薬術の魔女の結婚事情
魔力供給。
虚霊祭が終わったその夜。
薬術の魔女は、随分と効果が落ちたらしいその札を、窓辺に置いた。
「……なんだか、申し訳な気持ちでいっぱい」
そう言いつつも、どうしようもなかったのだとなんとなく心の中で言い訳をし、ベッドに入った。
×
夜中。息苦しさを感じ、薬術の魔女は目を覚ました。夜中、とは言いつつも恐らく寝てからそこまで時間は経っていない頃だ。
「……!」
暗い部屋の中で目を開いたその先に、何か小さな何かが1匹、浮いていた。小さくて、ふわふわとして、黒く透けた……。
「……(せ、精霊?!)」
確か去年の初め頃に、山の中で見かけた
「(『拐かしの精霊』、みたいな名前のやつ!)」
なぜ、今この部屋の中に居るのだろう。精霊は静かに薬術の魔女の方に近付く。
「(体が、動かない?!)」
全身を縛られたかのように、あるいは接着剤で固められたかのように、身動きどころか指一本動かせない。薬術の魔女のその様子に構わず、精霊は彼女の顔の側に着いた。
「(なに、するの……!)」
睨んでも、精霊は気にした様子もなく薬術の魔女の額にぴたりと張り付いた。その直後、
「(力が、抜けて行く……?!)」
どうやら、魔力が精霊に吸われているらしい。全く抵抗できない状態で、どんどん身体から魔力が失われてゆく。
「(……くる、しい……)」
視界がぼんやりとし始め、頭は熱に浮かされているかのように熱く、鈍く痛い。
このまま、魔力が全て吸われて死ぬんじゃないのかと、異常な眠気に耐えながら最悪な結末が過ぎる。
「…………助け、て」
どうにか絞り出した声も、誰にも届かないだろうなと、友人達は悲しむのかな、と重くなる瞼を閉じた、その時。
「『風渦』!」
どこからともなく風の渦が精霊を襲い、精霊は霧散して消えた。
「…………」
助かった、という事実に薬術の魔女は安堵したが、体が寒くて小刻みに震えて浅い呼吸しかできない。
「……いやはや、まさか斯様な事態になっているとは」
真っ暗な部屋の中、非常に聞き取りやすい低い声がそう、小さく零すのが聞こえた。
「(だれ、だっけ……)」
全身が重く感じられ、薬術の魔女はぴくりとも動けない。助けてくれた人にお礼を言いたいのに、と思いながら、なぜこの部屋に現れたのかが少し気になった。
薬術の魔女が思考している間に、かなり小さな足音と軋む床の音が近付き、彼女の顔に触れる。薄い手袋越しに、少し冷たく硬い指先が頬や額、首、手首を撫でた。
「……魔力が随分と減っておりますね」
どこか、焦ったような声色だった。
「失礼」
「んむっ?!」
短い断りの言葉が聞こえた直後、後頭部と背中に手が差し込まれて上半身が起こされる。それを認識する間に視界がやや暗くなり口が塞がれた。そして口を手で軽く開かされ、熱い何かが流れ混んだ。
「んっ、(これは……魔力?)」
得も言えぬ味がするそれは、口を塞いでいる相手の魔力だった。そう思考している間にも魔力は流し込まれ、口内に溜まったそれを反射的に飲み込んだ。
心地よい温かさの魔力は喉を温めながら消化器まで流れ落ち、腹の中に溜まる。
その魔力を飲み込んだ側からじんわりと身体が温まり始め、ゆっくりと身体が動かせるようになった。
「ぷは、」
それからもう少し魔力を流し込まれた後、ようやく解放された。すごく、口の中が熱い。
「……如何です。ある程度は戻ったでしょう」
瞼を開けると、魔術師の男と目が合った。灯りは点いていなかったが、暗闇に慣れた目にははっきりと見える。
彼はベッドサイドの床に膝を突き、薬術の魔女を抱えていた。
互いの息遣いが分かるほどの近距離に、顔がある。それを自覚した瞬間に、顔や耳が一気に熱くなった。
「な、なにすんのさ、こ、この……バカぁ!」
助けてもらったのは分かるのだが、魔術師の男を押し除けベッドの端まで後ずさった薬術の魔女は、羞恥に布団を顔まで引き上げ縮こまる。
「……ほう。此の私を、莫迦呼ばわりとは」
その反応に一瞬柳眉をひそめ、魔術師の男の口元が不機嫌そうに引きつった。
「…………初めて、だったのに」
布団の中でから恨みがましく魔術師の男を睨むと、驚いたように軽く目を見開き
「……其れは……悪い事を致しましたね」
と、悪びれていない顔で薬術の魔女から目を逸らす。
「ねえその顔なに」
「何がです?」
