薬術の魔女の結婚事情
本懐の予兆
「……く、」
錠をされ、地面に転がされた。受け身を取るも、手が自由に動かせず衝撃で少し声が漏れる。
手首を塞がれる。……正しくは手首で魔力の放出を妨げられる。
それはこの世界の者、特に魔術師にとってはほとんど身動きが取れなくなるも同然のことだ。
常人は、皮膚から水分を蒸発させるように、魔力の放出器官のある手のひらから微量の魔力を放出する。それが滞ると、どうなるか。
「(……非常に、面倒な事になりましたね)」
横たわりながら、魔術師の男は内心で舌打ちをする。
「ふっふふ、アンタはどこまで持つか楽しみね」
恐らく魔術系の学校の者であろう女学生はこちらを見下ろし、頬を赤らめ艶っぽく笑う。だが、服は雑に着崩しているだけでその笑みも欲望丸出しのようで品が無い。
「『魔術師』ってコトは、相当魔力を持っているんでしょう? 楽しみね! 貴方の皮膚が過剰な魔力でただれるのが!」
魔力は生命の鼓動と共に生まれる。つまり、生きている限りは魔力が生まれ続ける。
放出器官という出口が塞がれた状態で魔力が体内に生まれ続けるのは、非常に拙い状態だ。
体内に充満した魔力はやがて、身体中の細孔から無理やり外へ放出される。
どういう訳か、放出器官以外から魔力が漏れるとその部位が裂け、出血するらしい。場合によっては引っ掻いたかのように皮膚が千切れ、最悪の場合、出血多量で死亡する。
それを楽しみにしているとは随分と悪趣味な性格をしているようだ。
「…………」
魔術師の男は制服を着崩した女学生の顔を見る。
「何? アタシに見惚れてるわけ?」
あは、となぜか嬉しそうに女学生は顔を赤らめた。
「いいえ。大変に良い御趣味をお持ちだと感服していた次第で御座いますよ」
と魔術師の男が微笑むと、
「チッ!」
一瞬で顔を歪ませ、腹を蹴られた。
「大丈夫だよ、貴方が何度怪我をしても、何度でも治してあげるから」
と、別の女学生が声をかける。初めに『視察に来ている』などと言っていたので、魔術アカデミーの学生だろう。
優しく声をかけているが、要は魔力で出血させるという拷問を繰り返すために治すだけのことだ。
「アンタ、絵の具みたいな緑色の目の色してるから、結構汚いことになりそうよね」
魔術師の男を蹴った女学生は、顔を歪ませたまま言い放つ。
恐らく、この見苦しく制服を着崩している女学生は親衛隊の中でもかなり上位の位置の居る者だろう。その側に居る魔術アカデミーの学生であろう者も。
「ねーねー、魔錠の使い心地どう? 結構な自信作なんだけどさー」
そう、躾のなっていない子供のような言葉を発する貧相な者は、恐らく魔機構技師の学校の者だ。
他にも親衛隊の者達が口々にものを言う。
「お前は何故、アイツに関わる?」
最後に、勇者が問いかけた。空っぽの木箱達が積まれたその上に、足を組んで魔術師の男を見下すように見下ろしている。
「何故、とは。抑々、『アイツ』とは何方の事で御座いましょうか」
地面に転がされたまま、少し面倒そうに魔術師の男は溜息を吐いた。
「ふざけるな! お前が、魔術アカデミーで付きまとっている女学生の事だ!」
誤解が無いように訊き返しただけだがその態度に苛立ったようで、座っている木箱を拳で殴り声を荒らげる。
「……付き纏ってはおりませぬ」
「嘘を言うんじゃねぇ。さっきだって、よくわかんねぇが一緒にいただろ!」
「……そうですねぇ。彼女が『行ってみたい』と仰った場所へ連れて行っただけですが」
淡々と事実を述べるが、勇者はその返答に満足がいかなかったらしい。
「アイツには婚約者がいる。アイツの幸せをお前は邪魔する気か?!」
「…………彼女の、『幸せ』……ですか」
