薬術の魔女の結婚事情
良かったね。
「ん゛ーーー……」
薬術の魔女は唸っていた。法律の教科書とにらめっこをしながら。
自前の薬草弁当はすでに完食し、薬術の魔女は来週から始まるテストに向けテスト勉強をしていたのだ。
周囲は春の暖かな陽光と爽やかな風に包まれ、春らしい植物達の香に溢れている。
「うー……」
しかしそんな穏やかな陽気も、薬術の魔女のおかげでやや台無しだ。眉間にしわを寄せ法律の教科書を睨み、
「全っっっっっ然、分っかんない!」
と、両腕を投げ出した。
「あ。」
そしてその拍子に、教科書が手からすっぽ抜けた。
「うわ、教科書ー!」
放物線を描き宙を舞う教科書は、地面にぶつかる――
「……危のう御座いますね」
前に、魔術師の男が捕まえてくれた。顔をやや傾け、顔の横スレスレを通りそうだった教科書をしっかりと掴んでいる。
「あ、ありがと!」
立ち上がり、薬術の魔女は魔術師の男の元に駆け寄る。
「…………いえ。此方に飛んできたものを咄嗟に掴んだだけですので」
「うん、でもありがとう」
「……そうですね。何かの攻撃かと思いうっかり燃やす処でしたが、私の動体視力と反射神経の良さが幸いしましたね」
「…………ごめんなさい」
×
「なんで薬草園にいるの?」
「気晴らしの散歩です」
「へぇー」
教科書を返してもらいながら薬術の魔女は魔術師の男に問うと、そんな答えが返ってきた。
「処で、貴女は何にそう悩んでいらっしゃるので?」
今度は逆に、魔術師の男が薬術の魔女に質問を投げかける。
「……ん。」
薬術の魔女は口を尖らせ、教科書を魔術師の男に見せる。
「『法律』……以前の試験で苦手を克服したのでは無かったのですか」
「んー……。後期になった途端、一気に難易度上がってよく分かんなくなっちゃったんだ」
「然様か」
魔術師の男は視線を横に向け、その後斜め下に向けたのち
「……教えて差し上げましょうか。その、『法律』を」
そう、薬術の魔女を見て静かに言う。
「えっ?! ほんと!?」
「……えぇ、勿論」
ゆったりと頷くと、魔術師の男は薬術の魔女の隣に座った。
「それで。何処が理解出来ないのです?」
「そもそもなんで『これをしたら駄目なのか』ってやつ」
「……嗚呼、成程」
そして、それから薬術の魔女は魔術師の男に『法律』の、色々な解釈の仕方を教えてもらったのだった。
×
数日後。後期初めのテストが終わり、現在、法律の授業でテストの返却が行われていた。
「(……やった!)」
受け取った答案を見て、薬術の魔女は自分のいた席に戻りながら内心でグッと拳を握る。と、
「あら、珍し」
「うわ、ほんと」
返された答案を覗き込み、友人Aと友人Bはそれぞれ呟いた。
「ちょっと、勝手に見ないでよ」
急いで答案を折りたたみ、薬術の魔女は教科書に挟み込む。
「だってあなたがあんまりにも嬉しそうな顔していたんだもの」
「そうそう」
友人Aと友人Bは不機嫌になった薬術の魔女にそう言う。
「薬が関係ない法律で高得点だなんて。何をしたのかしら」
友人Aは不思議そうに問いかける。
「カンニング?」
と、それに続けるように、冗談混じりで友人Bも問いかけた。
「するわけないでしょ?!」
思わず言い返すと、法律の先生に「騒がしい!」と、叱られた。
「へぇ。婚約者の人に教えてもらったのね」
あまりにもしつこく問われたので、とうとう薬術の魔女は白状をした。
「……うん」
魔術師の男に教えてもらっている姿は、誰にもみられていないはずなので多分、大丈夫だろう。
「この調子で教えてもらいなよ」
