑わって、楽しそうな人達で溢れている。
「完全に、いつもとは全くの別世界なんだよねー」
食べ物屋の露店達が醸す色々な美味しそうなにおいも、普段とは全く別の『非日常』を演出していた。
「……今更ですが、御学友達と一緒でなくて宜しいのですか」
「それ、前も似たようなこといってなかったっけ。大丈夫だよ」
困った顔で薬術の魔女は魔術師の男を見上げる。
「きみと行くって伝えたら『じゃあこっちも二人で回っとくから』って答えてさ。どこかに行っちゃった」
「然様ですか」
魔術師の男は普段通りの、何を考えているのかが分からない冷たい顔をしているようだが、
「(……あれ、なんだか変な顔してる)」
なんだかそんな気がした。特に動物の顔になっていてさらに表情が分かりにくい筈なのに、普段と様子が違う。
「どうしたの?」
「……何の事でしょうか?」
なんとなくで様子を訊いたら質問で返された。
「なんでもないよ」
言いつつ、周囲を見回してみる。
「(特に変なものも見えないし、変な感じもしないけどなぁ)」
強いて言えば、煌びやかな格好の人が思っているよりも多い事だろうか。そう思ったところで、午前中に魔術アカデミー内で彼とした虚霊祭の話を思い出した。
「(他の貴族がいるから気まずいのかな)」
多分違う。
×
露店の並ぶ通りを抜け、商店の並ぶ通りに出る。そこには、仮装をした子供達や仮装をした大人達が沢山おり、装飾された店が複数並んでいた。
「ここの通りでね、お守りのお菓子をもらうんだよ」
魔術師の男の手を引き、薬術の魔女は解説をする。
「……知識としては知っておりましたが……ふむ」
彼は目を細め、周囲の様子を観察しているようだ。
「きみは『仮装した大人』だから、子供達にお菓子を渡すことになるんだけど、大丈夫?」
「えぇ。以前そう聞いておりましたので、一応の準備はしておりますよ」
「そう! それならよかった! 足りなくても気にしなくていいからね。通りにあるお店がいっぱい配ってくれるから」
薬術の魔女は魔術師の男の手を引いたまま、商店の並ぶ通りを進む。
「『お菓子くださいなー』」
と、『お菓子あります』の看板をつけた店に着くなり、薬術の魔女が店の戸を叩くと
「はいはい」
戸の奥から返事が聞こえ、
「『どうぞ、お菓子をお持ち帰りください』」
店員だと思われる仮装した大人に菓子の詰まった袋を手渡される。
「ありがと!」
そして、一連のやり取りが終わると店員は再び戸を閉めた。
「建物の中でお菓子を配る人はあんな感じでお菓子をくれるんだ」
ほくほく顔で戦利品のお菓子を魔術師の男に見せる。
「成程」
「で、仮装した大人の人は『お菓子ください』っていわれたら『どうぞ、お菓子をお持ち帰りください』って答えて、お菓子を手渡すだけ!」
薬術の魔女は貰ったばかりのお菓子を口に運びながら、そう言った。
「店の方、或いは建物内部で子供達を待ち伏せる方々は、一々扉を閉めるのですね」
「うん。なんか境界がどうとか、戸を叩くためだとかいわれてるよ」
「……ふむ」
×
「……『どうぞ、お菓子をお持ち帰り下さい』」
魔術師の男は、仮装をした子供に焼き菓子の入った小さな袋を渡す。
「ありがと!」
仮装をした子供は嬉しそうに袋を抱えて去っていく。
「結構グロい見た目だけど、結構声かけてもらえるんだねー」
と、薬術の魔女はしげしげと魔術師の男の格好を見る。
「其の様です。童は意外と耐性が有るのですね」
と答える彼の表情はやっぱり何か変だ。でも、答えてくれないだろうから、様子を見るだけにしている。
「というか、どこにお菓子の袋持ってるの?」
薬術の魔女は魔術師の男の身体を見ながら問いかける。
今、魔術師の男の手元には何もない。
「お、『お菓子くださいな』」
姿にやや怯えながらも手を差し出して菓子を求める子供に、
「『どうぞ、お菓子をお持ち帰り下さい』」
そう答えた時には、手元に菓子の袋がある。
「空間魔術の応用です」
子供が居なくなった後、さらりと魔術師の男は答える。空間魔術は、空間を広くしたり、狭くしたりできる便利な魔術だが、結構操作が面倒だったような……。
しかし、結構子供達に声をかけられていたが、全くお菓子が無くなるような気配がない。
「お菓子まだあるの?」
「えぇ。あと30人分は余裕ですよ」
涼しい顔で魔術師の男は答える。
「どんだけ作ったのさ」
店でも出す気かよ。
×
「いっぱいもらっちゃったー!」
薬術の魔女は嬉しそうに沢山のお菓子の詰まった袋達を掲げた。今は通りを抜けて、魔術アカデミーに帰ろうとしている所だ。空はすっかり真っ暗で、そこらじゅうに星が瞬いている。
「やっぱりわたしって可愛いからねー」
「そうですね」
なんちゃって、と言おうとする前に魔術師の男に肯定された。
「って、え、そこ頷く? いきなりどうしたの?」
と、薬術の魔女は慌てて魔術師の男を見上げると、
「他の方より良い菓子を貰っているようですから」
いつも通りの澄ました顔で、なんともないように魔術師の男は答えた。
「えっ、そうなの?」
「自覚なさっていなかったのですか」
「え? 何が?」
聞き返すと、鼻で笑うような溜息を吐かれた。
×
「では、私は此処迄です」
「うん、ありがと!」
魔術アカデミーの寮裏口の前で、魔術師の男は足を止めた。
「きちんと、札を窓の側に置いて下さいまし」
「分かってるよー」
手を振って薬術の魔女は寮の中に入る。結構長い間見送ってくれていた。
×
「えっと、こうだっけ?」
寮の部屋に帰って直ぐに、薬術の魔女は手渡された札をベランダに繋がる大きな窓の側に置いた。
ベランダにはたくさんの薬草の鉢植えが置いてある。
「んー、ちゃんとみんな元気に育ってるね」
安心しつつ、カーテンを閉じた。
薬術の魔女は『薬学特待生』として魔術アカデミーに入学したため、法律に触れない程度の薬草の育成、薬品の生成を許可されているのだ。
×
「ふぁ、ねむ……」
眠る準備を済ませ、薬術の魔女は小さくあくびをした。と、
『』
「あれ」
ベランダの方から何かの鳴き声が聞こえる。ベランダの方に寄って見ると
「猫だ……って、おっきい」
体高が薬術の魔女の腰ほどもある猫……のような、四足歩行の獣がベランダの手すりに乗っていた。
大きな猫はちら、とこちらを見ただけですぐに顔を別の方向に向ける。
「(……なんだろ)」
眠気が酷く、そしてその大きな獣は害がなさそうな気がしたので、そのまま薬術の魔女は眠った。