薬術の魔女の結婚事情
愛とはいと難し
「むん……」
魔術アカデミーの自室で、薬術の魔女はベッドに横たわり、唸っていた。
「これ、どうするかなぁ……」
目の前にあるのは、巷で有名な菓子店の小さな紙袋である。もちろん中身も入っており、その正体は『愛の日に渡すと良い』とされるお菓子だ。
「(義務感で渡す、っていうのはなんだかなー)」
内心で呟き、魔女はころりと転がり仰向けになる。菓子を渡そうと思った相手は、婚約者になった魔術師の男だ。交差する木製の柱が綺麗な板張りの天井を見上げて、再び元の姿勢に戻る。
「(……触られた時とか嫌悪感は持たなかったし、別に渡してあげてもいいんだけどさ)」
問題はその理由だ。足をぱたぱたと動かしながら、考えてみる。
「(わたしとあの人の関係性ってなに?)」
書類上の婚約者なのは確かだが、何かがそうじゃない……ような、気がしている。そしてなんとなく、そんな理由で渡したら、魔術師の男との関係が少し変わってしまうような、そんな気もしていた。
「(ま、向こうに興味があるかどうかも分かんないんだけど)」
国中の雰囲気が一気に変わる虚霊祭ですら、あまりその仕様を知らない様子だったので、愛の日も『自分(あるいは仕事)には関係が無い』とか言って無視するのではないか、という危惧がある。
また、仮になんらかの理由が見つかって魔術師の男に渡したとしても、『要らない』と突っ返された場合どうすれば良いのか。
「(いやまあ、返されたらわたしが自分で食べればいいんだよね)」
でも、突っ返されたくない。せっかく渡すのならば、受け取って欲しいものだ。
今まで、友人以外で自主的にお菓子を誰かに渡そうとすら思いもしなかったのだから、なおさら受け取って欲しい気持ちが大きい。
「(それに、突っ返された時って絶対、わたしがしょんぼりする)」
その瞬間を想像するだけで、薬術の魔女はなんだか気分が落ち込む。
「まず、明確な理由を考えて突っ返されないようにしなきゃ」
実際のところ、『婚約者だから』という理由だけでも受け取りはしてくれるのだろうけれど。
×
「んー……」
ころりと転がり、薬術の魔女は呟いた。
「まっったく、思い浮かばないや」
なんとなくでそれっぽい理由を思い浮かべて書き出してみるものの、何かが違う。
「まあ、その時になったら何か思い浮かぶよきっと」
紙袋の中身が溶けないように、冷蔵庫に入れた。
×
そもそも、『会えるかどうかが問題だった』のだと、薬術の魔女は悟る。特に、『周囲に誰もおらず、二人っきりの状態』を作ることが、非常に困難だったのだ。
『愛の日』当日まで、薬術の魔女は友人A、友人B、その2と一緒にいることが多くなった。授業中はもちろん、休み時間や放課後もだ。
理由は『薬術の魔女を一人にするのは危ない』から、らしい。ついこの間も、何かよくわからない魔術が仕込まれた手紙や贈り物が寮の靴箱や郵便受けの中に入っていたと思う。
それらは薬術の魔女が開封する前に、その2が魔術を解除してくれたらしい。
薬術の魔女自身は、友人Aや友人B、その2も顔が整っているし、割と周囲が気にしているのを知っていたので、
「きみたちの方が危ないでしょ?」
と伝える。だが、友人Aに
「あなた、人の好意や悪意に鈍い上に、好奇心旺盛じゃないの」
と言われてしまった。
「こっちは自分に向けられている目線の種類や様子は何となく分かっているし、それの対処方法もそれなりに弁えてるの」
その上、友人Bは薬術の魔女にそう言い、
「魔女ちゃんみたいに好奇心旺盛過ぎる事もないですからねぇ」
と、その2にも苦笑混じりに言われたのだ。
あまり納得はいかなかったが、満場一致でそうらしいので不本意ながら現状を受け入れた。
だから、学校内で魔術師の男と二人きりになれる瞬間が大いに減ってしまう。
おまけに最近、魔術師の男と接触できそうな瞬間がなくなっている、ような気がしていた。
薬術の魔女の目の前には滅多に現れなくなったのだ。
「……(レアキャラになってしまった……)」
薬草弁当を食べながら、薬術の魔女はぼんやりと思う。以前のように分かりやすい尾行をしたくとも、周囲には友人達がいるし、なんとなく契約結婚相手が魔術師の男であると知られたくないような気もした。
×
そうして、そのまま『愛の日』当日になってしまったのだ。鞄を抱えて、薬術の魔女は無意識に小さな溜息を吐いた。
「……どうしたの? 最近、元気がないわね」
