薬術の魔女の結婚事情
誰かの内情:其の弐
目が覚めた時、知らない場所にいた。真っ白で石造りの、神殿のような場所。
頬に当たる床は滑らかな大理石のようなもので、少し冷たかった。
「おお、ついに成功したか!」
その声の方を見ると、太って脂ぎった中年男性が嬉しそうな様子でこちらに向かっていた。
ぎょっとして逃げようとしたけれど、上手く身体に力が入らない。
「お待ちください、『転移者』様が怯えていらっしゃいます。どうか落ち着いて」
「落ち着いてなどいられるか! やっと、やっと成功したんだ!」
途中で止めに入った神官らしき人におじさんが止められ、私のところまで来る事はなく、心底安心した。
「……ここ、どこですかぁ?」
ようやく絞り出せた声は元の声と全く違い、なんだか蜜のように甘ったるく、自分でいうのもだけれど、聞くに堪えないぶりっ子のような声だった。
「そうかそうか、まずは説明が必要か」
おじさんはデレデレと締まりのない顔で頷いたあと、
「おい、おまえ達。あの子に色々と教えてやれ」
そう、神官のような人達に偉そうに命令して居なくなる。神官のような姿の人達はおじさんが見えなくなるまで、うやうやしく頭を下げていた。
けど、いなくなった途端に数名が悪態をついた。
×
まず、私はこの世界で『転移者』と呼ばれる存在で、国を守る『聖なる魔力』を豊富に持っているので『聖女候補』になれるのだと、神官のような人達に教えてもらった。
「残念ながら、貴女を元の世界に帰す事はできかねます」
申し訳なさそうに謝られたけれど、私は前の世界のことは何も覚えていなかったので、
「大丈夫ですよぉ。私はぁ、ここでできることをすれば、良いんですよねぇ?」
そう、答えた。……この喋り方がなんだか気持ちが悪いので、なるべくきちんと喋れるようにしたいと、思う。
私の言葉に、「健気だ」「可哀想に」と、神官のような人達が感激しているのを、少し不思議に思った。
「(だって、そのために私は呼ばれたんでしょう?)」
×
脂ぎったおじさんは、神殿や教会にたくさんお金を送っている人で、ずっと『転移者』を呼び寄せるために私財を投じていたらしい。
どのくらいの年月なのかと聞くと、5年くらいらしい。……思っていたより短かった。話によると、今回の儀式が成功しなければ、打ち切りにする予定だったとか。
「まあ、ある意味で貴女は、私達を救ってくださいました」
と、水色の髪の神官のような人達のまとめ役っぽい人が、そう笑った。
「……(綺麗な顔の人)」
水の精霊みたいな。
一通りの世界の説明が終わった後、私にあてがわれた部屋に案内してもらった。すっかり、外は紫色になっている。
「……(オレンジ色じゃないんだ……)」
標高や緯度が違うと色が変わる、とか言うけれど、実際はどうなのだろう。
「お疲れでしょうから、今日はよくお休みなさいませ。明日から、たくさんの勉強が待っています」
「は、はいぃ……」
不思議とお腹は空いていなかったので、運ばれたコップ一杯分の果実水と、瓶状の水差しの口の部分に蓋と兼用のコップをかぶせたもの、つまり冠水瓶の中にある水だけで十分そうだった。
「……なんだか記憶は無いけどぉ、色々覚えているみたいですぅ」
一人きりになった部屋で、口を押さえる。……発音の練習とかもしたほうが良いかもしれない。
×
身体を清め、いつのまにか用意されていた寝巻きに着替えようとする。脱衣所に大きな鏡があったので、ついでに自身の見た目を見ることにした。
鏡で見た私の姿は大分可愛らしいものへと変化していた。髪色は変わっていないけれど、目がぱっちり丸く、可愛らしい二重の垂れ目に。
まつ毛は、つけまつげやエクステが無くても十分過ぎる量で、ビューラー無しで上のまつ毛は上を向き、下のまつ毛も綺麗にカールしている。
