薬術の魔女の結婚事情

約束。

※電話初めの呼びかけの声は本来は別の言葉だが便宜上『もしもし』に訳している(という設定)。

「……もっ、もしもし」

 酷く緊張した様子で、薬術の魔女はそっと、声をかける。

『はい。……『薬術の魔女』殿でしたか。何でしょうか』

「うっひゃっ?!」

 耳元で響く彼の声に思わず跳ねる。
 それは返事に驚いた、というよりは(割と好みの)良い声が思いの外近いところで聞こえたことで、なんだか変な声が出てしまったのだ。薬術の魔女は慌てて口を押さえる。

『……どうかされましたか』

「や、なんでも、ないよ。びっくりしただけ」

 恥ずかしさや緊張で激しくなった心臓の鼓動を感じながら、薬術の魔女はなんでもないことを、怪訝な声の魔術師の男に告げる。

『然様ですか。……其れで、用件は』

 魔術師の男はいつも通りに淡々とした声で、薬術の魔女に用件を促す。

「あっ、時間……大丈夫?」

 こんな時間に連絡しておいて、と、自分で思いながらも薬術の魔女は問いかける。

『えぇ、無論です。……(そも)、問題が有れば取りませんので』

 今は夜の9時ぐらいの時間だ。端末越しには、彼の声以外は何も聞こえなかった。

「そういえばそっか。……えっと、」

『はい』

 少し呼吸を整えて、薬術の魔女は魔術師の男に用件を伝える。

「べ、勉強を教えて欲しいんだ。……次、中間テストで」

『ふむ。……成程。つまり、学年が上がり其れと同時に難易度の上がった授業内容に悲鳴を上げ、御学友達は忙しく教科書や図書室の本も微妙で、到頭(とうとう)私を頼った、と云う訳ですか』

 つらつらと流れるように魔術師の男は言葉を紡ぐ。

「んー……まあ、そんな感じだよ……」

本当は少し違うけれど、大体の内容は合っているのでそう答えておいた。否定をしてもしょうがないと、薬術の魔女は思ったのだ。

「(……正直に『きみが居ないのがなんとなく、変な感じがした』なんて言っても鼻で笑われそうだし)」

 なんとなく恥ずかしくなって、薬術の魔女は口を尖らせる。

『……良いでしょう。何時(いつ)何処(どこ)で行うのかを教えて下さいまし』

 少し間を空けて、魔術師の男は返事をした。

「えっと、きみはいつ頃が空いてるの?」

『何時でも、空けようと思えば空けられますが』

 興味がなさそうな、つまらなく思っているような声で魔術師の男は答える。きっと、いつものように澄ました顔で言っているんだろうな、と思いながら

「そういうのが逆に困るよ……」

薬術の魔女は戸惑いの声をあげる。

『……そうですね。大体……此の曜日に休みを入れて居りますよ。其れと、夕方4時以降ならば何時でも』

「分かった。教えてくれてありがとう。……じゃあ、次の休みに……いいかな」

『勿論です』

 魔術師の男の返答と共に、何かがペラ、とめくれるような音が聞こえた。

「えっと、場所は……国立の図書館で。わたしは9時ぐらいからそこにいる予定だから、きみは」

『8時から居りましょうか』

「え?」

 思わぬ提案に、呆けた声が出る。それが聞こえたのか、ふっと小さく息を吐く音が聞こえた。

『冗談で御座いますよ。大体、その時間以降に図書館に着いて居れば宜しいか』

「……うん。夕方の4時までいる予定だから、いつきてもいいよ。……あ。一応、3時までには来てくれるとうれしいかも」

『然様ですか』

「うん。あと、わたしはお昼はお弁当もって行くつもりなんだ」

『分かりました。……他に何か言っておきたい用事等、有りませぬか』

「んー、今のところないかも。……えっと、じゃあ切るね。……おやすみ」

『……はい。御休みなさいませ』

 ひと呼吸置いて、薬術の魔女は通話を切った。

×

「…………」

 通話を切った時の姿勢のまま、薬術の魔女はぼんやりと端末を見つめる。

「……やっぱり、良い声だな」

色々な感情がないまぜになってようやく出た言葉はそれだった。
 ほとんど何の音も聞こえなかったが、魔術師の男は何をしていたのだろうか。
 医者や警護、警備などの余程な仕事でない限り、魔獣に襲われるので夜の8時以降は仕事を行わないようになっている。
 なので、通常ならば彼は自身の家に居るはずだ。

