薬術の魔女の結婚事情
年明
人目を無くされた場所で、惚けた顔の女を解放する。
「さ、もう行きなさい」
女はふらりと覚束無い足取りで会場へと戻る。
「(……嗚呼、あれも大した情報を持っていなかった)」
催眠と情報収集以外何もせずに返した女を見送りながら、外を眺める。煌びやかに飾られた木々や街が闇夜を煌々と照らしていた。
この年越の儀の周辺も、収穫祭の時も。こうして国民が安全に夜中まで外に出られるのは、軍部の者達が人知れず魔獣を退治しているからだ。
この幸せを享受出来る生活の有り難みを、しかと理解している者がこの場所にどれ程居るだろうか。
「……」
目を閉じると、監視の式神達が居る場所の様子を感じられた。ほとんどが温かい家庭らしい様子に、ぎり、と奥歯を噛み締める。
「(……平和な事は、良い事です)」
深く息を吸い、ゆっくり目を開いた。景色は何一つ変わらない。
「……そろそろ、あれが来る頃合いか」
普段通りに笑みを浮かべ、会場へ歩を進める。
頬を撫でる風が、酷く冷たかった。
×
突如降って湧いたような娘を持つ男爵は、男爵だというのに会場を我が物顔で闊歩していた。
予想の通り、やや終盤の辺りに現れた。身分が随分と低い癖にわざわざ悪目立ちとは。そして、高僧や高位貴族達へ気さくに接しているその姿の、何とも痛々しい様。
噂によると、どうやら件の娘は『聖女候補』なのだという。
「(成らば矢張り、あの娘)」
胡桃色の頭髪の女学生。彼女は転移者である。転生者、転移者が高性能で且つ特殊な能力を保持する事は長年の記録から明らかであった。
「(……詰まり、本当に降った湧いた娘、と言う事ですか)」
彼らがなぜ現れるのか、と言えば『この世界を守るため』だろうと、そう結論付けられている。だが、魔獣の被害以外、あまり悪い記録が残されていないこの世界で一体、何を守るのか。
「(そういえば、何処かの男爵が保護をしたと、情報がありましたね……)」
2年ほど前の話だ。当時の仕事にはあまり関係の無い内容だったために、うっかりと忘れていたようだ。
「(……不甲斐無し。然し何故、あの男爵は偉ぶった態度なのか)」
要人の周囲を遠巻きに警戒しつつ、男爵を観察した。……あまり、長く観察したいものでもないが。
そして年が明けた1週間の間、昼間は『年明の挨拶』として挨拶に現れる要人達の警護、夜は『年明の宴』での社交と要人警護、情報収集を重ねた。
「……(嗚呼。非常に、気分が悪う御座います)」
蠱毒の如く渦巻く様々な欲望や悪意に当てられた。春になれば更に酷いものが待ち受けていると言うのに。
×
年が明けてから明日で8日目となり、視察先の魔術アカデミーの冬季休暇が終わる。監視対象の彼らは数日前に魔術アカデミーの寮へ戻っているのは既に確認済みだった。
「…………」
彼らの綺麗で純粋な、本物の穢れを知らぬであろう純真な様を嫌でも思い出す。数名は味わった事も有るかも知れないが、宮廷は更に酷い。四方八方全てが毒でしか無い。
例えどこかに善意が有ったとしても、それをも悪意と見做さねば他所から足元を掬われる。この場に居る者全てを疑い続けねばならない。
明日、魔術アカデミーへ視察へ行かねばならないために、自宅へ戻る。
そこは、『相性結婚』の通知が届いた際に強制的に与えられた屋敷である。
自身の元の身分故か、些か良い土地と屋敷を与えられたが魔術師の男以外誰も居ない。相性結婚の相手すら、である。
彼女は修学後に移ると話を付けたので、居ないのは当然だ。恐らく、住所すら知らないのではないだろうか。
使用人など居らずとも、魔術師の男の作る式神に世話をさせているので荒れることはない。だが、
「(……広い、)」
屋敷は魔術師の男以外に動く生物が居ない。それゆえに音が無い。式神が丁寧に整えた庭の木々が風に揺れ、葉擦れる音が遠くに聞こえるばかりだ。
「……」
玄関から廊下を通り、自室へと向かう。途中で外套を脱ぎ、式神に渡せばそれらは勝手に洗浄し、普段の仕舞い場所へ収納するだろう。
屋敷内に元々あった装飾は悪趣味で、あまり派手でない物へと変えた。相性結婚で共に住まうはずの彼女は、どういった物を好むのだろうか。
「(……薬草は、植えるのでしょうね)」
と、窓から見えた暗い庭に目を向け、心を馳せたところで『彼女とは、契約の通りに結婚するのだろうか』と、ふと思い至る。
随分と年齢は離れており、かつ彼女はまだ若い。学力の高さにややプライドの高い男共は難色を示すだろうが、あの見た目ならば欲しがる者も多いだろう。
「(まあ、契約時に『相手を作っても良い』と、云いましたし)」
あの年頃ならば、もう少し自由に色恋など楽しみたいだろうと考えての言葉だったのだが
「(然し、彼女は……)」
薬にしか興味が無いようだ。
学芸祭の時のように告白を受ける事も有るだろうに。
彼女はこれから自身以上に、たくさんの相手と関わって行くはずだ。そして、その中に彼女に相応しい者も居るだろう。
「(……と、まあ。考えても仕様がありませんね)」
書類に塗れた自室の扉を開ける。
×
宮廷の毒をたっぷりと吸ったこの身が、酷く汚れたもののように思える。
何度清めても、禊を行ったとしても、身体の芯にまでこびり付いた穢れは消えない。
「(此の姿で……彼女の元へ、行きたく無い)」
何となしにそう、思考を過った。