面白いものを見たと言わんばかりになぜか笑う友人Bに、
「…………ん゛」
薬術の魔女は顔をしかめて頷いた。勉強は分からないよりも、分かる方が楽しいからだ。
「「何その顔」」
友人Aと友人Bは笑いながら声を揃えてそういった。
×
そして、その後の昼休憩の時間に薬草園で薬草弁当を食べながら、
「あれ、これってもしかして……あんまり良くない?」
学生会の勧誘とか色々的に。と、薬術の魔女は首を傾げたのだった。
×
「もう、君は学生会には誘わない事にしたよ」
もしゃもしゃと薬草弁当を食べる薬術の魔女に、煌めく髪の男(要は学生会会長)は告げた。
「ふーん、そっか」
じゃあなんでわざわざ薬草園まで来たんだろうと思いながら、薬術の魔女は心底興味なく返事し、他の考え事を再開する。
「代わりに、全体の生徒会役員候補達の役職をずらし、この子を書記として末席に入れる事にした」
「へー。よかったね」
もしゃもしゃ。あの店の薬草は育ちが悪いだとか、歯応えが違うだとか、考えながら薬草を飲み込んだ。
「……何も言うことはないのか?」
怪訝な顔で問いかける学生会会長に
「何が?」
心底不思議そうに返した。
「……いや」
目を逸らす学生会会長を無視し、
「よかったね」
と、その2の方を見る。
「うん」
にっこりと笑みを浮かべた。
×
勉強がわかると、新たな理解の方法を知ると、色々なものが今までとは違う見え方ができる。それは、魔術師の男に教えてもらった法律の解釈だけでなく、薬草の効能の解釈や、育つ際に必要な栄養や環境など、本当に様々なものを新しく発見できた。
「(……そっか、ここはこうだから、)」
薬草の図鑑を眺めながら、薬術の魔女は頷く。テストが終わり段々と暖かくなる今の気候は一番のんびりと過ごせる時期だ。
薬術の魔女の本音は、学校を放り出して『薬草を摘みたい』『好きに薬を作りたい』『新しいものが作りたい』『得た情報を生かしたい』そんなところだ。
「(……早くお休みにならないかなー)」
と、図書館の椅子に座り、早る気持ちの代わりのように、足を小さくぱたぱたと動かした。
×
「……其れで。何処に行かれる予定でしたか」
「そこの山」
「…………でしょうね」
はぁ、と柳眉を寄せながら溜息を吐く魔術師の男を、薬術の魔女は見上げる。
いつかのように、意気揚々と山へ向かおうとした薬術の魔女の前に魔術師の男が立ちはだかったのだ。
今回も、前回と同じように日課の占いで色々と視たらしい。
「ねぇ、秘密権の行使って知ってる?」
「私事、私生活または秘密を侵害しない事で御座いますね」
「意味を聞いたわけじゃないんだよ」
「法律を覚えていて素晴らしいと思いますよ」
「わたしそこまで法律の興味がないってわけじゃないんだよ」
「然様で。其れで、何故入山なさりたいのですか」
魔術師の男が問うので、
「この草採りたいの」
薬術の魔女は素直に答える。
「駄目です」
自作の薬草図鑑を開き、該当のページを魔術師の男に見せるが、取り付く島もない。
「なんでさー」
頬を膨らませ、むっとしながら魔術師の男に聞くと
「魔獣が出没しており、一時的に立ち入り禁止区域に成りましたので」
魔術師の男からそんな答えが返された。
「えっ嘘!? いつのまに?」
「先週ですが」
「長いのか短いのかいまいち分からない時間」
薬術の魔女は少し不機嫌な様子を見せたままだったが、
「……では、同じ植物が採れる別の場所にでも行ってみますか?」
「え、結構遠いよ?」
そんな魔術師の男の意外な提案に、不機嫌な気持ちがすっかりなくなった。