横に座る友人Aが、薬術の魔女の顔を覗き込む。
「何か悩み事ですかぁ?」
小首を傾げ、前に座るその2も不思議そうな様子だ。ちなみに友人Bは魔術コースの実習で今日一日中は外に出ている。
「なにもないよ?」
いたって普段通りだと、薬術の魔女は答える。
「そうは言っても、」
友人Aが困ったように言った時、2限目の開始を知らせるチャイムが鳴った。
×
今回の授業は二人で班を作る必要があり、薬術の魔女は魔力量の関係から、その3と組む事になる。
「同じグループになれて嬉しいよ」
そう、その3が心底嬉しそうに言うのを、
「うん、そーだね」
と、薬術の魔女は聞き流していた。
ぼんやりとしていても、薬術の魔女はきちんと薬品を作り上げ、いつもの通りに成功例として提示される。
薬品の取り扱いの注意や使用例などの質問に答えながら、渡す予定だったお菓子をどう処分しようかと、薬術の魔女は考えていた。
「ねぇ。きみのお願い、叶えてあげよっか?」
授業終わりに、その3がそう囁く。
×
「……え?」
首を傾げた直接、ぱし、と服の上から腕を掴まれる。痛くはないが、振り解けない気がする掴み方だった。その3は、にこにこと、普段通り以上に嬉しそうな笑顔だ。
「ついて来て」
ついて来ても何も、腕を掴まれているのでどうしようもないのではと思いながら、直感的に魔女は自身の鞄を掴んだ。
「ちょっと借りるよ」
「あ、」
「ちょっと!」
その3はその2と友人Aにそう声をかけて、足早に教室から出る。
「ねぇ、どこに行くの?」
やや小走りでアカデミー生でごった返す廊下を進んだ。食堂とは逆の方向に進んでいるが、人混みを綺麗に擦り抜けていく。
「『きみの憂い』を晴らすところ」
その3がそう答えた瞬間、人混みを抜けた。
×
「……あれ?」
その3の姿が見当たらない。周囲を見回しても、ただの高い棚の並ぶ廊下しかなく、アカデミー生の姿が見当たらない。いつのまにか、別の棟に移動しているようだ。
「……どゆこと?」
と、薬術の魔女が首を傾げていると、
「…………斯様な場所で何をなさっているのですか」
魔術師の男が現れた。
×
「あ、」
驚き過ぎて、変な声が出る。羞恥で頬を染めて口元を抑えた。
「教師方は皆が出払って居る様子で、此の場所には居りませんよ」
目を細め、魔術師の男はそう答える。
「(……つまり、ふ、二人っきり、ってこと?)」
魔術師の男の言葉が真実ならば、そういうことになるだろう。思わぬ方法で、二人きりになってしまった。
「そ、そーなんだねー……」
目を泳がせながら薬術の魔女は答える。
「き、きみはなんの用事でここに来たの?」
とりあえず、引き止めるために当たり障りのない話題を振った。
「……呼び出された、筈なのですが」
やや憮然とした態度で答えた。その様子に、本当に人が居ないのだと、薬術の魔女は悟る。
「魔術科の手伝いをしておりました故、態々、外より戻って参りましたが何故、斯様な……」
口元に手を遣り魔術師の男は眉をひそめた。
「まあ。用事が無さそうなのでもう戻りますが」
「ま、待って」
咄嗟に服の裾を掴み、薬術の魔女は魔術師の男を見上げる。
「……何でしょう」
魔術師の男はやや迷惑そうに顔をしかめていた。
「これ」
それに内心で怯みながらも、鞄から出した小さな紙袋を魔術師の男に差し出す。
「買ったからあげる」
シンプルに、そう口から溢れたのだ。
「……然様ですか」
一瞬、戸惑いの表情を見せたものの、普段のように冷たい表情に戻った彼は紙袋を見下ろした。
「義務感とか、そういうのじゃないよ。なんとなく、きみにあげたいって思ったから、買ったの」
「…………仕方有りませぬ」
しばらく観察するようにじっと見つめた後、
「有り難く、受け取りましょう」
目を細め、魔術師の男は小さな紙袋を受け取る。
「……3倍返し、でしたか」
「え? なにが?」
去る前に魔術師の男は呟いた。
×
「ごめんね、途中ではぐれちゃった」
と、その3は気恥ずかしそうに笑いながら薬術の魔女と合流する。周囲を見回すと、いつのまにか教室のある棟にまで戻っていたようだ。
「……さっきまでどこに行ってたの?」
「これ、あげる」
薬術の魔女の質問には答えず、その3は薬術の魔女の手に小さな包みを渡す。
「なにこれ?」
「焼いたお菓子だよ」
「ふーん?」
そして、薬術の魔女は友人Aとその2とも合流し、その3共々、二人に少し怒られた。