涼しい顔で、にこ、と微笑む魔術師の男の顔に、薬術の魔女は頬を膨らませた。
「……言っちゃなんだけどさ」
「はい」
「初めてはロマンチックなやつが良かった」
「……然様ですか。ですが、緊急事態で」
薬術の魔女の乙女らしい言葉に(ようやく罪悪感が湧いたのか)魔術師の男は少し拗ねた様子で薬術の魔女に説明をしようとするが、
「それに、魔力供給はさ、おててでもできたと思うんだよ」
と、追い討ちをかける薬術の魔女の言葉に一瞬、魔術師の男は固まる。
「…………そう……で御座いましたね」
そして、気まずそうに目を逸らした。
緊急事態では、放出器官同士を重ね合わせて魔力を相手に送り込むという方法で魔力供給ができる。それを、救命の授業などで習う。
一般人でも体液にも僅かに魔力は混ざっているので(ほんの微量過ぎるほどに微量)体液の交換でも魔力の供給はできるが、放出器官同士を合わせる方が圧倒的に効率が良い。
「おててでも、できたと思うんだよ」
魔術師の男を、薬術の魔女はジト目で見た。
要は、人工呼吸用のフェイスガードが手元にあるのにそれを使わずに人工呼吸用をしたようなものだ。
薬術の魔女は、『魔術師の男は(宮廷魔術師なので)体液に滲み出るほどに大量の魔力を保持しているから口腔による魔力供給を行った』と、考えているが、魔術師の男は彼女と同様に全身が放出器官なので、咄嗟にその方法を利用しただけである。
「…………申し訳、御座いません」
彼の行動は手袋を外す手間すら惜しんでの無意識のものだったが、あまり良い選択ではなかったようだ。
×
「どうやってこの部屋にきたの」
布団に引きこもったまま、薬術の魔女は魔術師の男に疑問を投げかける。
「……私、宮廷魔術師で御座いますので」
「さすがに無理あると思うよ」
いい笑顔で有耶無耶に流そうとしたところを薬術の魔女はじっと睨んだ。
「………………貴女に手渡した木札が有るでしょう」
やがて観念した魔術師の男は、部屋の真ん中まで移動している木札に一瞬目を遣り答える。
「……そんなのあったね」
「……」
あ、と気付いた薬術の魔女の様子に、やはり忘れていたか、と魔術師の男は内心で溜息を吐く。
「…………でもそれってなんか『わたししか使えない仕様にした』みたいなこと言ってなかったっけ?」
ちら、と魔術師の男に目を向けると、
「(…………『余計な事だけ覚えていたか』……って顔してる)」
一瞬、そんな顔をしたものの、それはすぐに穏やかな笑みに覆い隠される。
「……『特定の魔力の保持者のみ』使用可能、とは云いましたがね」
「…………………………うわぁ」
そういうことか、と薬術の魔女は察した。『自分自身の作った札なので自分が使えて当然』との事実を明かしてないだけなので嘘は言っていない。……ということか。
「助けてくれたのはありがたいんだけどなんかすっごい複雑な気持ち」
もしかすると、これが気を付けた方が良いことなのだろうか。
「……命の危機ではありましたでしょう」
「そうだけど」
「抑、私が貴女に差し上げた札は如何したのです?」
いつも通りの冷たい顔で、魔術師の男は薬術の魔女に問いかける。
「あげちゃった」
「は?」
「なんかバラバラになっちゃって。それをその2……えっと、胡桃色の髪の子がもらうって」
「……成程」
「そのあとどうしたのか知らないよ。ごめんね」
「……いいえ、いいえ。大きな問題は有りませぬ。寧ろ、若し分かれてしまっているとすれば……あの脆弱な札でよくもまあ斯様な強い結界を作れましたと、誉めるべき事で御座います」
「そなの?」
感心した様子の魔術師の男に、薬術の魔女は首を傾げる。
「えぇ。……本来ならば、あの札は誘いの魔獣や拐かしの精霊……先程、貴女を襲った魔獣で御座いますが。あれを一体、如何にか凌げる程度の強度しか持ち合わせておりませぬ」
「へぇ?」
「その札を何百枚と犠牲にし一枚の札に効力を集中させ、共鳴、反響による増幅を組み合わせて作りましたのが、貴女に渡した札で御座います」
「ふーん?」
魔術師の男の解説を聞いても、『複雑な事してるんだなぁ』としか分からない薬術の魔女だった。
「それに私が少し手を加える事で術式が展開し、全体を安全に守る結界を張る予定で御座いました」
「なるほど……って、初めっからきみがわたしの部屋に入る前提で計画されてない?」
「……ふふ」
「笑って誤魔化さないでよ」