薬術の魔女の結婚事情
年越しと年明け。
いつも通りに、薬術の魔女は冬季休業前のテストで好成績を残した。
「お勉強、見てくれてありがと!」
と、薬術の魔女は魔術師の男に小さな袋を差し出す。
「……此れは」
「ん、薬草入りの焼き菓子。きみが欲しい物も好きな物も知らないから、わたしがきみにあげられるものをあげることにしたの」
「成程。……綺麗に焼けておりますね」
薬術の魔女の返答に魔術師の男は軽く相槌を打った。ただの菓子ではなく薬草入りというところが実に彼女らしい。思わず口元が緩みそうになる。
「有り難う御座います。大切に頂きましょう」
「ふふー、喜んでもらえたならよかった」
袋を受け取った魔術師の男に、薬術の魔女は嬉しそうに笑う。
「いつか、きみの好きなもの教えてね」
「……そう、ですね。……機会が有れば」
そのような機会など、訪れるものだろうか。
×
そして、冬季休暇を迎えた薬術の魔女は実家に帰ったようだ。仕込んでおいた魔術師の男の式神が、彼女の列車での旅路の様子を伝える。
『ふんふーん。はやくおうちに帰りたいなー』
と楽し気に鼻唄を歌い、実家や薬草へ想いを馳せている様子が容易に想像できた。
頬を緩ませ、何度も見ているだろうに興味深そうに列車外の景色を眺めるのだろう。
実家に着いたその夜に、薬術の魔女から連絡が来た。
『もしもし? ……なんだか、きみの声が聞きたくなっちゃったんだ』
そう告げる声は恐る恐ると様子を伺うようで、控えめだった。
「……然様ですか。……其方は楽しいですか」
『うん。楽しいよー』
薬術の魔女の声に混じって、何やら賑やかな音が聞こえる。それと、暖かい家庭の様な気配も。
「其れは良う御座いますね」
『…………』
「……どうされましたか」
急に静かになった薬術の魔女に、魔術師の男は声をかける。
『……なんでもないよ。ね、近いうちに、きみのところに行ってもいい?』
「…………『近いうち』、とは?」
『日にちは決めてないけど、冬休みのうちに行ってみたいなーって』
「構いやしませぬよ」
『わかった! じゃあ、そろそろ切るね。おやすみー』
「……えぇ。お休みなさいませ」
×
『年越の儀』のために、城内の祈祷する部屋に宮廷魔術師達、高僧とそれに準じる聖職者達が集められる。儀式の主な内容は、国を囲む結界の張り直しと国防の魔術のかけ直しだ。
本物の高僧達は祈羊の場所から滅多に出ないので、儀式の場に居るのは飾りの高僧ばかりである。
「見よ、未だ居るぞ。呪猫の出来損ないが」
「何故あの様な者が」
「まあ、多少は役に立つ魔力袋だろう」
囁かれる声を無視をしながら、魔術師の男は自身の持ち場に着く。外から一切も見えない場所へ。
周囲の憚らない囁き声は、貴族の居る公的な場に出れば必ず聞こえる声だから、もう飽くほど聞いた。他に話題は無いのかと聞き返したいほどに。
年越しの儀と豊穣の儀の主な内容は、映像によって国民へ公開されている。それは映像媒体に関わる組織の視聴率がため、あるいは国民の好奇心や国への信奉を集わせるためだ。
映像として映し出されるそれには、国王や臣下、飾りの高僧、一部の有名な高位の宮廷魔術師などが映る。
実際のところ、それはどうでも良いと魔術師の男は溜息を吐く。
「(……寧ろ、そう言った映像媒体は……儀式にとっては邪魔でしか無い)」
ただ、大して功績を残しておらずとも見栄えや名前のみが知れ渡った者が評価されている事が、少し気に障るだけだ。
×
『薬術の魔女』の婚約者は、彼女に出会った際に戸籍通りではない名を名乗っていた。
彼の名乗らなかった名は呪猫本家から直接分かれた分家の、特殊な姓である。
つまり彼は『古き貴族』呪猫の家の者だった。
薬術の魔女にその姓を名乗らなかったのは、実家から縁を切られていたからだ。