「(……すごく、可愛い……)」
はりと柔かさを兼ね備えた胸は大きく、腰は細くくびれ、お尻は小ぶりで脚はすらりと長い。
「(絶対、『転移』じゃないよ、これ……)」
何処かの小説で読んだように、その世界に順応した姿に作り替えられたのかもしれない。
随分と魅力的な姿だ。……でも、
「(すごく…………甘すぎて、反吐が出そう……)」
甘過ぎて、まるで毒を味わったかのような心地だった。
「(このままだと、昔読んだ話みたいにザマァされる……)」
そう。いわゆる、悪役令嬢モノの純正ヒロインのような、
「(……昔読んだ、話……?)」
首を傾げながらも、『どうせ戻れないのならば、過去なんてどうでもいい』と思い、明日のために眠る。
×
そして、転移したらしい日から魔術アカデミー第四学年時の編入テストまでずっと、朝は聖女になるための修行。昼間以降は、初等部卒業程度から平均的な15歳程度の学力、この世界の宗教について、ある程度の常識などを叩き込まれた。
そのお陰か、魔術アカデミーの編入テストに合格し、通えるようになった。学費は、家と教会が出してくれるらしかった。その条件として、私は薬学コースで聖職者になるための勉強をしなければいけないのだけれど。
おまけに、同時期に転入した男子2人は、なんだか変な人達だった。焦茶髪の子はなんだか偉そうで、くすんだ金髪の子は、なんだか得体がしれない雰囲気で。
「……(大丈夫、かなぁ……)」
×
転移者だからか、やけに記憶能力が高く物覚えも良かった。だから、テストで好成績を出すのは比較的簡単だった。……でも、
「上位5位以内に入らなければ意味などない!」
と、一回目のテスト結果を報告したら、扶養者のおじさんにそう言われ、
「学生会に入って、高位貴族共を手玉に取らねばならないんだ!」
頬を叩かれた。そして、おじさん目的も分かってしまった。
「(……私を利用して、高位の貴族達と繋がりが欲しいんだ……)」
でも、私を呼んだ目的がそれなら、私はそれに従わないと。『社畜』という言葉がふと浮かんだけれど、違うと思う。
どんなに頑張っても、上位5位以内に入れない。ずっと、6位止まりだった。
「(……どうしたら、上位5位以内に入れるんだろう)」
×
「……(また、6位だった……)」
廊下に張り出された共通中間テストの結果に、肩を落とす。
これじゃあ駄目。もっと、もっと頑張らなきゃ。俯いて、涙が溢れそうだった。
『あ、また一位じゃん』
その声に、弾かれたように顔を上げる。
『本当ね。凄いじゃない』
『んー、そんなことないよ』
見ると、蜜柑色の髪の綺麗な人形みたいな女の子が、2人の背の高い美人さんに挟まれて何か話をしていたみたいだった。確か、『魔女』と呼ばれている子だったような。その近くに、そっと近付く。
「あなた、法律赤点ぎりぎりだったのによく取れたわね、学年一位」
ふわふわなブルネット色の髪の、お姉さんみたいな子が『魔女』の頬をむにむにと揉みながら、ため息混じりにそういうと、
「あれでしょ、それ以外全部ほぼ満点で基本薬学と魔術操作が取れる奴が少なかった、みたいな。二つとも平均点が赤点近くだったらしいし」
と、癖のない亜麻色の髪の下手すればカッコいい男の人に間違えられそうな子が『魔女』の頭をぽんぽんと撫でていた。
「(うわぁ、いいなぁ。……友達がいるなんて。……じゃなくって、あの『魔女』って呼ばれてる子が学年1位なんだ)」
どうやって勉強してるんだろう、と思って観察してみることにした。
×
全く分からなかった。『魔女』は何人かの先生と話をする事もあるけれど、それは普通の学生と同じ程度。図書館で読んでいる本は、薬草や貴族、物語の本ばかりで、あんまり学校に関係のないものだった。