その言葉に、つい、と視線を横に逸らした。彼女の『幸せ』とは何なのだろうと。
「そうですねェ……」
考えても、彼女自身のことをよく知らないので分かるはずもない。
「お前のように、目先の感情に囚われ真実を見ようとしない奴がいるから、争いが絶えないんだ」
目を逸らしたそれをどう捉えたのか、勇者は勝ち誇ったように魔術師の男へ強気に言い放つ。
「――言いたい事は、其れで御終いですか」
「……なに?」
横たわったままで取り繕いもせず、面倒だと言わんばかりの魔術師の男の様子に勇者が怪訝な声を上げた。今までのような丁寧な物腰を止めたそれに、違和感を覚えたのだ。
そして、
「おかしいわ……」
服を着崩した女学生が不安の声をこぼした。
「なんで、魔錠で完全に止めてるはずなのに魔力の流れが滞ってないのよ!?」
「は? どういう事だ?!」
「……嗚呼。言い忘れていた事が御座いまして」
勇者達を見つめながら、魔術師の男は切長の常盤色の目をゆっくりと細めた。
「…………私、身体の全てが放出器官なのですよ」
そう言い放つ魔術師の男の頬から、どろ、と目と同じ色をした液状の魔力が垂れる。
「手を封じた処で、何処からでも魔術は行えます」
垂れた魔力が地面に着くや否や
「っ!」「なんだ?!」
四方へ伸び、建物全体を覆う巨大な魔術陣を生み出した。
「おっと。是は秘密にしていた事でしたね……」
白々しく呟き、魔術師の男はゆったりと立ち上がった。
「まあ。後程、記憶の処理は致しますので大丈夫でしょう」
言いながら、貧相な魔機構技師の方を向いた。
「其れで。此の魔錠ですが……」
「……っ!!」
魔術師の男に睨まれ、貧相な魔機構技師は身体を硬直させる。
「無論、使い心地は最悪です。魔力放出の調整すら出来ぬ不良品等」
そう、丁寧に使い心地の感想を述べた。
「本物は、締め上げる様にゆっくりと放出を止めるのですよ。ですので、此れは幼稚な拷問……いえ。唯の玩具でしょうかね。出直してきなさい」
呟き、過剰に魔力を注ぎ込んで魔錠を破壊した。
「お、お前! 何をした?!」
地面に描かれてゆく常盤色の線達を見ながら戸惑う勇者に、
「『何をした』、とは。此れからで御座いますよ」
平然とした様子で魔術師の男は返す。
「要は、貴方に押され乍ら、建物を覆う魔術陣を描かせて頂きました。……あまり綺麗な形状には成りませんでしたが……」
言いつつ、魔術師の男は口元に手を充て
「まあ。私は優秀なので、其の辺りは如何とでも補えましょう」
と、楽しそうに笑いながら宣う。
そして、口元に充てていた手を拡げ薙ぎ払うように身体の外へ振り、
「『我、此処に宣べ告げる。“宵の帷“を落とし“我が内に有る者を逃さぬ者”成りと。“如何なる時も我が下すまで解けぬ”呪令を下し、“宵の夢と共に覚め消ゆ”ものと為る』!」
叫ぶ。その刹那、地面に描かれた常盤色の線が一瞬、輝いた。
あえて文言を畳まず丁寧になぞることで、術式を強化する。せっかくここまでしてもらったのだから礼をせねば失礼だろうと。
「さ。之で舞台は整いましたね」
ふ、と息を吐き、魔術師の男はようやく彼らに向き合う。
×
「……アイツ、今……何をしたんだ?」
怪訝な顔で勇者が制服を着崩した女学生に問うと、
「う、嘘……三つ、も? ……それに、呪令なんて、」
と、酷く狼狽した様子で呟いていた。
「どういうことだ?」
「…………とにかく。アイツは今、自分ごとここにいるみんなを結界の中に閉じ込めたの。それで、アイツが自ら術を解かない限り、結界が解けないわ」
「アイツを倒したら術はどうなる?」
「わからないわ……っ! このまま閉じ込められてしまうかも……!」
「なんだと?!」
そう、二人が相談している間に魔術師の男は外部と連絡をとっていた。
