薬術の魔女の結婚事情
午睡。
食事が終わり、少し休憩を挟んでから午後の勉強を始めることになった。
待機場所として移動した場所は先程の小さな書庫だ。他にも、場所は寛げるソファの置いてある居間を案内されたものの、薬術の魔女は先程の小さな書庫に戻ることにした。なんとなく、人の家に入って寛げる気がしなかったからだ。
「ね。さっきのところ以外にも本ってないの?」
懐から魔術関連のものらしき書物を取り出した魔術師の男に、薬術の魔女は問いかける。
「何か、御不満でしたか」
彼女に視線を向け、魔術師の男は訊き返した。それが何かを分かっているのを敢えて訊いているような気がして、薬術の魔女は少し口角を下げる。
「きみが今持ってる本みたいな、もうちょっと面白そうな本が読んでみたいなって思ったんだ」
何かを試してるような気がして、なんだかつまらない気持ちになる。
「その本、この部屋のものじゃないでしょ?」
そう問えば、魔術師の男はなぜか満足そうに笑った気がした。
「御明察の通りで。地下の方に書庫が在ります。……薬草関連の物は少なく、魔術の書籍しか御座いませぬが。……暇潰しに利用して構いませんよ」
答え、彼はいつも通りに空間魔術で、どこからともなく本を複数冊も取り出す。
「へぇ。また今度、行ってみるね」
薬術の魔女はその様子を眺めながらそう返した。
「……今ではなく?」
魔術師の男は意外だと言いたげに、薬術の魔女に視線を向けた。薬術の魔女は自身で持ち寄った教科書を眺めながら
「うん。だって、これからも何度かここに行くだろうし」
そう返した。それに、勉強会の予定がなくとも次に再びこの屋敷へ行く予定の口実にもなるだろうから。
「…………然様ですか」
教科書を眺めながら返す薬術の魔女の返答に、魔術師の男は何故か安堵を覚えた。たった一度きりではなく『二度目以降も訪れるつもりがある』と言外に告げたその言葉に『極端に嫌なものは無かったらしい』と思えたからだ。
「……」
まるで、『彼女に気に入られたい』と願っているかのような感情の動きだと、彼はふと気付く。
それを誤魔化すように、視線を本に戻した。
×
それから少し経って。
「…………おや」
やけに静かだと思い、本から視線を上げた魔術師の男は
「……むにゃ……」
テーブルに突っ伏す薬術の魔女に目を留めた。開いたままの教科書が頭に立てかけられており、穏やかな寝息を立てている。
「すぴー……」
「…………なんとまあ、」
警戒心のない顔だと、教科書を退かして見えた顔に溜息を吐いた。熟睡だろうか。大変に気の抜けた顔だ。
「(『用心しろ』と、以前伝えたつもりでしたが……)」
書類上の婚約者とはいえ他人(しかも男)の前で寝顔を晒すなど、随分と無防備過ぎるのではないか。
呆れと感心の混ざった感情が湧き上がる。
「(……まあ、午睡は学力向上に役立ちますし)」
数分くらいは大丈夫だろう、と再び本に視線を向けた。
「……(如何、致しましょうか)」
そして数分後、どうやって起こそうか、と魔術師の男は考える。
まさか、婚約者が眠るとは思いもしなかったし、それを起こす羽目になるとも思いもしなかった。
「(せめて、同棲を始める頃に起こるものかと思うて居りましたが……)」
魔術師の男は薬術の魔女に近付き、
「……起きて下さいまし」
少し声を落として、声をかけてみる。ただの書類上の婚約者なので、耳元で囁くのはさすがに距離が近いだろうと憚ったからだ。瞬時に手で払われても対処できる距離でもある。
「…………ん、」
薬術の魔女は小さく呻き、顔の向きを変えただけだった。
「……」
背けられた顔をジトっと見たものの、起こさねばどうしようも無いと息を吐く。
薬術の魔女が顔を向けた側に座り、その寝顔を見る。頬に、少し痕が付いていた。
「…………」
柔らかそうなその頬に、そっと触れる。
「……っ、」
思いの外柔らかく温かいその感触に一瞬、魔術師の男は固まった。薄い手袋越しにも分かる、柔く滑らかな頬。即座に我に返り、手を離す。
「……起きなさい」
やや気まずいそれを誤魔化すように薬術の魔女の背を軽く叩き、起こしにかかった。
「ふぁっ!!」
直後、驚き飛び上がり、薬術の魔女は目を覚ます。
「……あれ、寝てた?!」
「そうですね。……食後は眠くなるのですか」
「えっと……そうなんだよねー」
魔術師の男の問いかけに、照れ臭そうに薬術の魔女は目を逸らした。
「書庫で眠りそうだなって思ってた」
「……分かりました。今度からは貴女が仮眠を取れるような場所でも用意しておきましょうか」
小さく息を吐き、魔術師の男は提案をする。
「え、悪いよ」
「……どうせ、未使用の部屋は腐るほど有ります。一つや二つ、貴女に占拠されようと如何とも無いくらいには」
「……そっか。ありがとう」
そうして、午後の勉強は一旦中断し、薬術の魔女は仮眠用の部屋を用意してもらった。二人で相談し合い、部屋の位置を決めたのだ。
魔術師の男は少し魔術や占いを使って彼女にとってより良い部屋を示したり、部屋の悪い点を示したりしてくれた。
最終的に決まったのは割と日当たりの良く、動線も悪くない場所だ。