どこかで聞いた話だと、貴族コースの人達はテスト前に非常に詳しすぎるテスト前テストがあるみたいで、それのおかげか高順位を保持しているらしい。
だからこそ、同じコースの『魔女』を観察していたのに。
×
『魔女』は、なぜか薬草園や近くの温室でご飯を食べる子だった。
「(一人でご飯を食べたいのかな……)」
自作のサンドイッチを片手に、観察をしていると、煌めく赤い髪の男子、学生会会長が現れた。そして、少し会話をしたのちに
「前も言ったけど、わたしは絶対に学生会には入らないからね。お金積まれても、権力を笠に着ても入らないよ」
と、『魔女』にきっぱりと勧誘を断られていた。
「(……そっか、学力が高いと会長から勧誘が来るんだ……)」
学年一位が拒否するなら、繰り下げてくれないかな、となんとなく思った。
×
「なんでもいい! どんな手を使ってでも上の奴を蹴落とせ!」
叩かれて怒られた後に、そう言われた。必死になって勉強して、それでも5位以内に入れなくて、本当に疲れてしまった。
みんなが学芸祭で楽しんでいる間も、ずっと勉強して。
冬休み前のテストも、6位だった。
そして、
『この子、前も6位だったんだよ。すごいよね』
そんな、『魔女』の言葉に何かがぷつんと切れた気がした。
×
「……これで、」
震える手で、『魔女』のノートをゴミ箱の中に落とした。生ゴミやお菓子を棄てるゴミ箱に落とすのは、汚れや臭いが大変だろうと思い、止めた。
「……(……何、してるんだろう、私……)」
人のものを隠したり、移動させたりしておいて。もの隠しは、なるべく金目のもの以外で、なくなってもそこまで困らないものを中心に選んだ。
『魔女』はあまり気にした様子もなかったから、心の隅っこで、安心していた。『ああ、あの子は気にしていないから大丈夫だ』と。
途中ですれ違った、ブルネットの髪の同級生の視線が、ひどく冷ややかに感じた。
『紙くずとか砂とかの入った乾いたゴミ箱だったから良かったけどさ』
『魔女』の声が聞こえた。
『生ゴミとかお菓子とかの入ったゴミ箱だったらタダじゃおかないからなぁー!』
そして、その声がすこし元気がなくて、震えていて『本当は大丈夫じゃなかった』のだと、思い知らされた。
×
それっきり、『魔女』の持ち物に触るのはやめた。人を貶めようだなんて、醜い行為を恥じたからだ。
でも、誰かが私の真似をして、彼女の物を隠しているようだった。
「(……それを止める筋合いが、私にあるのかな……)」
おじさん自身は王都に用事があるらしく、一人であの屋敷に帰る為に長期間走ってくれるらしい列車を待つ駅で、小さくため息を吐いた。
そして、その列車の中で『魔女』に出会った。
「(……気まずい……)」
もの隠しの犯人だと気付かれたらどうしようと、ずっと気が気でなかった。
でも、『魔女』は気にした様子もなく、のんびりとお弁当を食べていた。
「(……薬草ばっかり……)」
……毒草も混ざっていたような気がした。
「(気のせいかな……)」
夜、そろそろ寝たい時間帯に、同室の『魔女』にシャワールームの有無を問うと、
「ないよ!」
と、元気に返された。それで少しがっかりしていると、
「せっかくだから、貸してあげるよ!」
と、『魔女』は自身の鞄を漁り、
「浄化用の魔道具ー! 2回使えるからそのうち1回目、使いなよ」
取り出した魔道具を私に握らせた。
「遠慮しないで。きみ、女子力高い系っぽいからわたしだけ先にさっぱりして恨まれたくもないし」
なんて、少し失礼なことを言いながらだったけれど。
そのあと、『自分はなんて愚かなことをしたのだろう』と、泣いた。心の底から、懺悔した。
そして、決心をした。『もう、してしまった事はしょうがない』と。でも、それは開き直りじゃない。その罪を自覚した上で、『魔女』を助けるんだ。