「(処で。勇者は殺して宜しいか。主人)」
『誰も殺すな。被害が大き過ぎる』
「(……然様ですか)」
自身の、宮廷魔術師としてではない本当の上司に、監視対象の処分の許可を打診していたのだ。
「(…………成らば。殺さなければ宜しいか)」
『……後始末は』
「(周囲の者にさせます。引き出せばかなり良い能力を持っております故)」
『……程々にな』
通信を切り、魔術師の男は薄く微笑む。
「……扨。許可も降りましたし、何処から潰していきましょうか」
×
「私は『宮廷魔術師』。而、同年の者共の中ではかなり優れた部類として自負して居ります」
地面に倒れ伏す勇者に、魔術師の男はゆっくりと歩み寄る。勇者の親衛隊達は、回復の魔術式を使える者以外、死んだように眠っている。
回復の魔術式が使えそうな者達は、結界を解く前に使うからだ。
「あの時、私が何れ程手加減してやったのか……もうお判りでしょう?」
言い聞かせるように、感情を押し殺した声で問いかける。
「勇者殿」
勇者の側に魔術師の男は片膝を突いてしゃがみ、その顔を見下ろす。
「……なんだよ」
ぜいぜいと、か細い息をながらも勇者の意思の強さは消えていない。これが、『勇者足る素質』ならば、何とも厄介な物だ。
決闘の宣言通り、随分と痛め付けたというのに。
「此れに懲りたならば……私と、私の婚約者に、二度と関わらないで頂きたい」
目の前の男にしか聞こえない声で、魔術師の男は勇者に告げる。
「………………は」
その言葉に目を見開き、勇者はゆっくりと魔術師の男の顔を見た。
「私の……いえ。貴方が御執心の、『薬術の魔女』殿の婚約者は私だと云う事で御座いますよ」
魔術師の男は、勇者の額に指先を充てている。
「目先の感情に囚われ真実が見えていない貴方には無駄な忠告だとは思いますが」
勇者にだけ、記憶を消さない術を仕込みながら
「実に愛いらしく、興味深い御方なので……ね」
妖艶に、魔術師の男は微笑んだ。
×
意識だけは残しておいた回復役の親衛隊達の魔力を限界まで引き摺り出させ、他の眠る親衛隊達を修復させた。
勇者の体力もついでに治したが、もう勇者には立ち向かう意思は残されていないように見えた。だが、警戒して結界を解くまで動けないよう、細工を施す。
「……扨。是で終いにしましょうか」
魔力だけが極限まで無くなった彼らをそのままに建物から出、結界を解く。
途端に目を覚ました親衛隊達が、既に過ぎ去ったこれからの作戦の話し合いをしようとし、しかし、急な魔力の減りに混乱を起こす。
何事だと勇者に問いかけるが、その質問等に答える事無く勇者は
「……もう、いいんだ」
と、力無く呟いた。
それを見届け、魔術師の男はその場を去る。
×
宮廷の、魔術師の男自身の仕事場である研究室にまで戻った。山積みになった資料の山がやや崩れそうにずれたので少し直す。
「お前にしては珍しい冗談を言ったようだな」
と、背後からかけられた声には振り返らず
「そうとでも言わねば、彼の『勇者』殿は諦めぬでしょうからね」
そう、魔術師の男はいつものように返した。
「そうか。それにしても真に迫るような言い方だったような」
「其れで。今回は何の話で御座いましょうか」
直ぐに本題に入らないので、魔術師の男は言葉を被せて声の主に本題を促す。
「もう少し楽しく話し合いをだな……まあいいか」
声の主は苦笑しながらも、
「来年の仕事が入った。場所は___で詳細は後で送る」
短く云う。
「それともう一つ。対象達は、『このままならば成人するまで異常無し』と判断された。これ以上の細かい監視は不要になる。つまり、」
そこで言葉を少し溜め、
「来年以降の視察の任が解けたぞ。良かったな」
声の主はいつものように、朗らかに告げた。