「(……家、か……)」

 ころ、と寝返りを打つ。
 去年のテスト前に魔術師の男が言った内容が事実ならば、

「(相性結婚、の付属品の家……に、住んでるのかな)」

そう、考えてみる。

「(あと、『使用人も居ない』とか言ってたよね)」

 『使用人』などという単語が出てくる辺り、やはり貴族。と、思いつつも、『狭い』とは言わなかったので割と広い家なのでは、と見当を付ける。

「(使用人がいてもおかしくないくらいの広さの家……に、一人?)」

 ……それはなんだか寂しいような。

「(考えてもしょうがないか)」

 とりあえず、今度の休みに相談したい箇所を後でまとめておこう、と思いながら部屋の明かりを消し、薬術の魔女はゆっくりと瞼を閉じた。

×

「……」

 電源を切った端末を魔術師の男は数秒見つめ、作業の邪魔にならない場所に置く。

「(……まさか、)」

薬術の魔女の方から連絡が入るとは思いもしていなかった、と小さく息を吐いた。
 何事かと思えば『今度のテストのために勉強を見てほしい』と、まあ。学生らしい相談事だ。
 恐らく、去年の末のテストで好成績だったのでもう一度頼ろう、と考えての行動だろう。

「(……会いたい(など)と云う、其の様な理由では無いと)」

 彼女はこちらにはほとんどの興味を持ち合わせていないのだと、自身に言い聞かせ、魔術師の男は連絡が入る直前まで行っていた作業を再開する。

 ゆっくりと筆を手に取り、魔術師の男は自身の魔力を混ぜた墨を穂先に染み込ませた。
 それを、魔力に反応しやすい植物の繊維が練り込まれた、術専用の紙の上を滑らせる。

「___……」

 字を書きながら、魔術師の男は文言を唱える。低く、平坦に。そして、(うた)うように。声に魔力を込め、念を込め、その札に、力が染み込むように。
 できあがったそれを乾かしながら、再び、新しい紙に筆を滑らせた。
 何十、何百回もその作業を繰り返し、魔術師の男はようやく手を止める。
 その中で最も上手く出来上がった札を手に取り

「……此れで、今年の分は大丈夫でしょう」

呟いて、自室を後にする。
 作っていたそれは、魔獣や人ならざる脅威から身を守るためのお守り……というよりは呪符、のようなものだ。
 用途は『虚霊祭で婚約者(薬術の魔女)を守る』事。去年、狙った魂を奪えなかったのだから、また今回も襲いに来るのではと予想したからだ。そして占いで視た結果、かなり危険な予知が出た。

 いっそのこと封じてみるのはどうかと考え、その方法を模索したこともある。
 だが結局のところ、虚霊祭の終わりに現れる(いざな)いの魔獣達を封じ込める方法はなかった。

「(アレは……『春の神』、の)」

『春の神』の、力の残り(かす)だった。戦い、(ほふ)る内に段々と気付いてしまった。
 恐らくは、『春の神』の置いていった宝珠が完全に力を失う前に無防備な魔力や魂を奪い、その力を取り戻すための襲来。
 行方不明者の多い年は、秋の終わりが遅かったという。

「(そうとは言えども、魂が奪われる其れを受容()る訳には行きませぬ)」

 ()()()()()()()()()()()()()、そう考える。
 (めぐみ)を求めて(穢れ)(すが)り、そのせいで国民を奪われる、など。
 どうせ、上の者はそれを知った上で全てを行なっている。『飢えで八割の国民を失うよりも、少ない犠牲で飢えを逃れられるのならば』と。

「(……色々と、(まま)ならぬものですね)」
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