薬術の魔女の結婚事情
春の声
朦朧とする意識の中、選ばれた宮廷魔術師達は『春来の儀』専用の衣服へと着替えさせられていた。
彼らは特別に清められられた、真っ白な衣装を身に纏う。真っ白なその衣装は、まるで生贄のようだと。
「……(……間違いなく、生贄……か)」
まとまらない思考のまま、着替えを終えた者は促されるままに儀式の場へ歩みを進める。
儀式へ捧げられる宮廷魔術師は、神が選ぶ。
選ばれる者は、若い宮廷魔術師か大量に魔力を所持している者。
そして、古き貴族の血を持つ者。
人数は決まって8名で、それ以上にも、それ以下にもならない。
古き貴族の血は濃い方が好まれる。
だが、血が濃い者ほど本家の者から大事にされる上に、通常ならば血の濃い者は宮廷魔術師にはならない。
『春の神』などに貴重な古き貴族の血を渡す訳にいかないのだと、僅かでも血の濃い者は、その家によって保護される。
だから、家から縁を切られた魔術師の男はどこからも苦情の来ない絶好の魔力袋として、春来の儀への参加はほとんど強制的であり必然のようなものであった。
×
香を吸って身体の中を清める。
水を飲んで血液と魔力を清める。
固形の食事はしていないので、腹の中はほぼ空になっている。
最後に、仕上げとして浄化の魔術を全身にかける。
捧げられる者達は、ほぼ無菌で漂白されきった状態、としか言えないほどに潔白な出立ちだった。
「其れでは、『春来の儀』を始める」
皆が持ち場に着いたのを確認したのち、儀式を唯見守るだけの飾りの高僧が現れる。そして毎年の通りに、部屋の外から儀式の開始を音頭した。
その後、低い鐘の音が鳴り周囲に拡がり、特殊な結界を生み出す。
そして、結界内の生贄達は最も効果の強い薬を飲み込む。どこかで、重いものが倒れるような音が聞こえた。……今回は、一人ここで動かなくなったようだ。
一人の負担が大きくなる。薬のせいか、人が倒れた事も、負担が大きくなった事にも、全く感情が動かす者がいない。
儀式が、始まる。
×
《…》
普段通りに、熟れきった女のような姿の神は、全身から腐敗したかのような甘ったるい香りをさせ、部屋の中心に現れた。
《.ά……λ …… νεδ》
何か、音が聞こえる。
そう、魔術師の男は普段とは違う違和感を覚えていた。
高僧や年老いた宮廷魔術師共が唱える補強の呪文の聞き間違いだったと、思いたかった。
《.απ…χθ…υ … υομ … ςέ… ω…σδ ς… αθ》
雑音の混ざるそれは、厭でもはっきりと魔術師の男の頭の中……というよりは、意識の中へと強制的に流れ始めていた。
《.ώ…κρλπ ,νο…… 》
身体中の細孔が拡げられるような感覚をと共に、無理矢理に引き摺り出された魔力を、『春の神』はその身の中へと取り込む。
不快感に堪えているその最中にも段々と、魔術師の男はその声が聞き取れるようになっていた。
それが発する、言葉の意味を理解できそうになっていた。
《.ς……οοα…α ακόμα …λ ιίμαe ,όρεκτα …ρτω…α όυτα … είναι …λα》
そして、消え去る直前。
《,ς…ίε……》
『春の神』が、魔術師の男に意識を向けた。赤黒い虹彩が、こちらを見た。
《;ουμ ητ ήωνφ ςκσυοεά》
「っ!!」
直後、頭に刺すような痛みが走り、強烈な痛みに目を見開く。その体内を強い衝撃が駆け上がり、口や目、鼻から血を噴き出した。
衝撃で身体が仰反り、上体を倒しそうになるも魔術師の男は手を床に突き、耐える。
手で顔を抑えても粘性の高い血液はぼたぼたと指の隙間から溢れ落ち、床を真っ赤に濡らした。
「(……此処で、倒れる訳には……っ!)」
ただでさえ家のことで恥を晒している状態で、更に恥の上塗りなど、死んでもやりたくはない。
その意地だけで、魔術師の男は今までも春来の儀を含む様々な儀式や行事、仕事、色々を耐えていた。
どくどくと脈打つ心音がうるさい。
身体が熱い。
目の奥が痛い。
頭が、痛い
吐き気を、遠退く意識を、脱力しそうになるそれを耐える。
気付けば『春の神』は白く輝く宝珠を残し、姿を消していた。
顔から垂らした血で衣服が赤く染まるのをそのままに、魔術師の男は儀式の終わりの鐘の音を聞く。