薬術の魔女の結婚事情
心配
結局のところ便利な魔力袋を捨てることはなく、『今まで通りの扱いになるらしい』と、聖女候補が伝えに来た。だが、大事をとってしばらくの合間、自宅ではなくこの部屋に泊まることになるようだ。
「……」
婚約者である薬術の魔女へ、何か伝えることはあっただろうかと思いながら、「どうせ、自身が中々屋敷へ戻らなくとも、何も気にしていないのだろう」と、思い至った。
彼女は春休みの間、何度か屋敷の地下へ赴き本を読んでいたらしいことを式神が伝える。
×
今日は春来の儀の後に行われる祝賀祭に参加するために、部屋の外へ出る許可が出た。
腕に巻かれた紐はそのままで、出入り口の仕切り紐だけが外された。
その上から見栄えの良い宮廷魔術師の衣装を纏い、会場へ足を運ぶ。
祝賀会の様子を、気配を希薄にさせ壁際で眺めていた。
「……」
病み上がりに祝賀会の派手さと騒がしさは毒だと、痛む頭を少し押さえながら、小さく息を吐く。
『春の神』の声を聴いてから、頭が酷く痛むようになっていた。声を聴いた瞬間の痛みの余韻のように、じくじくと鈍く、痛む。心なしか、一度神に潰された筈の目の奥も熱を持って痛かった。
「……お前よ、何をされた?」
「っ!」
気付けば、横に呪猫当主が立っていた。魔術師の男は急いで周囲に視線を向けるが、誰もこちらを見ていない。
「安心しなさい。向こうには私の代わりに式神が居る」
焦るその姿に目を細めながら、兄は静かに、諭すように云う。周囲の相手を、式神にさせているのだと。
「本当はお前の方に式神を寄越す予定だったが、そうは行かないようでね」
追い詰めるかのように半歩、魔術師の男の方へ足を動かした。
「もう一度聞く。お前は、『神』に何をされた?」
魔術師の男は鬱陶しげにその顔を見、内心で驚く。その顔には普段のような軽薄な笑いはなく、何かを見定めようとしている真剣な顔だったからだ。
だが、魔術師の男は半歩ほど横に下がり、痛みも辛さも全て隠して外面の笑みを浮かべる。
「何か、奇怪しな処でも有りましたか」
貴様の助け等不要であると、彼は兄を笑顔で睨み付ける。このぐらい、自身で対処しなければ、誰も助けてくれやしないのだと、魔術師の男は思っている。そう、今までの生で思い知らされていた。
「連日の仕事が祟ったのやも知れませぬ。ですが、この程度、自身で対処出来ます故」
彼の返答に、は、と短く息を吐き、
「……珍しい事もあるものだね」
兄はやや呆れた様子で呟く。
「お前が『仕事が大変だ』と弱音を吐くとは」
その言葉は間違いなく、魔術師の男の神経を逆なでする言葉だった。
直後に沸き上がった怒りに近い感情を、彼はすぐさま押さえ込み、笑みを浮かべる。
「……ついうっかりと、口を滑らせてしまいました。……酒の場はどうも気が緩んでしまう様で、いけませんね」
「そうだね。私もよく有るよ」
兄は白々しくもそう相槌を打つ。一度も滑らせたこと等無い癖に、と内心で舌打ちをしながら、
「……大変名残惜しくも、私、用事を思い出しましたので御暇させて頂きます」
と、魔術師の男はその場から去る。
余計に頭痛が酷くなったような気がした。
×
「……暫くは、問題は無さそうか」
離れる後ろ姿を眺め、兄は安堵の息を吐く。
久々に、とんでもないものを見せられた。いつ振りかといえば、弟のために用意した契約用の獣を殺した時だろうか。
他の古き貴族の者も近付き難い程の強力な穢れを纏ったその姿に、直視することができなかった。どうにか祈羊の者の手によって抑え込まれているようだが、それでも酷かった。
何故歩けるのかと、訊きたい程の穢れを纏っていたのだ。
恐らく、王家が春のために喚び寄せる『神』のせいだろうが。
「……約束と違うではないか」
古の約束とも、直接結んだ約束ともに。
呟くその声は非常に小さく、祝賀会の喧騒の中に溶けて消えた。どうしてくれようか、と思考しても行う事は既に決まっている。それの準備をせねばなるまい。
それに、弟をそうやって使えばいつかはどうせそうなると、とうの昔に知っていた。
来年……できれば今年中でも、再び顔を合わせたその時に、まだ異常が残っていれば予定より大分ずれてしまうからどうにかしなければと、呪猫当主は呟く。
「…………然し。結局、妻は連れて来ぬ上に、質問には答えてはくれなかったなぁ」
まあ、来年には会えるだろう。と、笑いを零した。