薬術の魔女の結婚事情
そこはかとないいじょう。
自分の部屋に、男性、おまけに書類上とはいえ婚約者の男がいる。なんとも、奇妙な気持ちであった。
ただ、魔術師の男は非常に背が高いため、立ったままだと、天井に頭がぶつかりそうだ。
「なんで来たの?」
純粋な疑問を魔術師の男にぶつける。魔術師の男が座れるような椅子はなかったので、申し訳なくも床に座ってもらった(押しかけた相手に申し訳なくも思う必要はないかもしれないが)。魔術師の男は貴族のはずだが、嫌な顔一つせずに床に座る。
「……少し、貴女の顔を見ておこうと思ったのですよ」
少し考えるように視線を彷徨わせたのち、魔術師はそう答えた。
「なんで?」
コップに薬草水を淹れながら、薬術の魔女は魔術師に聞く。なんの気もないただの問いかけだ。
「…………扨……」
コップを受け取った魔術師の男は、その中身を少し口に含み
「実の処、私にも良くは分かりませぬ」
心底不思議そうに答えた。
「なんで?」
疑問と困惑が混ざる。
「なんだかよく分かってなかったのに、わざわざここまできたの? 行動力すごいね?」
そして、魔術アカデミーのセキュリティを容易に掻い潜るとは。
「(……思ってたよりも変な人かもしれないぞ……)」
今までそれを発揮するタイミングがなかっただけで実はもっと変な人かもしれない。
▼薬術の魔女 は 警戒心 を 1 上げた 。
(てってれー)
薬術の魔女は床に胡座を掻く魔術師の男と視線を合わせようと、一緒に床に座ろうとしたが、
「貴女はこの部屋の主ですから、遠慮なく椅子でも寝台の縁にでも御座り下さいませ」
と、止められた。仕方なく薬術の魔女は椅子を魔術師の男の側まで持ってきて、背もたれに寄りかかるように、逆向きに座る。
「……」
その、椅子を持って側まで持ち寄り座るまでの様子を魔術師の男はじっと見つめていたが、薬術の魔女は気付くことはなかった。
「(……おお、これは)」
いつも見下ろされている魔術師の男を見下ろしている。いつもと違う風景に、薬術の魔女は少し面白くなってきていた。
「(しかし、顔が良いな)」
どの角度から見ても美しく良い顔だ。鼻筋はすっと通っているし眉の形は綺麗で、上から見ているせいかやや伏せがちな目の睫毛も長い。薄い唇も綺麗な形だ。
背もたれに寄りかかり薬草水を飲みながら、薬術の魔女は思ったのだった。
×
「じゃあ、『お届け物』ってなに?」
届け物があったからここに来たのでは、と、ふと思い至り薬術の魔女は魔術師の男に問いかける。
「……嗚呼、そうでした」
何かを思い出したように魔術師の男は懐を探り
「宜しければ、御手を貸して頂きたく」
と、自身の服を押さえていたもう片方の手を薬術の魔女に差し出す。
「?」
首を傾げながら、薬術に魔女は魔術師の男の大きな手のひらに自身の手を重ねた。
「(……うわぁ、手の大きさが全然違う……)」
手のひらの大きさが違うのはもちろん、それだけではなく、指も長い。
魔術師の男が身に付けている手袋は生地が薄く伸縮性の高いもののようで、ぴったりとその手の形が浮かび上がっていた。
長い指は男性だからか節が目立ち、手袋と袖の隙間から覗く手首は少し血管が浮き、筋張っている。
「(……う、わ。)」
ぶわっ、と顔に熱が集まったその瞬間に、重ねた薬術の魔女の手を魔術師の手が包み込むように、きゅっ、と握った。
「っ?! え、なに?」
「…………おっと、失礼」
はっとした様子で魔術師の男は謝り、握られた手を緩く外される。
「(……びっっくりした)」
お互いに手袋をはめているものの、その手の大きさや形の違いに彼は異性であるのだと認識させられ、なんとなく鼓動が速くなった。
身長や性別が違えばこうも差が出るのか、と魔女は内心で感心する。
「此れを」
「…………なに?」
渡されたのは小さな紙袋である。
「本日は、『愛の日』に受け取ったものを返す『愛を返す日』なのでしょう?」
「……そういえば、そーだったね」
『愛の日』と同時期に広められた『愛を返す日』は、愛の日と違いその名前の微妙さや時期が時期なので、ぼんやりとしか知られていない日だ。
身内ならともかく、同棲をしていない者同士だと、通常ならばこの日は外の環境のせいでプレゼントが渡せないのである。また『愛を返す日』などという名前のせいで、『もらった愛を相手に(要らないと)返す日』だと勘違いされている場合もあるのだ。