そしてその名が契約的な婚約の邪魔になるとも考えていた。『古き貴族』の者であると知られてしまえば、勝手に何か期待されて最終的に落胆されるのだろうと。
今まで明かさなかったのも、身分に対してほとんど無関心な彼女でも、その名を出せばきっと態度を変えるだろうと思ってのことだ。
しかし、彼女は家名や著名度合いに心の底から関心がないと知った。薬草に関連する研究者にさえも。
屋敷での勉強会に使用した小さな書庫には、権力者や著名者に関連する書物ばかりを並べていたのだが微塵も興味を示さなかった。
だから、いつかは本当の名を名乗れたらと思う。自身が名乗るそれの前に修学旅行先で明かされそうだが。
「(……僅かにでも興味を示せば今度こそ切り捨てようかと思うて居りましたが)」
不思議な安堵を覚えていた。
儀式を行いながらも、婚約者の事を考える。彼にとっては片手間で出来る程度の儀式だからだ。
×
年越しの儀が終わり、城内の様相が変わり始める。
宮廷魔術師達、高僧とそれに準じる聖職者達、貴族達が集まり、宴を始める。
宮廷で行われる行事には、行政を行う貴族や宮廷魔術師達は強制参加なので参加するしかない。
魔術師の男は服を着替えるために、一旦自宅へ戻った。現在纏っている衣服は儀式のための特別な衣装であって、見栄えのために着るものではないからだ。
なので、その衣服を纏ったまま宴に参加している宮廷魔術師達を少し嫌悪している。
「……誰です」
帯を緩めようとした手を止め、周囲の気配を探る。
家の中に、誰かの気配があった。
「…………に、にゃー……」
「………………」
声が聞こえた先の扉を開けると、気まずそうな顔をした薬術の魔女がいた。
格好は魔術アカデミーのものではない、私服の姿だった。
「……何故、此処に……」
と魔術師の男は問おうとしたが、ふと彼女が『冬休み中に行きたい』と言っていたのを思い出した。
「ごめんね、きみの顔が見たかったんだ。迷惑、だったかな……」
薬術の魔女はしょんぼりと気落ちした様子で、魔術師の男を見上げる。
「……別に、迷惑だとは言っておりませぬ」
何故かその顔を見れずに、魔術師の男は視線を逸らした。
「唯、驚いただけで御座いますよ。……此方が勝手に、事前に連絡を入れるものだと思い込んでいたもので」
「……ん。でも、きみが急に現れるのってこんな感じだよね」
「…………然様で御座いますか」
これが意趣返しか、と魔術師の男は内心で小さく息を吐く。……恐らく、当人はそのつもりは無いのだろうけれど。
「きみがくれた、木のお札使ったんだ!」
ふふん、と薬術の魔女はやや得意そうに胸を張る。
「そうでしょうね」
わざわざ、木札を実家まで持ち運んだらしい。
そうまでして会いたいものなのだろうかと、内心で思いながらもなんとなくそれを嬉しく感じている魔術師の男だった。
「今ひま?」
首を傾げ、薬術の魔女は問いかける。
「……そうですね。此れから、私は城内の宴に出席せねばなりませんので用事は在りますが、忙しくは有りませんね」
「ひまじゃないやつじゃん……なんかごめん」
「いいえ。良い気分転換になります」
「……そんな良くないものなの?」
魔術師の男の様子に、薬術の魔女は眉をひそめる。
「そうですねぇ……。妻子持ちが女性を侍らせている程度には、良いものですよ」
「…………すっごく良くないってこと?」
「ふふ。……其の様な事、宮廷魔術師の身である私の口からはとても」
「ふぅん?」
「……帰られますか?」
「まあ、そうだね。……あ、そうだ」
薬術の魔女は魔術師の男に向き合うと
「今年も、よろしくね!」
そう、明るく笑った。
「えぇ。宜しくお願い致します」
魔術師の男は、薄く微笑んだ。
×
居なくなった薬術の魔女の残り香を感じながら、魔術師の男は安堵の息を吐いた。
「……宴の後でなくて、本当に良かった」
穢れる前に、彼女に会えたのだから。