薬術の魔女の結婚事情
相性
前日に危惧していたような事態にはならず、持ち場に戻った魔術師の男は溜息を吐く。しかし、予定外のことは起こった。
「……」
滅多に現れない筈の『拐かしの精霊』が、薬術の魔女の前に現れたのだ。御守りの札があったお陰で、魔術師の男はその危機と居場所を即座に察知する事が出来た。
あの程度の精霊の術など、余程の素人でなければ『魔術師という存在』には効かない。無意識のうちに身体を魔術で守るようになるからだ。
婚約者の薬術の魔女は、意外と精霊の類いに好まれやすいらしい。周囲にも精霊や妖精の姿がいくつか見えていた。透けているが黒くないのが妖精だ。
ふと、魔術師の男は彼女の唾液に濡れた手袋の指先に視線を落とす。
「(『馴染み易い魔力』……成程)」
じんわりと指先に、唾液に混ざった魔力が染み込んでくる。精霊達も、その魔力に引き寄せられたのかもしれない。
「……ふむ」
魔術師の男自身の魔力は、周囲に馴染み難く、且つ伸びやすい魔力。要は水を弾く油のインクのようなものだ。だから、今までも『相性の良い相手』など見つからず、面倒な相性結婚などという、気の狂った制度から逃れられていた。
「(通知書が届いた際には目を疑いましたが、斯様な馴染み易い魔力成らば、私の魔力でも相性は良くなると言うもの)」
納得がいった。薬術の魔女の魔力は、馴染み難いはずの魔術師の男の魔力と上手く混ざって馴染んだ。
「……(逆を返せば、彼女は『誰とでも相性が良い』事でもありますが……)」
恐らく、(自分で言うのもなんだが)優秀な魔術師の方から魔力の相性を合わせて行ったのだろう。と、魔術師の男は考えた。
でなければ、彼女は別の誰かとの組み合わせに引っかかるはずなのだから。
自分が優秀で良かった、と、魔術師の男は安堵の息を吐いた。
薬術の魔女の魔力は、他者にとって魅力的過ぎる。
相性が良いことは『気持ちが良い』ということであり、自制心の薄い者ならばすぐにその快楽に溺れてしまうだろう。
「……しかし、」
魔術師の男は、薬術の魔女の魔力が染み込んだ指先を見る。
「(本当に、『魔力が馴染み合う』事が斯様にも……甘美な、)」
微量な魔力が混じり合っただけなのに、その指先が熱い。
「(…………あまり、色々と莫迦には出来ないようですね)」
×
「……して。何処にお出掛けなさろうとしておりましたか」
「そこの山」
「然様で」
本当に、自分が優秀で良かった。と魔術師の男は内心で思う。
この日は珍しくも休日で、早朝に日課で卜占を行なっていた。干渉する気はなかったもののついでに薬術の魔女についても占っていると、妙な結果が出た。
「……(山、魔獣……当たる、争い……怪我……?)」
別に心配をした訳では無い。魔術師として、知ってしまった事に対しその責務を果たそうとしただけだ。
方角と時刻を即座に導き出し、そこへ向かうために通るであろう魔術アカデミーの裏門の側で彼女を待つ。と、
「……げ、なんでいるの?」
予想通りに薬術の魔女が現れた。その格好や様子からして山菜か野草でも採りに行きそうだと思ったが、話によると薬草採りらしい。
少し呆れたが、売り物よりも自分で採りに行きたいとの事だった。
自ら集める方が質も良いものが手に入るとの意見には魔術師の男も同感出来たために、何も言えなかった。
「此方へ、来ていただけませんか」
「ん? なに?」
一旦、裏門から少し離れた人目の少ない場所へ彼女を引き込む。
「袖を捲って下され」
懐から筆を抜き出し、彼女に言う。
「袖? なんで?」
と言いつつも彼女は抵抗や難色を見せる事は無く、実にあっさりと素直に腕をまくった。多少の抵抗はあると思っていた為に、その妙に危機感に欠ける行動に内心でやや呆れた。
「少々、失礼致します」
短く断りを入れ、その肌に魔力を含ませた筆を滑らせる。
「ふっ、く、くすぐったいよ」
「静かに。動くと上手く書き込めませぬ」
×
「…………之にて終いです」
「ってか、これ何?」
薬術の魔女は今し方肌の上に書かれた文字に、首を傾げた。そうしている内に文字はゆっくりと肌に馴染むように溶けて消える。
「是は『魔獣除けの御呪い』で御座います」
「『おまじない』?」
「然様。貴女は特殊な御趣味がある様子」
「もしかして『特殊なご趣味』って薬草摘みのこと?」
不満そうに口を尖らせるが、わざわざ危険な場所に向かい自ら採りに行くなど、正気の沙汰ではない。
「本来ならば、其れを止めるべきでしょうが……」
「うん」
やや口角が下がった。恐らく今まで、たくさんの人間に否定や邪魔などをされたのでは、と魔術師の男は予想する。
「どうせ、言っても聞きやしないのでしょう?」
それに加えて『あまり干渉しない』と契約を結んだ。過剰な干渉はよろしくないだろう。
「うん」
「……はぁ」
「えっ、何そのため息」
「成らば、危険を下げる方が得策でしょう」
「なるほど? 付いてこない感じ?」
「私、本日は唯一の休日で御座います故」
「へー。お疲れ様」
その妙に他人事のような、(実際他人事ではあるものの)興味の全くない様子に、いささか引っかかりを覚えた。
書き込んだ文字が乾いたのを確認し、袖を戻す。
「おわり?」
「えぇ。野山を駆け回る成り、薬草を抜く成り好きにして下さいまし」
「ん! ありがと」
嬉しそうな顔でお礼を述べ、
「じゃあねー」
と軽く手を振り真っ直ぐに山の方へ駆けていった。
それほどに山に行きたかったのかと内心で思いながら次にしなければならない事のために、魔術師の男は自宅に戻る。