「……受け取らないので?」
固まった薬術の魔女の様子に、魔術師の男は怪訝そうに常盤色の目を細める。
「…………ん、そーじゃない」
どの意味で、お返しをくれたのか、ふと気になった。もし、勘違いの方の意味で返したのならば……あんまり受け取りたくない。そんな気がした薬術の魔女だった。
「……是は、本来の意味通りに解釈して頂いても問題は有りませぬ」
薬術の魔女の心境を察したのか、細めた目をそのままに、やや口角を上げて魔術師の男はそう付け足す。
「そっか。ありがとう!」
「……いいえ。先に頂いたのは此方ですから」
薬術の魔女がにっこりと笑顔を向けると、魔術師の男は、つい、と目を逸らした。
×
「……では、随分と長居してしまいましたのでそろそろ御暇しましょうかね」
と、魔術師の男はゆったりと立ち上がる。
「あ、うん」
その床に座って見下ろしていた状態から立ち上がって見上げる状態になる一連の動作を眺めながら、
「(やっぱりおっきいなぁ)」
と、薬術の魔女は思った。あと、所作に無駄がなく綺麗だ。
「……処で、『薬術の魔女』殿」
にこ、と魔術師の男は薄く笑みを浮かべ
「っ、?!」
「…………易々と男を部屋に上げるのは感心しませんねェ」
と、いつのまにか薬術の魔女の真後ろに移動していた。驚きで一瞬動けなかった薬術の魔女をそのまま、ひょい、と椅子から持ち上げて横抱きにする。
ぴったりと密着したその時、以前拐かしの精霊から守ってもらった際に香った物と同じにおいがした。以前よりも少し濃いようで、はっきりとにおいが区別できる。
「斯様にして、容易に抱き上げられてしまうのに」
「……なにするの」
薬術の魔女はなぜか楽しそうに笑う魔術師の男を睨んだ。
「……ふふ。まあ、今回は貴女の不用心さを指摘しただけですが」
「わぷ、」
魔術師の男はそのまま、薬術の魔女をベッドの上にそっと落とした。薬術の魔女は慌てて体勢を立て直そうと顔を上げ、魔術師の男の方を見ると
「………………御用心、して下さいまし」
見下すように見下ろすその目が三日月のように細まり、唇が弧を描く。
「っ、」
その時に見えた顔が、ゾッとするほどに美しく、色っぽく見えた。
「……では」
にこ、と微笑み、魔術師の男は忽然と姿を消す。
「……………………はぁ?」
居なくなってから、薬術の魔女は叫んだ。
「勝手に来たのはきみの方でしょ?!」
と。
「それに、部屋に入れざるを得ない状況を作ったのも、きみだろ!」
薬術の魔女は憤慨する。
「(きみだったからそのまま部屋にあげたってのにさ!)」
恐らく、憤慨している薬術の魔女自身は、自らこぼした内心の言葉の意味に気付いていない。
×
「んー!」
理不尽な目に遭った気分だ。薬術の魔女はベッドの上でじたばたと暴れてみるも、なんとなく虚しくなったのでやめた。
身を起こし、魔術師の男が渡した小さな紙袋を開けてみる。
「……あ、わたしがあげたやつ……より、ちょっとグレードが上のやつ」
そういえば、前に渡した際に『3倍返し』がどうとか言っていなかったか。
「……品質の3倍返し?」
首を傾げる。と、机の上に置いていた、受け取り証明書の紙に視線を向ける。なんとなく、動いたような気がしたからだ。
すると、その紙がじわりと溶けて縮み、御守りのような形状になった。
「…………どゆこと?」
そして。夕方頃に、本物の荷物が送られてきた。ずっしりと重たいそれを、寮母の人から眉間にしわを寄せながら受け取る。それを部屋に着いてから開けると、
「……薬草の本だ」
割と高めで、気になっていたものの中々買えずにいた本が入っていた。一緒に手紙も入っている。
「『愛を返す日のお返しです。【内訳:菓子、御守り、本】』……?」
つまり、質量、価格、品質、ついでに個数。その全てを3倍以上にして返した、というわけだ。
「……ほんとに、変な人だなぁ」
酷い負けず嫌いだ。思わず苦笑が溢れた。
しかし、さっきまでのもやもやがなぜだか消える。妙な贈り物だったが、それでもなんだか嬉しく思った薬術の魔女だった。
×
そして、魔術師の男から送られた薬草の本を読んだり、それらの正誤を確認するための実験や薬品の生成を行ったりしているうちに、
「……あ、外が晴れてる」
久々に、青い空が顔を出していた。
「ん、眩しい……」
薬術の魔女は久々の陽光や青空に目を細める。
春が来た。