薬術の魔女の結婚事情
兆候
温かい紅茶を飲みながら、薬術の魔女は魔術師の男が菓子を食べている様子を眺める。
「……其の様に。私を眺めて居ても詰まらないかと思いますが」
「んー、なんか」
手を止め目線を向ける魔術師の男に、薬術の魔女は首を傾げた。
「歯、とがってる?」
普段の彼はあまり口を開けて喋らないし、食事の際も同様に口を大きく開けない。
ただ、今回は菓子を口に入れる時に偶然見えたのだ。人間のようで肉食獣のような、異常に尖った歯牙達が。
「…………そうですね」
ゆったりと目を閉じ頷き、同意した彼は
「……ですが、人の口内を許可無く観察なさるのは如何な御趣味かと」
口元を隠し薄く微笑んだ。
「……ごめんなさい」
その言葉に含まれた、鈍感な薬術の魔女が気付くほどに明確な拒絶に、彼女は一瞬怯む。
「いいえ。……貴女は、如何思われましたか」
口元を隠し微笑んだままで、魔術師の男は彼女を見た。
「ただ『とがってるなぁ』としか思わなかったけど」
他に何があるのだろうか、と薬術の魔女は思考を巡らせる。本当に『尖った歯が珍しい』と少し思った程度だった。他に何を思うというのだろう。
「……ふふ。然様ですか」
「なに?」
心底不思議そうな彼女の様子を、魔術師の男は静かに、息を溢すようにして笑った。
「何も。此れには複雑な理由が有りまして……ですが、」
笑いをゆっくりと止めた。
「……あまり、お気になさらず」
「うん」
無表情のようでいて寂寞が滲んだ表情で静かに彼は告げる。何かに触れられそうだったのに逃げられたような心地になった。
なんか面倒な人だな、と思いながら視線を動かし、
「(……あ)」
いつのまにか空っぽになっていたお菓子の箱を見つける。
「(全部、食べてくれたんだ)」
その事実が、薬術の魔女の心をじんわりと温かくさせた。口内を見た事は拒絶されたけれども、薬術の魔女が与えた菓子については嫌な顔も残す事もせず、全てを受け取ってくれたのだ。
その事実を嬉しく思ったところで、
「……(そういえば去年、その3から焼いたお菓子もらってたけど返してないなぁ)」
と、ふと思い出した。
×
空になった箱を持ち、魔術師の男は立ち上がる。
「……扨。私はそろそろ仕事へ向かわなければいけませんのでお暇……と言う言葉は可笑しいですね」
口元に手を遣り少し沈黙した後、
「…………まあ。貴女は札で魔術アカデミーの寮へ戻られると良いでしょう」
と、薬術の魔女へ帰宅を促した。言葉を探そうとしたが、途中で止めたようだ。
「書庫で読書……等をして頂いても構いやしませぬが」
魔術師の男は、ちら、と彼女に視線を向けて新しい提案をする。
「……いても良いの?」
薬術の魔女は、すっかり『仕事に行くから帰れ』と遠回しに言われるかと思っていた。どう言った心変わりだろうと思うが、心当たりは無いので推察はできない。
「はい。此の屋敷は『相性結婚の付属品』ですので、私と貴女が婚約している間くらいは問題は無いかと」
「ふーん。でも帰るよ。だって一応、『他人の家』だもん」
彼の言葉に、なんて事もない、ただの義務感での提案なのかと察する。それを少しつまらなく感じてしまった。
「そうですか」
「うん。用事も思い出したし」
お菓子のお返しを用意しないと、と薬術の魔女は頭の隅っこで思う。
「……用事、ですか」
「ん。こっちの話だから気にしないで」
「然様で」
「じゃあ、先に帰る」
「はい。お気を付けて下さいまし。……私の作った札なので、事故等起こる訳も無いのですが」
「ばいばーい」
本当に何も気にしていないらしい。引き留めるつもりもないらしい。
いつもの冷ややかで味気のない返答が、相手の何もかもを気にしていない態度が少しだけ、寂しい。
そう、惜しむ気持ちが確かに有った。
×
次の日、魔術アカデミーで薬術の魔女はその3に去年の『愛の日』でもらった菓子のお返しができなかったことを謝った。用意ができたら返したいとも。
その3は
「別に返さなくて良いのに」
と笑っていたが、やはり気になるのだと伝える。すると、
「……じゃあ。何か……例えば、腕輪があったら欲しいんだけど」
そう、はにかみながら提案した。
「……腕輪?」
唐突な単語に薬術の魔女は首を傾げる。
「うん。なにか持ってない?」
聞かれた瞬間に、なぜか枕元に置いてあった古い腕腕のことを思い出した。……確か、今日は偶然にも鞄の中に入れていたのだった。
「どんなの?」
好みでなければあの腕輪はあげられないので、ひとまず欲しいものの特徴を聞き出す。
「こう……なんか古くて黒ずんだ金属の」
「んー、まあ。持ってるけど」
その特徴がほとんど一致したことに驚きながら、薬術の魔女は自身の鞄を漁る。
「よかった!」
「えーっと……はい。生産元不明な腕輪」
「ありがとう!」
「うん」
あまりにもな言い方であったがそれは事実だった。その上、その3自身もその腕輪がもらえるなら他は全く気にしていない様子だ。
差し出した古い腕輪の色と、その3の燻んだ金色の髪の色がよく似ていた。